5月1日(水)
これをお読みのみなさんは、授業料を支払って外国語を勉強するとしたら、何語を選びますか。英語ですか。中国語ですか。韓国語ですか。ポルトガル語ですか。フランス語ですか。アラビア語ですか。
おそらく、上述のような言語ではないかと思います。どこかの小さな島でだけ使われている言葉とか、古代ギリシア語とかという方はほとんどいらっしゃらないでしょう。
ただで教えてもらうならともかく、学費をかけて語学の勉強をするとなると、その学費に見合った何物かが得られるかどうかを考えるのではないでしょうか。それは当然のことだと思います。私だって、英語が話せるようになるならしかるべき対価を出す気持ちはありますが、同じ金額でどこかの国のとある部族にしか使われていない言葉を勉強しようとは思いません。
要するに、出したお金と釣り合うだけの価値を手にできるかどうかという、経済的な問題がポイントなのです。現在KCPで日本語を勉強している学生たちにしても同じだと思います。日本語を学ぶことで有形無形の利益が得られると思うからこそ、決して安くはない授業料や渡航費、生活費をかけてでも勉強しているのです。もちろん、目論見通りにいかない場合だってあります。でも、そういうリスクを織り込んでも、学生たちには期待できる将来像が輝いて見えるのです。
もし、日本の国力が衰えて、何の取り柄もない国になってしまったら、わざわざお金と時間をかけて身に付けようなどという人はいなくなるでしょう。失われた30年が、40年、50年となっていったら、いずれ日本語は世界のだれからも相手にされなくなってしまうに違いありません。そうなったら、日本語教師は全員失業です。
…などという話を、養成講座でしました。先日の選挙で日本の政治が少しでも動いてくれたら、日本語教師は首の皮1枚で命を長らえることができそうですが、果たしてどうでしょう。
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