KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。
1月26日(月)
「おはようございます」と言いながら、10時7分ぐらいにAさんが職員室に入ってきました。
「Aさん、約束の時間は何時でしたか」と、S先生の厳しい声。Aさんの顔が曇ります。
たとえ数分であれ約束に遅れたことをとがめるS先生に対して、10時半よりも10時に近い時間に学校へ来たんだからいいじゃないかという発想のAさん。「10時」という時間を、S先生は文字通りにとらえ、Aさんは「だいたいそのころ」というぐらいに考えていたのでしょう。
初級の学生は、みんなここで文化の違いを実感します。良し悪しは別として、日本の社会は時間を守ることを重要視します。学生たちの生きてきた社会では、それほどのことは求めてこられなかったのでしょう。そのままでは日本では勉強も仕事もできませんから、S先生を始め初級の先生方は時間の厳しさを教え込みます。
Yさんも、今日の10時にK先生に宿題を持って来ることになっていました。しかし、Yさんが来たのは11時過ぎ。Yさんは「今朝7時におきて学校へ来ようと思いました。しかし、宿題をもう一度見たら間違っているところが見つかったのでそれを直していたら約束の時間を過ぎてしまいました」と言います。「どうしてゆうべのうちに完璧にしなかったんですか」「アルバイトがあって忙しかったですから」「ということは、Yさん、あなたはアルバイトが1番で、勉強は2番なんですね」「いいえ、違います」「でも、ゆうべは勉強しないでアルバイトをしたんですよね」…
つまり、Yさんも「10時」を「午前中」っていう程度にしか考えていなかったのでしょう。さんざん叱られたYさんは不満そうな顔をしていましたが、叱るほうだってこちらの気持ちがさっぱり伝わらず、ストレスがたまります。でも、ここは引くわけにはいきません。進学希望のYさんの時間感覚をこのまま放置しておくことは許されません。後味が悪かろうと、直さなければなりません。胃の痛む戦いが続きます。
1月24日(土)
土曜日はJLPTやEJUの受験講座があります。私はH先生やK先生と一緒にEJUの担当で、今日が授業をする日に当たっていました。中級後半以上の学生が相手ですから、みんな6月にそれなりの点数を取るつもりでいます。また、11月はそれに上積みできると思っています。今日はそんな学生たちに冷や水を浴びせました。
「皆さん、6月のEJUで何点ぐらい取ろうと思っていますか」と聞くと、Wさんが350点と答えました。「じゃあ、11月は?」とさらに聞くと、ちょっと間をおいて「360点」と、幾分小さめの声で返事がありました。「6月に350点取った学生は、11月はだいたい落ちますね。下手をすると320点ぐらいまで」。
これはKCPの教育が悪いからではなく、どこの学校もそういう結果の学生が少なからずいるようです。EJUは得点等化をしている関係で、6月より11月のほうが手応えがあってもこういうことになることは十分考えられます。
だから、6月の試験でそれこそ350点ぐらいの点数をたたき出し、総合科目、数学、理科でも得点分布の山の高得点側の中腹から麓の成績だったら、受験競争での逃げ切りが図れます。A大学を始め、11月の成績では間に合わない大学でも勝利が見えてきます。
今日のクラスの学生は、全員6月のEJUの時点では上級以上です。本番までの約5か月、死に物狂いに頑張れれば、Wさんの掲げた350点という目標も、丸っきりの夢物語ではありません。脅すのと同時に、そう言って励ましもしました。学生たちの目の色が少し変わったような気がしました。
1月23日(金)
日本の高校の学習指導要領改訂に合わせて、今年の6月のEJUから数学と理科の出題範囲が若干変わります。先学期の受験講座からそれに対応したテキストを使っていますが、今日の生物は新たに加わった単元を取り扱いました。
生物の多様性、生態系というあたりの話です。環境問題も含めて、こういう分野は最近関心が高まってきていますから、また、これからの世界を動かしていく研究者にはこの方面のセンスが必要不可欠です。しかし、なにぶんにも過去問がありませんからどのくらいのウェートが置かれるのか、どんな出題のしかたなのか、手探りの状態です。センター試験とは出題傾向が違いますから、参考になるような、ならないような…。
