何をどうすれば

1月16日(土)

ZさんがY大学に合格しました。Zさんはいろいろな大学を受けましたが、その中で最難関と考えられたのがY大学でした。もちろん、本人にとっては第一志望の大本命です。

Zさん自身から報告を受けたときは、「おめでとう。よくやった」と祝福し、努力をたたえました。私もうれしいのですが、落ち着いて考えてみると、どうしてZさんがY大学に受かったのか、さっぱり見えてきません。EJUの成績がずば抜けてよかったわけでもありません。何回も何回も面接練習をしましたが、最後の最後まで話し方にぎこちなさが残りました。自分で答えを用意してある質問にはスムーズに答えられますが、そうでないことを聞かれるとしどろもどろになっていました。さんざん指導しておいてこんなことを言うのは無責任ですが、勝ち目は薄いなと思っていました。だから、Zさんが受かった要素が思い浮かばないのです。強いて言えば、Zさんは面接で質問されたことを覚えてきて教えてくれましたから、本番の面接ではさほど緊張せずにふるまえたのかもしれません。

何がよくて受かったのかわからないと、Zさんの合格を次の年度の指導に生かせないのです。確かに、私はZさんの受験指導をしました。だから、ZさんのY大学合格について貢献度がゼロだとは思っていません。だけど、結果的にどういう貢献をしたのか、私自身にもよくわからない点が、もどかしい限りなのです。LさんのK大学合格にも、同じようなものを感じています。

午後、まだどこにも受かっていない学生3名の進学相談をしました。この期に及んできれいごとばかり並べるつもりはありません。励ましつつもかなり厳しいことも言いました。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と言います。負ける要素を1つずつつぶしていくことで、道を切り開くしかありません。

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