責任

1月17日(金)

講堂のステージ上の演壇に立つと、知っている顔やどこかで見かけたような顔やそういえば入学しにいたよねっていう顔など、さまざまな顔が一斉にこちらを向きました。中には「えっ、なんでお前が?」っていうようなのまで混じっていました。これから入試の面接かというようなスーツ姿もいれば、寝巻を着てきたのかと聞きたくなるようなお気楽ないでたちもいました。昨日、いい服を着て来いと注意しておいたはずなのになあ。

そういう学生たちに向かって、責任とは何かという話をしました。盛んにうなずいているのは中級か上級の学生、ポカンとしているのはおそらく初級の学生でしょう。卒業式みたいにみんなが日本語を理解できるか、入学式みたいに大多数に日本が通じないかなら話は楽ですが、このような混成チームを相手にするとなると、どこに照準を合わせたらいいか気を使います。

責任とは、自分で判断し、決定し、行動するから生まれるのです。行動した結果に対して責任を感じなければならないとしたほうが正しいでしょうか。そして、正しい判断や決定ができるようになるために勉強するのであり、広い目で物事がとらえられるようにとわざわざ万里の波濤を乗り越えて日本まで留学に来たのです。そのチャンスをあだやおろそかにしてはいけません。

それからもう1つ、自分のためだけではなく、他人のために働ける人に育ってほしいとも期待を述べました。一人っ子でわがままに育てられてきたとしても、そういうことはだんだん許されなくなります。誰かのために汗が流せるようになることが、成長の証です。

そんなことを、かみ砕いた言葉も交えて、学生たちに贈りました。40年前の新成人の訴えは通じたでしょうか。KCPでは、世間から4日遅れた成人式がありました。

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