KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。
2月7日(土)
昼食から戻って仕事を再開しようとしたら、M先生に呼び止められました。Oさんの大学院の研究計画書を見てほしいということです。
大学院の研究計画書ともなれば専門性が強く、門外漢が読んだところでにわかに理解できるものではありません。しかし、論理を追うことぐらいはできます。自分に専門性がないがゆえに理解不能なのか、文章の論理構成がおかしいから意味不明なのかぐらいは見当がつきます。Oさんのは後者の臭いがぷんぷんする文章でした。
普通体と丁寧体が混じっているのはちょっと置いておいて、国の言葉を直訳しているために言いたいことが伝わらなくなっている部分がいくつかありました。それから、和訳しているうちにOさん自身も何がなんだかわからなくなってしまったのでしょうか、矛盾していることが書かれているところも。さらに、事実と先行研究の内容とOさんの考察とが溶け合っていて、やりたいことがはっきりしませんでした。
Oさんの研究計画書を何度も読み返し、Oさんにあれこれ質問しながらそういうことを指摘しました。Oさんも答えに窮してしまうこともありました。私のごとき非専門家の質問にも答えられないようじゃ、教授などからの鋭い突込みには泡を吹いてしまうでしょう。Oさんはまじめないい学生ですが、この研究計画書からはそういうOさんの美点が見えてきません。
うちへ持って帰って直すといっていましたが、今度見せてくれるときにはどんなふうに仕上がっているでしょうか。そのときもこんなのだったら、引導を渡さなければならないかもしれません。そうならないように、祈るのみです。
2月6日(金)
3時15分からの受験講座の準備をしていてふと目を上げたら、カウンターのほうから窓越しにどこかで見たことがあるような顔がこちらを見ています。クラスの学生でも受験講座の学生でもないし、でも、急ぎの用事だったら手近の教職員を通して私を呼ぶだろうと、また目を机の上に戻して仕事を続けました。
職員室に入ってきてこちらを見ているので近寄っていくと、なんと、卒業生のLさんではありませんか。本当に久しぶりに顔を見せに来てくれました。めがねが変わったので、印象も変わりました。在学中のまじめ一本やりという雰囲気から知的なにおいが感じられるようになりました。M先生など「どこの実習生かと思った」なんて言っていました。でも、笑顔は変わっていませんでした。
Lさんは震災のときKCPにいて、帰国した友達も多かった中、ずっと東京で勉強し続けた学生です。S大学に進学し東京を離れていたのですが、就活のため上京したのです。目標が最後までぶれませんでしたね。だから努力を続けられる学生でした。私のほうにあまり時間がなくてゆっくり話はできませんでしたが、就活でもその持ち前の根性を発揮してくれるのではないでしょうか。
今学期の私のクラスの学生たちは大学院志望が多く、Lさんと同じかもうちょっと上ぐらいのはずなのですが、在学中のLさんほどどっしりした感じがありません。自分の中に不動の軸が持てていないんじゃないかな。今思うと、若いのによくできた人だったんですね、Lさんって。またそのうち企業訪問で来ると言っていましたから、そんなあたりを聞いてみたいです。
2月5日(木)
Sさんは教室に入るなり、「N1の結果はどうでしたか」と聞いてきました。通知のはがきを渡すと、祈るようなしぐさをしてから中を開き、合格を確認して歓声を上げました。聴解が満点だったのがうれしかったようで、みんなにはがきを見せていました。
Sさんは机に向かっての勉強はあまり好きではありませんが、会話は得意とするところですから、聴解満点というのは納得できる結果でもあります。得意分野でがっちり点を稼いで弱点を補い合格を勝ち取ったのですから、立派なものです。
その一方で、Aさんは残念な結果に。どの分野も満遍なく得点しましたが、各分野とももう1問ずつぐらい正解が多かったら、といったところでした。聴解以外はSさんを上回っていたのですが、爆発的に強い分野がなかったことが災いしました。
