頭を垂れる

8月15日(月)

中間テストがありました。終戦記念日とあって、午前中、靖国通りを走る街宣車からの軍歌がわずかに聞こえましたが、中間テストの妨げになるほどではありませんでした。真剣に問題に取り組んでいた学生たちの耳には、届いていなかったかもしれません。

今、船戸与一の「満州国演義」という長編小説を読んでおり、もうすぐ読み終わります。600ページ余りの文庫本全9冊という、船戸与一渾身の遺作です。「砂のクロニクル」を始めとする船戸与一の作品が好きだったので、小説の内容を確かめることもなく読み始めました。登場人物が多く、話の流れが複雑ですが、ぐんぐんストーリーに引き込まれました。

タイトルから想像できるように、大陸における日本軍のありさまが中心となっています。小説ですから書かれていることすべてを事実だとしてはいけないでしょうが、軍の上層部に人がいなかったことが随所に描かれています。最も取ってはいけない手を取り続けた結果が、昭和20年8月15日だったように思えてきました。

無数の兵士が、この上層部の犠牲になりました。「生きて虜囚の辱めを受けず」と兵士にひたすら死を強要し、特攻という、尊い命と、当時の日本において希少資源となっていた金属を使い捨てにする戦術を“発明”したこの人たちは、いったいどういう神経をしていたのかと考えさせられました。

靖国神社は、こういう死を強要した側と生への道を絶たれた側とが一緒に祭られています。私は前者の霊が祭られているという点において、靖国神社で素直に頭を垂れる気になれません。ですから、8月15日は心の中だけで祈りをささげます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です