KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。
1月14日(水)
昼休みにささやかな成人式をしました。去年20歳になった学生を講堂に集めたところ、「えっ、こいつも?」といった面々もけっこういました。明けておととしに入学したという学生が多く、もう付き合いがだいぶ長いので、ついついかなり年を食っているような気になってしまうのです。YさんなんかはKCPの主みたいな顔をしていますからね。
私が成人式を迎えたときは、学生たちと同じように親元を離れて一人暮らしをしていました。海外ではなく日本国内でしたが。帰省すれば中学や高校の同級生と祝杯を挙げることも可能でしたし、そういうお誘いもありました。でも、一人で異郷の地で大人になることこそ世間の荒波を乗り切る第一歩だなんて、気負いこんで誰も知る人のいない成人式会場に向かいました。脱皮するような、屋根を突き破って青空に向かって伸びていくような、明るい未来が開けるんじゃないかと、あてもない思いを抱いていました。しかし、偉い人の話を聞いても大人になった実感は全く湧いてきませんでした。
今日の学生たちはどうだったでしょうか。幼なじみではないものの、同じ目標を持つ者どうしの連帯感があり、大人になった喜びを分かち合い、自覚を確かめ合うことができたのではないでしょうか。学生たちは入学した日のことは覚えていませんが、きっと顔つきも精悍になったに違いありません。記念品をもらう学生の顔を見ていたら、そんなことを感じました。
1月13日(火)
Cさんは私のクラスの新入生です。教室に入ったときからずっと硬い表情をしていて、私のジョークにクラスの他の学生が笑ってもニコリともしませんでした。休みぼけ解消にと中級の漢字の問題をやらせたあたりで机に付してしまい、硬さがピークに達しました。
授業後、Cさんが話しかけてきました。「私は漢字がすごく弱いんですが、ここのクラスにいてついていけるでしょうか」「漢字以外は自信があるんですか」「はい、自信があるっていうか…」「漢字だけが問題なら、このクラスでがんばったほうがいいです。漢字のレベルに合わせたら、読解やその他の科目がやさしすぎちゃうと思うんです。それじゃ学校に通う意味がないでしょ」「はい、それもそうですね」…というようなやり取りの末、このクラスで勉強することになりました。そして、ようやく笑顔が現れました。
Cさんに限らず、最近とみに四技能のバランスがよくない新入生が増えてきました。Cさんも中級の漢字の問題の出来があまりよくなかったようです。しかし、私は、スピードや語彙の点で日本人に話すのと全く同じ話し方でCさんと会話しました。それに対して適切な答えが即答で返ってきていましたから、疑いなくCさんは私の話を完全に理解しています。漢字のレベルに合わせたレベルに入ると、聴解や語彙、読解などが明らかに退屈になるでしょう。
Cさんの逆の学生もいます。筆記試験はムチャムチャよくできるのに、聞き取りや会話がからっきしというパターンです。こういう学生は、上のレベルに入れると周りの学生に気おされてずっとしゃべらないまま終わってしまいますが、下のレベルにすると勉強が簡単すぎると言ってくることが多いです。「言ってくる」と書きましたが、ひどい場合は通訳の事務職員を介してです。
でも四技能バランスよく伸ばしていかないと、結局は大成しないんですよね。漫画は読めるけどそれ以上はとか、アルバイトでお客さんから注文は取れるけどそれ以上のイレギュラーな事態に陥ったら何もできないとか、日本で勉強したり働いたりするには不十分なまま終わっちゃうことがよくあります。
Cさんは上級で勉強を続けますが、どこまで食いついていくでしょうか。はじめはしんどいと思いますが、それを乗り切って成長していってもらいたいです。
皆さん、ご入学おめでとうございます。世界の各地からこのように多くの学生がKCPに入学してくださったことをとてもうれしく思います。
