5月30日(月)
先週の中ほどに、Cさんから卒業論文の和訳を添削してほしいと頼まれました。上級の学生のつもりで引き受けてしまったのですが、2行読んで安請け合いしたことを後悔しました。Cさんは今学期入学した初級の学生でした。
Cさんは今年何とか大学院に進学しようと思っています。意欲的な学生で、だからこそ、卒論の和訳の添削を依頼してきたわけです。しかし、いかんせん初級の実力で卒論ほどの内容の文章を和訳しようというのは、たとえそれが要約であっても、無理な話です。私だって、自分の専門に近い分野なら、断片的な内容把握から全体像の見当をつけることもできますが、Cさんの研究は私から見るとはるか彼方の分野ですから、想像力の働かせようもありません。1人で頭を抱えていても仕事は進みませんから、Cさんから説明してもらいながら、和訳を完成させていくことにしました。
ということでCさんを呼びましたが、Cさんの日本語力で現状の和訳以上の日本語を紡ぎ出すのは至難の業です。でも、本当に大学院に進学するのなら、どこかの段階で自分の研究内容を目の前に座っている大学院の先生に説明する必要に迫られます。Cさん自身は卒業研究について完璧に理解していたとしても、それを誰かにわかりやすく話して、相手にも理解させるとなると、一筋縄ではいきません。しかも、Cさんにとっての外国語である日本語でそれをするのです。たやすくできるわけがありません。
Cさんの話を聞き、こういう意味かと私が言ったことがCさんの言わんとしていることに近いと、Cさんはまさに愁眉を開くといった明るい顔つきになります。まだまだ遠いと、唇をかみながら思考をめぐらし、別の角度からの説明を試みます。とても時間のかかる作業ですが、Cさんにとっても、自分の言葉で自分の考えを伝え理解させるいい訓練になったのではないでしょうか。
日本語力が付いてくれば、今の和訳がいかに拙いものかわかってくるでしょう。そのころには日本語での卒論の説明も堂に入ったものになっているに違いありません。そのころには朗報が聞けるかな…。