3月29日(水)
読解の授業でビッグデータに関する文章を読んだので、期末テストの作文はビッグデータに関するテーマにしました。ビッグデータなどに関しては私なんかより学生たちのほうが詳しいだろうと思っていたら、作文を読む限り、そうでもなさそうでした。もちろん、大学院でその方面の研究をしようと考えている学生は、採点に困るような“論文”を書いてきました。しかし、読解の授業をさぼっていたのではないかと思いたくなるような作文もありました。
ビッグデータから個人データの収集を強く連想しすぎ、個人データの盗用・悪用に話題が傾いてしまって、ビッグデータを活用した世界、活用されすぎた社会というところに思いが至らない学生が目立ちました。
私はK書店のポイントカードを持っています。本を買うたびにポイントをためています。ある時、私にお勧めの本のメールが届きました。その中に、紹介文を読んでぜひ欲しくなった本がありました。しかし、私はその本をK書店では買いませんでした。これ以上私の好みをK書店に把握されたくなかったからです。K書店は、悪意がないどころか善意の塊で、ビッグデータに基づいて私にその本を紹介したのでしょう。その情報は、私にとって有意義でした。でも、私は自分の心の中をのぞき見されたような薄気味悪さというか、不快感を禁じえませんでした。結局、K書店はビッグデータでお客を1人失いました。私が自分でK書店に足を運び、その本を見つけたら、疑いなくK書店で買いました。ポイントもたまるし。
こんな話を書いた作文に出合ったら、私はどんな採点をしたでしょう。
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