1月29日(月)
足を怪我してからというもの、外に出るたびに何かと不自由を感じています。新宿御苑前駅もその1つで、荻窪行きの電車から降りて階段なしのコースで学校まで来ようとすると、かなり遠回りしなければなりません。階段の上り下りに耐えるか、平坦な道を長距離歩くかの2択となっています。私は、夜明け前の寒空を延々と歩くより階段の上り下りがあっても最短距離ですむコースを選んでいます。
そんなことから、超級クラスの授業でバリアフリーを取り上げました。まず、学生に自分が感じているバリアを挙げてもらいました。すると、健康体の学生たちは、階段とかエスカレーターとかというよりも、不動産が借りにくいとか、アルバイト先で日本人客に信用してもらえないとか、日本人は身分証明書を持たなくてもいいのに自分たちは在留カードを常に携帯しなければならないとか、社会的なバリアをたくさん挙げてきました。
学生たちが訴えたバリアは確かに存在し、バリアを乗り越えなければならない立場だったら辛いだろうなと思えるものばかりでした。「日本の留学生活は楽しいです」と、このクラスの学生に限らず、初級から超級まで多くの学生が口にします。でも、その裏側にはこういうバリアに耐えている、もしかすると涙を流しているかもしれない別の一面もあるのです。
学生たちが挙げたバリアの多くは、日本人側に原因があります。「国際化」という言葉がもてはやされてからかなりの年月が経ちますが、日本はいまだに道半ばのようです。経済力が衰えた上に、このようなバリアを放置したままでは、日本は働いたり勉強したりしに行く国として選ばれなくなるでしょう。
授業の最後に「心のバリアフリー」という動画を見せましたが、本当にこの動画を見る必要があるのは、私たち日本人なのです。
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