個人的にはこの分野には語りたいことが山ほどあります。私の趣味である気象分野もからめれば、授業3回ぐらいは使っちゃうかもしれません。でもそれでは受験講座になりませんから、内容を絞らなければなりません。他の単元は過去問を参考にして取り扱い項目を取捨選択できます。新たに出題範囲となったこの分野は、それができませんから苦労しているのです。
そんな不安と不満を抱えながら今日の授業に臨みました。授業が始まってスイッチが入ってしまうと次から次と言葉が出てきます。脱線しては軌道修正し、テキストの図表を見てはまた脱線し、っていうのの繰り返しでした。私が出題者だったらこんなようなことを聞くけどなって思いながら授業をしました。学生たちにとっては迷惑だったかな。でも、受験勉強を超越して身に付けてもらいたい感覚を、テキストをネタに訴えたつもりです。
1月22日(木)
朝7時半頃、職員室で仕事をしていたら、電話が鳴りました。この時間の電話は、先生方からなら病欠で代講お願いします、学生からなら病気で休みますという内容が多いです。この電話はどっちかなと思って出たら、中級のNさんでした。
「Nと申しますが、M先生はいらっしゃいますか」「M先生ですか? まだいらっしゃってないんですが…」
相手が初級の学生なら「どうしましたか」と聞いてあげるところですが、電話の向こうは中級のNさんですから、どう出てくるかなと思いながら「…」のままです。
「あのー、すみませんが、今日は熱があるので学校を…」 ここまで聞いて、「うん、すばらしい。合格!」と思った瞬間、「…休ませていただけませんか」ときちゃいました。あーあ、バイト敬語になっちゃった。「休ませていただけませんか」で私が「それは困ります。絶対来てください」って言ったらどうするつもりでしょう。
もちろん、他の先生のクラスの学生にそんな意地悪はしません(私のクラスの学生だったら「だめです」と言ってしまうこともあります)。「すみませんが、もう一度お名前、お願いします」「Nです」「わかりました。Nさんは今日熱がありますから学校を休みます、ですね」「はい」「じゃ、M先生にお伝えします」「よろしくお願いします」「はい、じゃ、お大事に」「はい、ありがとうございます」。
実は、ここまできちんと電話での会話ができる学生は、そんなに多くありません。まず、自分の名前を名乗りませんね。口をすっぱくして注意しているんですが、本当にそういう学生が減りません。それから、こちらに目的の教師宛への伝言が頼める学生もあんまりいません。「よろしくお願いします」「ありがとうございます」も、言えませんねえ。だから、「休ませていただけませんか」ぐらいは大目に見なければなりません。
今日は休養を取ったNさん、少しは元気になったでしょうか。
1月21日(水)
昨日の大寒は最高気温が平年を上回り、コートなしでお昼を食べにいったほどでしたが、今日は日中も3度程度で推移し、やっぱり1年で最も寒い時期なのだと思い知らされました。一時は雪さえ舞いました。ちょうど初級クラスの授業中で、「雪」という漢字を教えたばかりでしたから、学生たちは大いに盛り上がりました。「写真は休み時間になってから撮ってください」と大声で注意しなければなりませんでした。
去年の大雪のとき、凍えそうになりながら仮校舎の前の道の雪かきをしたことを思い出しました。道端に寄せた雪が、特に日陰では、だいぶ長い間残っていましたっけ。でも、今日のクラスの学生たちは、そのころまだ全員国にいた計算になります。留学準備をしている頃だったのでしょうか。
雪は休憩時間前にはやみ、学生たちの雪景色に写真はお預けとなりました。東京よりずっと雪が降りやすそうなところから来ている学生もたくさんいますが、みんな一様にはしゃいでいました。雪って不思議なパワーがありますよね。感慨を呼ぶというか、心ワクワクさせるというか、大雪になったら下手をするとうちへ帰れなくなるってわかってて、それでも積もることを願ってしまうんですねえ。もちろん、雪害に悩まされて「白魔」なんて呼んでいる地域はそんなことないでしょう。そう考えると、やっぱり私は冬晴れ地域の人間なんだなと思います。
明日もまた寒いようです。雨の予報が出ていますが、南岸低気圧のコースによってはまた雪がちらつくかもしれません。明日は上級クラスで、去年の雪を知っている学生もいますから、雪の思い出話ができるかもしれません。
1月20日(火)
