8月12日(金)
ついこの前、学期が始まったかと思ったら、早くも中間テストです。明日から夏休みですから、ちょうどいい区切りかもしれません。
私が試験監督をしたクラスの作文の課題は、「尊敬する人」でした。原稿用紙を配ると、すぐに書き始める学生もいれば、原稿用紙の裏を利用してメモを書きながら構想を練る学生もいました。教室の中をうろうろしつつ学生のそんな様子を観察していたら、Tさんに呼び止められました。試験時間中に声を出したらいけないと思ったのか、原稿用紙の余白に「私は尊敬する人がいません」と書いて、私に見せてきました。
要領のいい学生なら、家族か親戚のだれかを人格者か偉人に仕立て上げて書いてしまうのでしょう。しかし、Tさんはそんな器用さは持ち合わせておらず、真正面から問題にぶつかってしまい、にっちもさっちもいかなくなってしまったのでしょう。何とかしろと言ったところでどうにもならないに違いありません。私は小声で「どんな人なら尊敬できるか考えて書いてください」と指示しました。Tさんはにっこり笑って書き始めました。
出題なさった先生にしたら「余計なことをしやがって!」かもしれませんが、白紙で出させたり意に沿わないことを書かせたりするよりはましだろうと思い、そうしました。Tさんの作文がどう評価されるかは、出題・採点の先生の胸先三寸です。
さて、私がこの課題で書くとしたら、誰を取り上げるでしょう。戦国武将でしょうか、科学者でしょうか、芸術家でしょうか、身の回りのだれかでしょうか、それとも矢吹丈みたいな架空の人物でしょうか。考えてみると、案外難しいなと思いました。もしかすると、Tさんのように立ち往生してしまうかもしれません。
これをお読みのみなさんなら、誰について書きますか。
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