1月22日(金)
Gさん、Fさん、Sさん、Hさん、Uさん、Wさんが合格を決めました。Gさんは実力よりちょっと上の志望校でしたし、Fさんは11月のEJUで成績があまり伸びていませんでしたし、Sさんは今までいろんな学校に落ちまくっていましたし、Hさんはその1校しか受けていませんでしたし、UさんとYWさんは面接練習の段階ではめちゃくちゃでしたし、まあとにかく心配な要素が満載の学生たちが受かってくれて、大いに安心しました。Gさんはよほどうれしかったのでしょう、心なしか涙ぐんでいたようでした。Hさんは私が授業をしている教室まで報告に来てくれました。いつも無愛想なUさんは、メールで知らせてきてくれました。先週の金曜日は苦杯をなめて青い顔をしていたSさんも、今日は透き通った笑顔を振りまいていました。
受かった学生たちの受験のころを振り返ると、鬼気迫るものがありました。死に物狂いで力を伸ばし、それを遺憾なく発揮しようという何物かを感じさせられました。Hさんなんかは、これだけ勉強すれば受験の神様も微笑んでくれるに違いないってくらいやってましたからね。
私が注目するのは、来週からのGさんたちです。受かったとたんにやる気をなくして卒業までぼんやりしていた、なんていう例を今まで掃いて捨てるほど見てきました。来週、教室で無気力な態度だったら、その学生は合格を確認した瞬間が留学生活のサミットで、大学生活が始まっても入試準備の頃の輝きを取り戻すことはないでしょう。先週第一志望校への合格を決めたDさんは、今週課題をしてこなかったとか。同じくYさんは盛んに一時帰国したがっています。授業はきちんと受けているところが救いですが…。
受験の続くSさんは気力を充実させたままでしょうが、それ以外の学生ががたがただったら、指導してきた者としてはショックが大きいですね。そうならないように授業を充実させていくという、重い荷物を背負った気がします。朗報が浪報になってしまったら意味がなくなってしまいます。