Mさんは先学期の期末テストの成績が基準点にちょっと足りなかったので、年末年始休み中の宿題を今学期の始業日前に提出することを条件に、進級を認めました。先々週の金曜日に、几帳面な字で答えを書いたノートを持って来ました。厳しくチェックし、間違えたところをフィードバックし、「来週の火曜日から学校だよ」と声をかけて帰しました。
しかし、始業日にMさんは姿を現しませんでした。その翌日も欠席でした。漏れ聞こえてくるうわさによると、國のご家族が急に病気になったとか。その後もなかなか連絡が取れず、結局退学することになりました。
Bさんは今学期から受験講座に参加することになっていました。先学期末、英語のレベルテストまで受けるなど、おとなしいながらも勉強する意欲をみなぎらせていました。ひそかに期待を寄せていましたが、突然、来週退学・帰国するということになりました。
自分の力ではいかんともしがたいことで留学の中止を余儀なくされる学生が、毎学期何名か出てきます。退学の挨拶をする余裕もなく学校を去ることが多いです。そういう学生が退学後どうしているのかまではなかなか調べられませんが、肩を落としながら暮らしているのではないかと、気に病んでいます。
MさんもBさんも今はきっと穏やかではない心境でしょう。でも、自分を敗北者だとは思わないでもらいたいです。胸を張ることは難しいでしょうが、短い間でも日本で生き抜いたことは立派な勲章だと思ってください。もう一度日本に留学できるチャンスは限りなくゼロに近いでしょうが、日本のファンでいてください。
1月19日(月)
朝、1人で仕事をしていたら、Yさんのお母さんから電話がかかってきました。「うちのYは週末から熱があります。休んでもいいですか。病院へ行きます」という相談でした。「それでしたら、病院へ行ってください。病院で診てもらって、早く治してください」「病気で学校を休んだら欠席ですか。出席率が悪くなりますか」「はい、確かに欠席は欠席ですが、アルバイトで学校を休みましたとか、学校を休んで遊んでいましたとかというのとは違いますから、どうぞ、安心して病院へ行ってください」「でも、休むとビザがもらえなくなりますよね」「よく休む学生はそうかもしれませんが、あまり休まない学生はもらえます」。…こんなやり取りをして、Yさんのお母さんに何とか納得してもらいました。
Yさんは来年の大学進学を考えています。受験講座にもきちんと出席しているまじめな学生ですから、ここで少々休んだところでビザに影響が出ることはありません。でも、KCPが厳しく休むなと言い続け、休んだらビザが出なくなると引き締め続けてきたことが、保護者にも伝わって過剰反応を起こしているようです。
心配なのは、Yさんのお母さんの日本語力です。中級のYさんよりちょっと下かなというくらいですから、国の言葉が通じる病院でないと話がわからないかもしれません。あるいは、週末はそういう病院が休診だから今日まで行かずに待っていたのかもしれません。土曜から熱を出して今朝になっても熱が下がらないとなると、インフルエンザのおそれもあります。そういうことも考えましたから、なんとしても病院へ行ってもらおうと思って対応しました。
Yさんは休みました。担任の先生に聞きそびれてしまいましたからどんな状態かはわかりませんが、1日も早く復活してほしいものです。私のクラスにも咳をしている怪しい学生が2名ほどいましたが、変な無理はしていないでしょうね。
1月17日(土)
昨日の上級クラスの学生に書かせた卒業文集の下書きを添削しました。普通の作文と違い、文集に載せる文章の添削は、学生の個性や息遣いを活かさなければなりません。それでいて、10年後に読み返しても恥ずかしくない文章に仕上げていく必要があります。誤字脱字や単純な文法ミスは待ったなしで直しますが、文章の構成や流れに対しては、慎重になります。論理性や明快さよりも、学生の今の姿を大事にしたいのです。
学生の書く文章も、いつもよりちょっぴり気負ったところがあります。いい加減な文章を書かないようにと、「文集はDVDにしますから、半永久的に残りますよ」ってプレッシャーをかけたからでしょうか。使い慣れない難しい言葉を使おうとして自滅しているのもあります。でも、概してよく書けていました。よそ行きの衣をまといながらも、学生の本音が垣間見えます。今年はいいクラスの添削に当たったみたいです。