先学期、ある学生がKCPを退学しました。仮にAさんとしましょう。Aさんはちょうど1年前、希望に満ちてKCPに入学しました。Aさんは日本が好きで日本にあこがれて来日しました。ですから、日本のありとあらゆる物事に関心を示しました。自分であちこち出歩いては新しい何かに触れ、アルバイトを通して見聞を広め、Aさん自身としては充実した毎日だったことでしょう。
しかし、学校の勉強が疎かになってしまいました。在籍したどのクラスの先生からも出席率に関して厳しく注意され続けました。1年間で進級できたのはわずかに1回でした。休んでばかりでろくにテストを受けなかったのですから、当然の結果です。そのあげくのはてが、退学勧告を受けての退学でした。同じ学期に同じレベルに入学した友達は上級になっているのに、Aさんは進級したレベルのテストに合格できず、学校の記録上は1年前と同じレベルでの修了です。
Aさんは、退学を勧告されたとき、「最後のチャンスをください」と懇願しました。しかし、私たちは、それまでにもう何度も指導し、チャンスも与えてきました。そのチャンスを生かさず学業に対する姿勢を改めなかったのは、ほかならぬAさん自身です。頭を下げれば何とかなるという考えを改めさせるためにも、退学以外の道は認めませんでした。この学校は、授業料さえ払えばいつまでもいられる学校ではありません。
Aさんは日本を楽しみはしましたが、それがAさんのこれからの人生にどれだけ役立つかははなはだ疑問です。確かに、若い時に遊んだことを自慢げに話すお年寄りは多いです。しかし、そこにはあの頃もっと勉強しておけばよかったという反省の気持ちが隠されているのです。しっかり勉強していたらこんな程度で終わるはずじゃなかったという自嘲気味な衒いで言っているのです。そんな年寄りの言葉に惑わされることなく、真に実りの多い留学を目指し、日々励んでいってください。言うまでもないことですが、皆さんの本分は勉強です。
残念ながら、Aさんは1人だけではありません。来週授業が始まると、Aさんと同じ道を歩んでいる先輩を見かけることでしょう。そういう先輩を、他山の石として、反面教師として、皆さん自身を磨く材料としてください。そして、この留学を皆さんの将来を築く一里塚としてもらいたいと思っています。いろいろと厳しいことを言いましたが、一度しかない皆さんの青春を有効に使ってもらいたいからです。
本日は、ご入学、本当におめでとうございました。
1月8日(木)
新学期のクラスの担当が決まりました。初級と上級のクラスを受け持つことになりました。もちろん受験講座もありますから、来週からまた超忙しくなりそうです。
上級クラスはメンバーが想像できますが、初級はどんな学生がいるのか全く想像がつきません。それを不安に思われる先生もいらっしゃいますが、私は新しい出会いがとても楽しみです。もう少し正確に言うと、初級の学生が持っている、知りたい、上手になりたいという強いパワーが刺激的なのです。力をセーブしようと思っても、気がつくと学生に負けないくらい大きな声を張り上げているのです。先学期は金曜日の午後が初級クラスでしたから、ほとんど出がらし状態で教室に入りました。しかし、どこからかエネルギーが湧いてきて、なぜか授業が始まる前より元気になって授業を終えていました。
上級は、こちらの文法や語彙や語用論的な知識や、教材を基に話を展開していく力が要求されます。まあ、会議の議長さんみたいなもんですね、上級の教師って。クラスをコントロールしてある着地点まで引っ張っていくところが。それに対して初級は、日々勉強する文法事項をいかに印象的に伝えていくかが勝負です。そのアイデアを搾り出すのが初級の面白みじゃないかな。的屋のおっちゃんみたいなところがあると思います。
今学期は、上級クラスは卒業式までですから実質2か月です。今日は冷たい風が吹いた1日でしたが、卒業式のころは御苑で早咲きの桜が見られます。初級の学生が私の手を離れるころは、コートが重たい日もあることでしょう…。
1月7日(水)
