6月9日(木)
受験講座の受講生Mさんが中国の化学の教科書を持ってきていたので、見せてもらいました。私は中国語ができませんから、すぐにわかるものといえば、NaClなどの物質名や反応式やグラフなどです。それを追いかけていけば、だいたいどんなことが書かれているか、おぼろげながら見当がつきます。もう少し丁寧に読むと、多少はわかる漢字がありますから、教科書に書かれている理論や解説がちょっぴり見えてきます。
「先生はこの教科書がわかりますか」とMさんに聞かれました。「Mさんが日本語の教科書の漢字を見てわかるのと同じくらいはわかると思うよ」と答えると、とてもよく納得できたような顔をしていました。
私が配っているプリント、見せているパワポ、やらせている問題は、すべて日本語で書かれていますから、日本語が完全ではない学生にとっては、さぞ頼りない資料に映るでしょう。Mさんの教科書で化学の授業を聞いたら、化学の基礎知識があっても理解はあまり進まないと思います。学生たちはこれと全く同じ感覚を抱いているのだと思うと、資料を見せたりあげたりしただけで終わりにしてはいけないと、気持ちを引き締めずにはいられませんでした。漢字を使わない国から来ている学生にとっては、私が中国語の教科書を読む以上に困難を感じているはずです。学生にわかってもらえる授業を心がけてきたつもりですが、「つもり」止まりでは意味がありません。
学生が持っている力を十二分に引き出すには、どんな授業をすればいいのでしょうか。学生にとってわかりやすい資料、役に立つ資料って、どんな資料なのでしょう。問題を解かせたあとに何をすれば学生の力を伸ばしていけるのでしょうか。改めて考えさせられました。