10月8日(火)
「先生、数学の教室にいたんですが、先生も学生もだれも来ないんですけれども…」「受験講座は明日からですよ」。1:30過ぎ、学生とこんな会話をしました。
開講日前日、昨夜のうちに受験講座の受講生には、メールで受講科目の曜日と時間帯を連絡しました。でも、今朝の各クラスの連絡で、受験講座は明日からだとも伝えてもらっています。その学生は、講座の開始時刻の前から教室に陣取っていたのですから、きっとまじめな学生なのでしょう。だから、今朝教室での連絡事項も聞いていたはずです。
最近、「ケーキの切れない非行少年たち」(宮口幸治、新潮新書)を読みました。それによると、聞く力が弱いと、親や教師がいくら注意しても言い聞かせても、子ども自身の頭には何も残っていないのだそうです。そして、その注意を聞かなかったからということで叱られ、自己評価が低くなり、非行につながるというのです。
これを読んで、聴解力の弱い学生もこの本に出てくる非行少年と同じような立場に置かれているのかもしれないと思いました。1:30の学生も、午前中のクラスで先生からの口頭連絡または板書で、本日受験講座休講という連絡を受けていたはずです。音声ではそうとらえていても、日本語の聴解力が弱いと、その音声を自分にかかわりのある連絡事項として理解することができないのです。それゆえ、受験講座の教室へ行ってしまい、空振りしてしまったのでしょう。板書をしたとしても見る力が弱ければ、教師が書いた文字列を自分に関する情報と理解できません。
自分たちの注意を守らない学生を、私たちは頭ごなしにガツンと注意します。でも、聞く力や見る力が弱い学生は、なぜ叱られたのかわからないかもしれません。そして、同じことを繰り返し、ダメ学生のレッテルを張られ、劣等生への道を歩み始めます。学生にとっての外国語である日本語で注意がなされるのですから、すぐにはきちんと理解できないでしょう。日本語教師は無論そんなことぐらいわかっています。でも、ガツンとやりたくなる、やってしまうものなのです。これが続くと、やる気もうせてきます。将来の展望も描けなくなります。
よくわからない外国語環境に放り出されている学生たちに対して、その芽をつぶさないように、接し方を考え直さなければいけないと感じさせられました。