トヨタが燃料電池車に関する特許を無償で他社にも使わせるようになります。世界的に燃料電池車を普及させるための戦略の一環だそうです。他社がトヨタの技術を使いこなすようになったときには、トヨタはその数歩先の技術を開発していると言いますから、豪勢なものです。世界中の自動車会社が燃料電池車を作るようになれば、水素ステーションをはじめとするインフラも整備され、結果としてトヨタの燃料電池車も売れて、技術を囲い込むよりも大きな利益をもたらすという判断のようです。
もし、トヨタの考えているように自動車業界とそれを取り巻く環境が動いていったら、自動車業界のみならず世界中の人々がその恩恵を享受することになるでしょう。スパイラルに発展していく、共存共栄の図式が描けます。うらやましい限りです。
KCPもいろいろなアイデアを生み出してはそれを実践してきました。しかし、ビジネスモデルは特許になりにくい(ほとんど取得不可能)ので、すぐまねされてしまいます。KCPも他校を見習うこともありますからまねしてもらってもいいのですけれども、日本語教育界というか日本語学校界というか、KCPを取り巻く環境は、共存共栄というよりは足の引っ張り合いをしているように見受けられます。勝者なき消耗戦に陥ったり、出稼ぎの隠れ蓑になっているなどと世間から後ろ指を指されたり、自動車業界のような共存共栄の形になっていません。口惜しい限りです。
元高校教諭のS先生は、よく、日本語学校は役所や大学から軽く見られているとおっしゃいます。留学生入試の過去問がまともに公開されないなんていうのはその最たるものだと。団結しなきゃ発展は望めないと。
人口減に伴う国力の衰えや、経済規模で中国に差をつけられたことによる国際的地位の低下が憂慮されている現在、日本の看板である日本語を教える日本語学校こそがしっかりして、その憂慮を杞憂に変える働きを先頭にたってしなければなりません。それが国民からの隠れた負託なのではないでしょうか。
1月6日(火)
新年2日目ですが、新入生のレベルテストがありました。私が試験監督した新入生たちは国であまり勉強してこなかった人たちみたいで、読み書きがほとんどできない人もいました。私が、例えばアラビア語を習いにドバイのアラビア語学校に入るとしたら、読み書きの基礎ぐらいは日本で勉強してから行くんじゃないかなあ。たとえ今日の新入生と同じくらいの年齢だったとしても、ドバイで生活するんだったら、それに困らない程度のことは準備すると思いますね。東京の場合、学生たちの母国のネットワークができ上がっていて、日本語がわからなくてもそれなりに生活で来ちゃうんでしょうね。
たとえそうだとしても、言葉がわからない世界に飛び込んで自分の未来を切り開こうという学生たちの意気込みには感心させられます。私にもそんなチャレンジャー精神が溢れていたら、良くも悪くもスリリングな人生になっていたんじゃないでしょうか。就職してしばらくのバブルの頃、勢いだけで会社をやめて海外に飛び出していたらどんな人生を送っていたのでしょう。試験監督のかたわら、そんなことを考えていました。
新入生たちは、最後の試験が終わった順に事務局で手続きをして帰ります。私の答案用紙を提出して教室を出ていくのですが、そのとき「お疲れ様でした」と挨拶する学生は要注意です。こういう学生はどこかで多少は勉強してきているのでしょうが、変な癖がついているおそれがあります。アニメで日本語を知り、アルバイトで鍛えたとなると、教科書で積み上げてきた日本語とは質が違います。そこに教えるほうも教わるほうもストレスを感じるのです。
逆にいい意味で目をつけたくなるのは、静かに机に椅子を入れ、黙って軽く会釈をして教室を出ていく学生です。椅子を出しっぱなしで帰ってしまう学生が大半なだけに、たまにこういう学生を見かけると感激します。答案用紙で名前を確認し、入学後そっと目をかけます。在校生ではGさんがそんな学生でした。順調に力を伸ばしているようで、一人でやっぱりねって思っています。
1月5日(月)
年末年始は名古屋を足場に、そのあたりを回ってきました。