クラスの中での成績はSさんよりAさんのほうがいいのですが、JLPTでは逆の結果となりました。見ているポイントが違いますから異なった結果になったとしても不思議ではありません。KCPは四技能をバランスよく伸ばしていくことに主眼を置いていますから、Sさんみたいに聴解だけ強いという学生よりもAさんのように各分野平均的に点を取る学生のほうが高く評価される傾向があります。
入試も同じなんでしょうね。我々の眼から見ると実力がずっと上という学生が落ちて、どうしてこんな学生がっていう学生が受かることもたびたびあります。その大学にしたら、後者のほうが校風にあっているとかこれから伸びそうだとかに見えるのでしょう。
授業後に集めたSさんの例文はやっぱり変です。N1合格はゴールじゃないんだっていうことをわかってもらわなければ。
2月4日(水)
水曜日は授業後に初級の進学コースの学生たちに日本語の授業をしています。今日は語彙のテストをしました。うなってしまうぐらいひどいですね。問題文の意味を理解していないのではという答えも見られました。
「みんなの日本語」はよくできた初級の教科書だとは思いますが、受験ということを考えると、それだけでは語彙も聴解も足りません。文法も教科書をなぞるだけでは浅いです。以前に勉強した文法項目も応用して新しい文法項目の使い方に深みを持たせるところがほしいです。そんなところを補うことが、進学コースの日本語の授業が目指す点です。
ですから、語彙テストの成績がひどいんじゃ困るんです。かといって授業で語彙ばっかりやるわけにもいきません。当たり前ですが、重要なのは自宅学習です。今日のテストでも、上位の学生はきちんと勉強してきたことがよくわかる成績を収めています。しかし、中位以下の学生は明らかに勉強不足です。KCP内の、しかも初級レベルのテストで合格点が取れないようじゃ、お先真っ暗です。残念ながらそんな学生が1人2人ではありませんでした。
進学コースの授業のちょっと前に、Bさんが私のとことへ来て、先生の日本語が難しいから受験講座をやめたいと言ってきました。これも本当は論外ですね。「みんなの日本語」レベルの日本語で数学や政治経済などが全て理解できるわけがないじゃありませんか。担当の先生だって、かなり手加減して話しています。それすらわからないなら、わかろうとする努力をしないなら、進学なんて土台無理です。
大学や大学院で勉強するのは、日本に限らずどこの国でも生半可な覚悟ではできません。難しいことを勉強したり研究したりするんですから、楽な道を進んでいけるはずがありません。お手軽な進学には、お手軽な結果しか伴いません。
2月3日(火)
節分は例によって日枝神社へ。私が連れて行った上級クラスはみんな大人で、いつもの子供クラスならピーキャー騒ぎ出す稲荷参道の朱塗りの鳥居の連続も、落ち着き払ったものでした。一部の学生は去年のこの学期に日枝神社を訪れているはずですが、もう忘れてしまっているのか、黙々と鳥居をくぐっていました。
境内に入ると、新入生のFさんがいろいろと質問。神子さんや神官が不思議だったようです。新入生で上級に入るくらいですから、日本についての知識も関心も持っているはずですが、朱袴や狩衣や烏帽子や笏は初めてだったのかな。私も詳しいわけではありませんが、常識の範囲で説明しました。有名人を先頭に少なからぬ人が吸い込まれていった神殿の奥で何をしているんだという質問も。
神事が終わり、豆まきが始まると、これまたいつものように乱戦となりました。今年の学生たちは、豆まき前に見て回ったときはみんなおとなしそうで、豆の袋を奪い取るくらいの覇気がほしいなんて思っていました。ところが、豆まきが終わると、そのおとなしそうだった学生たちが私に戦利品を見せに来ました。1人でポケットに突っ込みきれないほどの豆を取ったHさんや、ピザレストランのお食事券をゲットしたJさんなど、例年通りかそれ以上の収穫を手にしていました。まだ合格が決まっていない学生が豆を取っていると、この勢いで合格もつかみ取れって思うのと同時に、こんなところで運を使うんじゃないとも思いました。
学校へ帰ってきてから受験講座。午後のクラスは職員が扮した鬼をめがけて豆を投げます。その歓声と鬼の吼え声が交錯する中、電磁誘導なんかの話をしました。
2月2日(月)
私が担当している初級クラスは「んです」のまとめでした。教科書の練習問題は何とかこなしますが、私の問いかけには上手に反応できません。クラスではトップを争っているHさんをちょっといじめ、「君たち、まだまだだね」と言ってやったら、Hさんはちょっと不機嫌そうな顔に。
