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7月8日(月)

Xさんは、先学期の期末テストで、文法の点数が合格点にちょっと足りませんでした。だから、期末テストの範囲の文法を使った例文を書いてくるという宿題を出されました。午後、その宿題を持って来ました。

例文を読んでみると、確かに勉強の跡は見られました。しかし、「てんきよほ」だったり、「また」と「まだ」が区別できなかったり、「泥棒が入って台所でケーキを食べられました」だったりなど、看過できない間違いも少なからずありました。

自動詞と他動詞が入れ替わっているのは、指摘したらすぐわかります。しかし、これは“AでなければB”という論理に従って答えただけで、本当にその動詞が定着したかと言えば、怪しい限りです。助詞の間違いもそうです。「を」が違うと言われたから「に」と答えておくとかという発想は、その場しのぎに過ぎません。

このまま進級させるのは忍びないのですが、進学のことを考えると同じレベルで足踏みさせておくわけにもいきません。「普通の勉強のしかたじゃ、すぐに勉強がわからなくなりますよ」としつこく注意したものの、上がってしまったら“普通の勉強”しかしないでしょうね。

Xさんは、入学以来、そうやって上がってきたのでしょう。でも、“何となくわかる”では、これ以上日本語力が伸びることはないでしょう。発想を変えなきゃいけないよとは、私以外の先生にも言われているはずですが、身に染みていないんですね。

それよりも何よりも、Xさんの腕時計は、Xさんの国の時刻を示していました。これじゃあ、いくら年月が経っても、日本の生活になじむわけありません。常に国のことを考えていたら、日本語が定着することはないでしょう。Xさんの先が見えたような気がします。

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