違和感の根っこ

4月19日(火)

私が担当している初級クラスは、今、「~てもらいます/くれます/あげます」を勉強しています。中級以降の彼らの成長具合を知っている私は、ついつい力を入れすぎてしまいます。先週の名詞修飾もこちらの意欲が上滑り気味だったのに、無反省にまた力んでしまいました。

このレベルは、名詞修飾やあげもらいをはじめとして、日本語の文を理解したり、自分の主張や心情を理解してもらったりという、日本語による情報の送受信を行う上できわめて重要な文法事項が目白押しです。こういう濃密な文法は、教わるほうにも教えるほうにも厳しいものがあります。ここがいい加減だと、中級以降の読解が全く振るわず、発話がいつまで経ってもガイジンっぽいままなのです。ガイジンっぽくても、少しでもこちらが内容をつかめればいいのですが、文字は日本語でも文章は日本語ではないなんていう作文を読まされるのは、こりごりです。

でも、テストで点が取れさえすればいいと考えている学生は、相手を理解したりさせたりというコミュニケーションをとかくおろそかにしがちです。会話タスクの最中に漢字の宿題をやろうとしたDさんに、入試の面接練習の時に及んで真っ青になった諸先輩の顔がダブってきました。

日本人は、「~てもらいます/くれます/あげます」に包まれて生活していますから、あるべきところにそれがないと、違和感を覚えるものです。その違和感こそがガイジンっぽさの根源であり、日本語教師はこれを根絶するべく、授業中に声を張り上げたり宿題を厳しく取り立てたりしているのです。

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