9月16日(金)
Gさんが、受身がわからないと質問して来ました。「先生にほめられました」のような受身ではなく、「赤ちゃんに泣かれました」のような文の意味がつかめないといいます。要するに、自動詞の受身、迷惑の受身の感覚がピンと来ないようです。
「赤ちゃんが泣きました」は事実を述べているだけなのに対して、「赤ちゃんに泣かれました」は、赤ちゃんが泣いたという事実に加えて、赤ちゃんが泣いたことによって寝られなかったとかいらついたとか、表に出てこない話者の状況や感情がそこに盛り込まれています。この裏側の意味がGさんには見えないのです。
それがようやく理解できたところで、Gさんは、さらに、「赤ちゃんに泣かせられました」はどういう意味かと、使役受身について質問してきました。「泣いたのはこの言葉を発している『私』だ」と指摘すると、Gさんは不思議そうな顔をして私を見つめました。いろいろ説明されて「赤ちゃんが原因で私が泣いた」ことがようやく理解できたGさんに、「赤ちゃんは必ずしも泣いたとは限らない」と言うと、Gさんは再び混乱のきわみに陥ってしまいました。
Gさんは、これも最終的には何とか理解しましたが、「受身や使役受身は使わなくても大丈夫ですよね」と逃げを打とうとします。確かに何とかなりはしますが、受身や使役受身を使わないとシャープな表現にならないこともあります。でも、それを今のGさんに伝えることは非常に難しいです。来学期の期末テスト近くになれば、Gさんの日本語力も底上げされ、「赤ちゃんに泣かれました」を、実感を持って理解できるようになるでしょう。そうなれば、それがGさんの日本語力をさらに引き上げることでしょう。これこそが、日本語の機微がわかるということなのだと思います。