「んです」は、たかが2、3日、教科書で勉強したくらいで使いこなせるような代物ではありません。私なんかは、「んです」がどれぐらいきちんと使えるかで、無意識のうちにその学生の会話力を測っています。過不足なく「んです」を使っている学生って、上級でもほんの一握りですね。中級あたりだと、聞いていてカチンと来る「んです」をいっぱい耳にします。むしろ、「んです」の使い方が妙に上手だと、おかしげなアルバイトに首を突っ込んでいやしないかと心配になってしまいます。
「んです」を使うなと言われたら、日本人はお互いにコミュニケーションが取れないでしょうね。いろんな意味で「んです」を使い、文脈やその場の雰囲気、話の流れに応じてその意味を理解することで、気持ちを通じ合っているところが多分にあります。「んです」の研究だけで大冊の文法書になっちゃうくらいですから、初級の学生が一発で「んです」の全てを把握するなんて無理な話ですし、そこまで要求もしません。
初級の「んです」は、そういう奥深い「んです」の入り口です。これからは日本人の使っている「んです」に注意して、どんなときにどんなふうに使うのかを自分で研究していきなさいよっていう案内標識みたいなものです。この案内標識に従って進んでいける学生は会話力が伸びますが、単なるテスト問題としてしか見ない学生は、いつまで経っても「ガイジン日本語」から脱却できません。
髪を真っ黒に染め直したTさんが「推薦入学についてお話したいことがあるんですが…」とやって来ました。気持ちよく「んです」を聞くことができました。さすが上級、そして推薦入学を受けようとする学生だけのことはあります。
1月30日(金)
今月から、校舎の掃除はアルバイトの学生がしてくれています。授業後、空いている教室からどんどん片付けていきます。学生がいなくなったころを見計らって、図書室やラウンジも掃いたり拭いたりします。ゴミ箱のごみも集めて出すことになっています。
先月まではプロの業者に頼んでいたのですが、プロだと思うから要求が高くなるのか、あらばっかり目立って、ちょっとやめてみようかということになりました。そして学生にやってもらっているわけですが、これがけっこう評判がいいです。アルバイトに選ばれたLさんやJさんたちががんばっているのか、アルバイトを選んだO先生たちの目が確かだったのか、M先生たちの厳しいチェックにもパスする大健闘です。
掃除をしている様子を見ると、確かに一生懸命です。体を動かすことをいとわず、与えられた仕事を確実にやり遂げ、仕事の品質も保とうという姿勢が感じられます。会社から下されたノルマではなく、自分の学び舎という意識が掃除という仕事に対するひたむきさにつながり、それがきれいな仕上がりを生んでいるのでしょう。
M先生によると、成績優秀すぎて家の手伝いなどしたことなさそうなのは役に立たないのだそうです。Lさんは国の学校で先生に怒られて罰として掃除をさせられたことがあるそうですが、それぐらいの学生が要領よくてきぱきと働くのだそうです。でもJさんは学校で叱られるようなキャラではありません。しっかり者タイプだと思うのですが…。
どちらにしても、プロよりも評価の高い仕事をしているのですから大したものです。受験勉強が忙しくなるまで、校舎を磨き続けてくださいね。
1月29日(木)
バス旅行の行き先が発表されました。「バス旅行はここへ行きます」と言ってインターネットの富士急のページを見せると、クラスの学生たちは歓声を上げました。高飛車やええじゃないか、ドドンパなど、絶叫マシンの写真に興奮していました。スケートリンクもあると紹介すると、それにも反応していました。旅行代金も払ってないのに、なんだかちょっと舞い上がりすぎです。
今まで何回かバス旅行で富士急ハイランドへ行きましたが、いつも私のクラスの学生はバスが富士急ハイランドに着くや絶叫マシンへと一目散に駆け出し、私は置いてけぼりを食ってばかりでした。そして、一人さびしく園内を歩いているところを別のクラスの学生に拾ってもらうっていうパターンが多かったです。それはそれで、あまり接触のなかった学生と知り合うことができますから、教師としてそれなりに有意義なんですけどね。