27日(土)は、名古屋までの途中で富士山見物。「神々しい」とはこの山の姿のためにある言葉だと思えるほど、雪を輝かせた富士山は美しかったです。東京から見る富士山も感激しますが、やっぱり地元で見る富士山は格別なものがありました。
翌日も好天で、名古屋駅のJRセントラルタワーズから木曽の御嶽山が見えました。昨年9月の噴火から出続けていると思われる噴煙も見えました。名古屋は何回も行っていますが、御嶽山が拝めたのは初めてでした。
29日からは、天気予報と相談しながら出先を決めました。強力な寒気団が襲ってきて、名古屋も大雪になるかもしれないとも言われましたが、幸いにも小雪程度で済みました。1月1日に東京へ戻ってくるときに、関ヶ原の雪の影響で新幹線が20分あまり遅れて発車したのが最大の被害でした。私が乗ったのは名古屋始発のこだまだったので、その後ぶっ飛ばして、新大阪や博多始発の関ヶ原を通り抜けるのぞみやひかりから逃げまくって、東京着は7分遅れまで回復しました。
名古屋のホテルはここ数年毎年年末に泊まっており、今回は27日から5泊しましたから、もうホテルの主みたくなってしまいました。このホテルチェーンは、ビジネスホテルですが大浴場がついていて、バイキングの朝食があり、何より掃除が行き届いていて部屋がいつもとてもきれいです。そこが気に入って、年末年始の名古屋でも春の連休の大阪でも、そこに泊まります。
そのホテルの掃除ですが、毎日部屋のテーブルに「ご宿泊ありがとうございます」という意味のメッセージカードがおかれています。メッセージは印刷で、清掃担当者がサインして置いていきます。ある日、ホテルに戻ってきて、テーブルの上に荷物をドサッと置いたら、そのメッセージがひらひらと舞って床に落ちました。裏返しになったそのカードを拾い上げようとしたら、そこにどう考えてもボールペンのインクの出具合を確かめたとしか思えないクルクルが書かれていました。担当者のサインを見ると、明らかに日本人ではない名前が。
日本人なら、たとえ裏側でも、客の手に渡るものにためし書きなど絶対にしないでしょう。このホテルでもそんなことは当たり前すぎてマニュアルなどにうたっていないに違いありません。マニュアルで禁じられていないから、私の部屋の清掃担当者はためし書きをしてもいいと考えたのでしょう。
学生たちは、よく、日本のサービスはすばらしいと言います。彼らは目に見える部分でのサービスを言っているのでしょうが、実は日本のサービスの本質は目に見えないところへの心遣いにあるのです。こういう点に気付かせることが私たちの役割なんだなと感じさせられました。
おかげさまで、けっこう満足できる旅行をしてきました。その英気を学生にぶつけていきます。
12月26日(金)
午後から大掃除をして、今年の業務は終わりです。明日から1月4日までは年末年始の休みで、学校は完全に閉鎖されます。
今年は、何と言っても、新校舎が完成し、それを気にいろいろな新しい試みが始まったことが、KCPの最大のニュースです。学生も教師も校舎の使い勝手がわかってきてもう戸惑うことはあまりなくなりましたが、その代わりいかにきれいに使っていくかという問題が大きくなってきました。新しい試みのほうはまだ、すっかり定着した部分もありますが、まだ途上のものも多数あります。来年は、器に中身が伴っているかが問われる年です。新機軸を定着させ、成果を出していくことが求められます。
それから、O先生のご結婚という明るい話題もありました。そういう目で見るからかもしれませんが、O先生は一皮むけて一段成長したような気がします。来年もこういうおめでたい話題が続くといいですね。
私はというと、今年は毎学期のように学生をやめさせました。勉強する意欲に満ちた学生にレベルの高い教育を、と考えていますから、出席率が特別悪く、学校の勉強を疎かにしているとしか思えない学生に対しては、容赦なく退学届を突きつけました。来年はこういうことをしなくてもいいようになりたいものです。
それから、年始はいきなりノロウイルスにやられましたが、それ以後は風邪をひくどころかのども痛くならず、年末を迎えられました。こちらは来年もこうありたいと思っています。
