3月11日(水)
8時を少し回った頃から、正装と盛装をした学生たちが三々五々集まってきました。去年までは四谷区民センターで行っていた卒業式を、今年は新校舎の6階講堂で行いました。区民センターに比べたらだいぶ狭いので窮屈なことは否めませんでしたが、それだけ卒業生との距離の近い式ができました。
校歌斉唱は、音楽大学に進学するAさんのピアノ伴奏で。昨日、おとといと練習したおかげで、みんな大きな声で歌えました。こういう儀式のときぐらいしか歌う機会はないのですが、歌うたびにいい歌だなあと思います。
卒業式での最大の仕事は証書の授与です。1人1人に「おめでとうございます」と声をかけながら渡します。今年は男の学生に見違えるような姿で私の目の前に現れた学生が何名かいました。Eさんはめがねを取って髪もすっきりして、全くわかりませんでした。Sさんもいつものむさくるしさが消え、好青年風に変身していました。卒業式を重く見ている証拠ですから、びっくりさせられるくらいは我慢しなきゃ。
式辞として、一流の人間になってほしいと訴えました。非常に漠然とした感覚ですが、私ぐらいの年になると、人に会った時、その人がどのぐらいの器なのかということを見てしまいます。そして、私自身が大した人物じゃないくせに、他人の器が見えてしまうことがけっこうあるのです。その時に、大きな人物に映るような人物になってほしいという意味で「一流」という言葉を使いました。現に、KCPへ遊びに来た卒業生に「こいつ、立派になったな」と感じさせられると、なんだかうれしくなります。
式の後のパーティーでは、毎年のことですが、この1年間この学校を支えてくれたこの学生たちが明日からもう来ないと思うと、一抹どころではない寂しさを感じます。この顔がいない学校なんてありえないとさえ思えてきます。大木が用材として切り出された後の、か細い苗ばかりの森を、1年かけて巨木がうっそうと生い茂る森へと育てていく気分です。来年の3月も、きっと同じ気分になるのでしょう。今私が受験講座や初級クラスで見ている学生たちが、きっと立派な柱になってくれると信じています。