毎年、この添削をすると、自分の言葉の重みを感じさせられます。アドバイスや励ましで立ち直れたなんて書かれるとうれしいですが、逆に学生を再起不能のどん底に突き落としてしまった言葉もあるんじゃないかと、怖くもなります。学生の人生を左右しかねませんから、軽はずみなことは言えないなと、責任の重さを感じさせられます。
添削が終わった頃、Sさんが進学相談に来ました。B大学に落ち、次の出願についてです。Sさんが帰ったかと思ったら、Zさんが来ました。こちらは同じB大学に受かり、次はぜひとも行きたいN大学に挑戦したいという内容です。Sさんは浪人するかどうかの瀬戸際ですし、Zさんは夢がかかっています。2人にとって最高の選択は何なのだろうか、いつも以上に真剣になって考えました。
1月16日(金)
上級を何学期も続けている学生たちのクラスは、だんだん適当な教材がなくなってきます。卒業の学期ともなると、毎年道なき道を歩くことになります。学生の受けがよかった教材をストックしておき、それを使いまわして何とか切り抜けるというのが通例でした。しかし、今年は学期前に気合を入れて、新しい教材をいくつか用意しました。
昨日から取り組んでいる読解教材は、今までのに比べてちょっと理屈っぽい文章です。数字がたくさん出てくるので、数字アレルギーの学生には辛いかなと思いながら授業をしました。でも、学生たちは思ったよりずっと内容を読み取っていて、Cさんにいたってはテキストに書かれているデータの出し方の不自然な点をぴたりと言い当てました。批判的な読み方ができているなと感心させられました。
最近、「〇〇リテラシー」という言葉をよく目にしたり耳にしたりします。向こうの言い分だけを字面の通りに読むのではなく、その論理に欠陥はないかと吟味していくことが求められています。そういう読み方をする基礎訓練にならないかと思って選んだ教材ですが、Cさんはその期待にこたえてくれたというわけです。
文系にしろ理系にしろ、進学する学生には素直ではない文章の読み方が必要になります。また、社会に出てからも自分自身の身を守るために、だまされない頭を作っておかねばなりません。この教材をうまく育てていくと、上級クラスの最後の学期にふさわしい活動につなげられるのではないかと思いました。
エンタメ系の文章も用意しましたが、硬派の教材でもついてきてくれるのかな。私たちも新しい境地を切り開かないと、学生たちを伸ばしていけません。忙しいのに余計な仕事を見つけちゃったようで、少々複雑な気持ちです。
1月15日(木)
1月期は卒業の学期ですから、今まで1年以上勉強して来た学生が上級にたまっています。この学期の上級に入ると、以前初級や中級で教えた学生久しぶりにまた受け持つことがよくあります。今日の私のクラスには、そういう学生がたくさんいました。
Sさんのえくぼも、Dさんのちょっと甘えたような口元も、Tさんの鋭い目つきも、半年かもうちょっと前に私のクラスだったときと変わっていません。Lさんにいたっては、おととしの4月に入学したとき以来です。一番下のレベルからよじ登ってきて、とうとう上級になりました。でも、ぶっきらぼうなんだけど声のトーンで親しみが持てちゃうしゃべり方は語彙や文法が高度になっただけで、2年近く前の仮校舎での授業がフラッシュバックしてきました。
どの学生にしても、やっぱりそれなりに成長しています。読解ではSさんがにっこり微笑みながら実に的を射た答えをしてくれました。Dさんの文法の例文は文法の肝を捕らえ、感心させられました。ともに前回教えた中級のときに比べると長足の進歩です。思わず微笑みたくなっちゃいますね。
先学期は、7月から12月まで半年間同じ学生たちのクラスを見ていました。1週間に何回も顔を合わせていますから、劇的な進歩を感じることはありませんでした。でも、期末テストの直前に半年前を振り返ると、そういえば、こいつら、初めて会った時はひよこだったよなあって感慨にふけりました。
こうして自分が手にかけた学生たちの成長に直接触れられるというのは、教師の醍醐味の一つです。初級の教室での私と上級の教室での私とでは全然違うと思うんですが、学生の目にはどう映ってるんでしょう。ひらがなの書き方を教えてもらった先生と世界情勢について議論するとは思わなかったって言われたことはあります。
先学期も今学期も初級クラスに入っています。種をまいている気分です。芽を出し、葉を広げ、花が咲いて実が熟れた頃、またそばに寄らせてもらいたいです。