11月12日(金)

午前中、職員室で仕事をしていたら、宅配便屋さんが大きな段ボール箱の荷物を運んできました。「あっ」と言って、F先生が受け取りました。F先生のお父様からの、毎年この時期に届く荷物でした。「お世話になっている先生方へ」ということで、地元・長野のりんごを送ってくださるのです。

箱を開けると、ほのかな香りを放ちながら、真っ赤なりんごが並んでいました。今年はいつもの年より熟れているようです。去年あたりはうちへ持って帰ってから1週間ぐらい置いたような記憶がありますが、今年のりんごは今晩食べてもよさそうです。

私にりんごを見る目がないのか、単に安物だからいけないのか、毎年F先生のご実家からのに勝るりんごは食べていません。適度な歯ごたえと独特な舌触りと甘さだけではない味覚と、幾重にも楽しめます。年に1回のお祭りみたいなものですね。

私は東京生まれなので、Fさんにとってのりんごのような物がありません。東京バナナや雷おこしじゃ季節感が漂いませんしね。大昔なら浅草海苔という手もあったかもしれません。そういう意味で、誰もが納得する絶対の切り札を持っているのはうらやましいです。

そういう長野も油断はできません。温暖化が進むと、長野はりんごではなくみかんの産地になってしまうのだそうです。長野県は教育県ですから、いざとなったら栽培法の研究を進め、みかんを現在のりんごの地位にしてしまうことでしょう。愛媛みかんにも勝ってしまうかもしれません。でも、やっぱり、「長野みかん」ではなく「長野りんご」を食べ続けたいです。

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