5月14日(土)
来週火曜日の運動会の準備を進めました。教職員総がかりで、当日使う小道具類を揃えたり、競技の進行の最終チェックをしたりしました。KCPにはこういうイベントの時に燃える教職員が多く、準備を楽しんでいるようにも見受けられます。運動会の企画会議の際も、アイデアを出し合っているうちに異様に盛り上がっていったことが幾度もありました。運動会の主役は学生たちであり、教職員は裏方に回りますが、企画の時はこっちが主役だっていう意気込みでしょうか。企画倒れの意見もたくさん出るんですけどね。
私は、運動会では毎回主審を務めますから、一見すると一番目立ち、私が運動会を動かしているかのように思われますが、実は操り人形みたいなものです。各競技担当者の意向に沿い、競技する学生にも、それを見ている学生にも、みんなに楽しんでもらえるように動いているだけです。他の教職員も、おそらく同じような気持ちでしょう。
これは運動会に限ったことではありません。つい先日の端午の節句でも、毎年夏のスピーチコンテストでも、卒業式直前のバス旅行でも、いつでも同じような考えに基づき、企画し、運営していきます。主役に喜んでもらう、楽しんでもらうには、自分はどう動くのが最善かということを常に考えています。
どんな仕事にも、多かれ少なかれ裏方の要素があると思います。仕事とは主役に尽くすことだと言ってもいいでしょう。尽くすとは、サービス業だけに限りません。製造業は、生活を豊かにする製品を供給することで、主役である消費者に尽くしています。こういう意識の強い工場が生き残り、尽くす気持ちの希薄なところは淘汰されます。
消費者としての私たちは、製品やサービスの中の「尽くす」成分を無意識のうちに感じ取ります。そして、十二分に尽くされたと思えれば喜んでその対価を払い、そう思えなければ「高い」と不満を抱くのです。不満を抱くだけでなく、二度と買うまい、行くまいと心に決めることでしょう。
今、S先生が月曜日に学生たちに配る運動会のしおりを印刷している音が聞こえます。私たちの珠玉の志をこめて…。