卵のもがき

9月11日(水)

私のクラスのHさんは、音楽大学志望です。アートウィークに参加してもらおうと、クラスの教師全員で勧めました。手を変え品を変えHさんの気持ちを盛り上げようとしましたが、最後まで首を縦に振ってくれませんでした。

そのHさんが、アートウィークの演奏会に足を向けました。ピアノやフルートの演奏に耳を傾け、歌の発表も聞きました。昨日も登場したPさんのピアノ演奏も、当然聞きました。その後、「あのぐらいの演奏だったら私でもできました。私も出ればよかったです」と、一緒に行ったS先生に漏らしました。「次のアートウィークには、必ず参加します」と力強く宣言しましたが、来年3月卒業予定のHさんには“次”はありません。S先生にそう言われると、Hさんはとても残念そうな顔をしたそうです。

Pさんが紡ぎだした音が、Hさんの芸術家魂に火をつけたのかもしれません。でも、“後悔先に立たず”を地で行くような話じゃありませんか。このアートウィーク、才能豊かな学生たちに発表の場を与える意味も含まれています。この場で自信をつけ、それが進路に好影響を及ぼせば、喜ばしい限りです。Hさんだって、このチャンスを生かせば、Pさん同様の喝采を浴びられたでしょう。

「やればできるんだ」と「やったんだ」との間には、画然とした違いがあります。Pさんは境界線の向こう側へ軽やかに飛んで行ってしまい、Hさんは地べたに体育座りしてその姿を見ているのです。芸術家は、「作品」を多くの人の前に出すことで、鍛えられ成長するものです。その勇気がなければ、つまり頭でっかちなだけでは、誰からも見向きもされません。自画自賛だけではガラパゴス的芸術家になってしまいます。

こうなったら、卒業式の余興を狙うしかありませんね、Hさん。

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