それでは、皆様、よい新年をお迎えくださいませ。
12月25日(木)
Hさんは年が明けたらまもなく、理系のS大学を受験します。一番心配しているのは、時折なされるという物理や化学の口頭試問です。今日はその練習に学校へやってきました。
11月のEJUは物理も化学も高得点(本人は不満なようですが)をあげましたが、例えば「力学的エネルギー保存の法則」を口で説明するとなると、EJU的な知識だけでは手に負えません。実際にいくつか聞いてみると、まるっきりだめなわけではありませんが、要点をピシッととらえた答えにはなっていません。出題されたことに関して思いついたことを次々と口にしているという感じがしました。
知識が、堆積はしていますが、系統立てて整理されていないんですね。だから、どうしても触れなければならないことを落としたり、それを途中で思い出して話がかえって混乱したりということが見られました。しかもあわてて話そうとするため発音が不明瞭になってしまいました。
こういうときに、高校で使われている教科書ってすばらしいですね。どの項目も過不足なく、実に要領よくまとめられています。それを示しながらHさんにこんなふうに説明するんだよっていう話をしました。
受験講座はまだ基礎知識を入れている段階ですが、いずれはこんな口頭試問の練習もしていかなければならないと思いました。専門的な難しい話を、独りよがりではなく、わかりやすく解説するというのも、日本語力の大きな柱ですからね。
報道によると、2020年ごろを目安に大学入試が大きく変わるといいます。知識の有無ではなく、知識を組み合わせて大きな答えを導き出す問題が増えるとなると、必然的に受験講座のあり方も変えていかねばなりません。来年以降の長期的課題です。
12月24日(水)
昨日、うちの近くのスーパーで買い物をし、レジに並んでいたら、私のかごが前の人の背中にぶつかってしまいました。反射的に、「あ、すみません」と謝りました。すると、私より幾分年配と思われるその男の人は、「いいんだよ、ここのスーパー、いつも込んでんだから。それより、最近はぶっつけといて謝んないやつがいるからね。中国人よりひでーやなあ」と。すぐその人のレジの番になってしまいましたし、私はその発言の真意をあくまで問いただそうとするほどの正義感を持ち合わせていませんでしたから、それはそこで終わってしまいました。
私も口では「中国の学生は全くもう」などとよく言いますが、この男性のようなまるで中国人は礼節をわきまえていないかのような考えは持っていません。日中関係が思わしくないことは承知していますが、一般の人の中国人に対する感覚って、これほどなのでしょうか。日本語教師はどこの国の学生であっても同じように心を開いて受け入れていますから、どこかの国に対して特別な悪感情を抱くことはありません。しかし、一般の人たちはマスコミの報道によってしか外国または外国人と触れ合う機会はありませんから、そこで述べられていることによって自分の感覚が形作られてしまうのです。
私が日本語学校で接している外国人は、多かれ少なかれ日本に好意を抱いている人たちばかりですから、そういう意味でのバイアスがかかった意見しか耳にしていないとも言えます。ですから、私の中国人に対する感覚は、日本人の平均よりずっと親中国的でしょう。確かに、両国間には政治的経済的難問が横たわっています。しかし、中国人の人格的な面まで攻撃する必要性などどこにもありません。
思うに、意気の上がらない日本にとって、勢いのいい中国は癪の種なのです。どこかで貶めないと腹の虫が収まらないのです。かつて日本が勢いがよかったとき、世界中で日本たたきにあったのと同じ構図です。反中的な言動の多くが、日本の自信のなさの裏返しだと思います。
じゃあ、日本はどうすればいいんでしょうか。日本語学校で勉強するような日本のファンを少しずつでも増やしていく、そのためにはどうしたらいいか叡智を集める、そういう姿勢が必要なんじゃないでしょうか。