私個人としては、高いところもGのかかる乗り物も大好きです(飛行機が離陸する瞬間の感触がたまりません)。本心はバスからダッシュしてドドンパかなんかに並びたいです。でもそれはちょっと無責任だし大人気ないし、するわけにはいきません。だから、富士急の主だった乗り物にはどれも乗ったことがありません。まあ、並ぶのが嫌いだっていう人間は人気アトラクションに乗る資格がありませんよね。
さて、今年はどんなバス旅行になるのかな。高地だとまだちょっと寒いかもしれませんが、そんなのを吹き飛ばす勢いでいい思い出を作ってもらいたいです。
1月28日(水)
国立大学の入学試験が近いので、これからしばらく面接練習が続きます。
今日は来週早々に試験を控えるYさん。頭脳は疑いなく優秀であり、弁も立ちます。日本や日本語に関する知識や関心も人一倍持っています。しかし、今日の練習ではそれがあだとなって、血まみれになりました。
まず、なまじ知識が豊富でしゃべれるため、前置きが長いのです。こちらの質問に対して、「一口で申しまして…」と答え始め、またそういうふうに言った時に限って全然「一口」ではないのです。結局Yさんの本当に言いたいことが伝わってきません。話してはいるけどコミュニケーションが成り立っていないという典型例です。なぜこの大学を目指すのか、大学で何を学び、将来何をしようと思っているのか、この「面接のセントラルドグマ」とでもいうべき事柄が判然としないまま終わってしまいました。
それから妙に言葉が丁寧だったり難しい表現を使ったりしていました。日本語が上手だということをアピールしたかったのかもしれませんが、私が面接官だったらせいぜい無視、下手をするとマイナス評価をしますね。結婚式の主賓挨拶ならともかく、大学入試の面接での言葉遣いじゃありませんでした。無理に背伸びしているというのが第一印象でした。
そして、笑いすぎ、体を動かしすぎ。質問への回答を考える時間稼ぎや、ほんの些細な間違いを糊塗するために何かしないではいられなかったのでしょうか。落ち着きがないというか、見ていてうっとうしいというか、これまた悪い印象しか残りませんでした。
今回は練習でしたからYさんの話に30分付き合ってあげましたが、本番の面接の際には同じ内容をせいぜい5分でまとめなきゃ合否ラインに届かないでしょうね。空虚な言葉を並べ立てるのではなく、実質のある受け答えをして初めて、面接官の心が動かせるのです。
こういうフィードバックをしたため、Yさんは血まみれになったのです。でもYさんは打たれ強い学生ですから、本番までにはきれいに仕上げてくれると信じています。
1月27日(火)
私が入っている超級クラスでは、読解の時間に小説を読んでいます。このレベルの学生ともなれば独力で読んでいくこともできます。ですから、授業で取り上げる以上は学生たちが気付かない観点からストーリーをとらえていって初めて、それだけの価値があるというものです。ただ単に語句の意味を追いかけるのではなく、作者がその単語を選んだ理由、その表現によって物語の背景がどのように見えてくるかを考えながら読み進みます。
たとえば、女性の登場人物が自分のことを指すとき、「わたし」という場合と「あたし」という場合とでは、読者に与える印象が明らかに違います。日本人はそういう感覚です。しかし、学生たちは、頭の中で「あたし=わたし」と変換してしまったら、その違いに考えが及ぶことはないでしょう。「あたし」の持つすれた感じは、教師が補助線を引いてあげなければ気付かないままです。
こういう授業をすると、私の個人的な読み方を強要しているように受け取られるかもしれませんが、そんなことをしたら、まず、学生たちが反感を示すでしょう。このクラスは大学院進学を考えている学生が多いですから、大人の思考が働きます。それゆえ、あやしげなことをしたら一発で教師の信頼を失います。学生と教師の真剣勝負が毎日繰り広げられているのです。これぞ、超級レベルの醍醐味です。
今回の教材はミステリーで、学生たちにはその半分しか渡していません。後半は次回ということで、その後半の展開を推理してもらうところで終わりました。今日話した物語の背景をよーく聞いていればある程度のところまでストーリーがわかるはずなのですが、学生たちはどうだったでしょう。次回担当のT先生の報告が楽しみです。