さすが新成年‥‥の一方で

1月20日(水)

先日の成人式で成人の祝福を受けたHさんは、学校の近くのコンビニでアルバイトしています。そのコンビニへKCPの学生が来て、タバコを買おうとしました。Hさんは店の規則に従って、年齢確認のため身分証明書の提示を求めました。その学生が出した身分証明書には1996年8月という生年月日が記されていました。Hさんは、その学生へのタバコの販売を拒否しました。

Hさんの判断は、さすが新成年というものであり、悪いことは悪いと断固拒否するところは、いかにも法学部への進学が決まった学生らしいです。また、店員の立場で客の要求を拒否するのは勇気が要ったでしょうが、よくぞ断ってくれたと感心しました。

それにしても、タバコを買おうとした学生です。20歳未満の喫煙は法律で禁じられているとあれほど注意しているのに、まだあきらめようとしません。耳にたこができて、鼓膜が震えなくなってしまったのでしょうか。違法行為を働くということについていったいどう考えているのか、問い詰めてみたいです。

未成年学生の喫煙は、法律を破るか破らないかですから、見逃すとか妥協するとかということはありえません。でも、これが後を絶たないのは、こちらの指導法に欠けているところがあるからなのでしょう。タバコ以外の面で太陽政策みたいな指導が執れればいいのですが、「タバコは絶対ダメだけど、〇〇は認めてあげよう」という“〇〇”が見つかりません。かといって、「タバコは健康に悪いから…」と理詰めに説いてみたところで、タバコが吸いたくてたまらない、日本語の理解力に難のある外国人未成年の心には響きません。通訳を介しても、五十歩百歩でしょう。

学生と教師とのあいだに確固たる信頼関係が成立していれば、こういう指導もうまくいきます。ここで教師力などという抽象的なファクターを軽々しく出したくはありませんが、1週間で学生の心をがっちりつかむ教師もいれば、1学期経っても学生に名前すら覚えてもらえない影の薄い教師もいることは事実です。その違いが未成年喫煙を始めとする法律、ルール、マナーに対する学生の順法精神の違いにつながっているとすれば、教師が自分自身を磨き続けることが学生の人生に直結しているのであり、責任重大です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です