9月10日(木)
HさんはM大学のコミュニケーション関連の学部を目指しています。日本以外の外国でも暮らしtことがあり、異文化コミュニケーションに興味があるので、大学でもその方面の勉強をしたいと言っています。
ですから、「国を離れて外国で暮らした時、どんなところに異文化を感じましたか」と聞いてみました。すると、「食事と文化と生活方法に感じました」という答えが返ってきました。「もう少し具体的に言うと?」「A国の人は早起きでした。日本は通勤電車が混んでいます」という調子で、議論がかみ合いませんでした。こんな基本的なツッコミで焦点がぼやけた答えしかできないようでは、M大学に手が届きそうもありません。
異文化コミュニケーションという響きのよいカタカナ言葉にあこがれているのでしょう。あこがれも専門分野を選ぶきっかけにはなりますが、あこがれのままで熟成させることなく入試に臨んだら、合格の目はありません。Hさんは、これから出願までの間に、異文化コミュニケーションの何たるかを勉強し、大学で何を学ぶか自分の頭の中で組み立てなければなりません。
ロボットを作りたいというだけのCさんも、議論が深まらない学生です。どんなロボットかと聞いても要領を得ませんし、機械工学科で機械を勉強したいと訴えられても、聞き手は困ってしまいます。Cさんの頭の中には何かがあるのでしょうが、それがこちらには漠然としか伝わってきません。こちらも、徹底した脳内改革が必要です。
出願の山場に向かって、この手の学生が続々と現れてきそうです。繁忙期到来です。
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