7月20日(木)
去年のコトバデーも、曳舟文化センターで行うことになっていました。しかし、感染者の急増とみんなが声を発するというイベントの性質から、規模を縮小して校内での実施となりました。そんなわけで、曳舟文化センターの前まで来た時、長い道のりだったなあと、道の反対側から見上げてしまいました。
私は、例年通り、審査担当。自分のクラスの練習風景を見ている限り、イベントとして成り立つのだろうかという、一抹ではない規模の不安を抱いていました。
手紙部門は、課題に沿って自分たちで手紙を創作し、それをメンバー数人で分担して「読む」というものです。「読む」とは、文字通り原稿のメモを見て、そこに書かれている文を音読することも、原稿を暗記してそれをステージの上から声に出すということも意味します。後者のような発表をするには、かなりの練習量と向上心が必要です。手紙の文章が自分のものになっていれば、「読む」のではなく、「語る」ことができます。聴衆としたら、語ってもらえたほうが心に響きます。このような「語る」ことができたクラスが、初級にもいくつかありました。アクセント、イントネーションに至るまで、かなり訓練してきたのでしょう。上級では、明らかにメモを読んでいるのですが、それが語るになっている学生も少なくありませんでした。さすがと言うべきでしょう。
声優に挑戦部門では、映画やアニメの一場面を、声優になったつもりでそのセリフを言うというパートと、セリフそのものを創作するというパートに別れました。映像のスピードに全然追いつけない状況の練習風景を見てきた私にとって、会場のスクリーンに大写しになる登場人物の口の動きに合わせて、あたかもその登場人物がしゃべっているかのごとくセリフを語る学生たちに驚くばかりでした。初級でも、その段階にまで仕上げてきたところがありました。そういうクラスが多くて、審査は非常に苦労しました。
スピーチコンテストには、自薦の学生7名が望みました。自薦だけあって、どれも中身が濃く、また、よく練習してきたことが十二分にうかがえました。自分自身の悩みを率直に語る姿に共感を覚えた学生も少なくなかったのではないかと思います。
学生たちの指導をしてくださったボランティアの方も、会場まで来てくださいました。終了後に私が声をおかけする前に、「とても楽しかったです」と感想を述べてくださいました。
その一方で、学生たちやクラスの力作を全く無視して、スマホの画面に集中している大馬鹿者が何人かいたことも記しておきます。
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