6月20日(火)
久しぶりにアメリカの大学のプログラムで来ている学生の修了式に出席しました。今学期私のクラスだったDさんやTさん、先学期教えたMさん、オーラルテストで接触のあったJさん、Aさんなどが今学期で勉強を終えて帰国しますから、ちょっと顔を出そうと思ったのです。
修了証書を渡した後で、修了生には日本語でスピーチをしてもらいます。みんな、多少はヨイショもあるでしょうが、日本語の勉強や日本での生活は楽しかったと言います。だけど、これは、修了証書をもらった時点で思い出の美化がなされ、苦しかったことの記憶は薄れてしまった面も多分にあると思います。
DさんやMさんは非常に優秀な学生でしたからそうでもなかったでしょうが、Tさんは漢字に悩まされ続けました。漢字がわからないことが、読解や文法にも響き、テストで合格点が取れないこともありました。入学時は日本語ゼロだったのに、今はそういうスピーチができるまでになったことに喜びを感じているのでしょう。
KCPで勉強する学生の中には、アメリカの超一流校の学生もいます。そんな学生も、テストで合格点が取れなかったら再試を受けなければなりませんし、時間内に作文が書けなかったら授業後に残されます。本人が言わない限り、クラスの学生は、その学生がそんな大学の学生だということを知りません。自分より日本語ができない学生と見ているかもしれません。そうなると、超一流校のプライドもズタズタでしょう。
それでも「楽しかった」ということは、歯ごたえのあるタスクに巡り会えた喜びの表明のような気もします。そうだとすると、さすが超一流校の学生だけのことはありますね。
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