4月17日(水)
パリのノートルダム大聖堂が焼け落ちました。パリ市民の心痛はいかばかりでしょう。1985年の早春、就職する直前にヨーロッパを3週間ほどふらつき、日本へ帰る直前にパリの街を観光しました。ベルサイユ宮殿とルーブル美術館とエッフェル塔と、そして、ノートルダム大聖堂を見ました。真下から、セーヌ川の対岸から、角度を変えて見入ったものです。中に入ると、厳かな、でも冷たさのない空気に包まれて、ずっとたたずんでいたい気持ちになりました。あの大聖堂が消えてしまったのかと思うと、私はクリスチャンではありませんが、大きな喪失感に見舞われました。
このニュースを聞いて、規模はだいぶ違いますが、山口市のサビエル記念聖堂が全焼したニュースに接した時のことを思い出しました。ニュースステーションの終わりに、その他のニュースみたいな中で流された燃え盛るサビエルの映像を見て、叫び声をあげそうになりました。山口に住んでいた時、時々訪れて姿のいい教会だなと思いながら飽かずに眺めていたものです。数年後、サビエル記念聖堂は再建されましたが、焼ける前とは趣が変わってしまい、いまだに訪れていません。
さらにもっと昔、私が住んでいた町には高い無線塔がありました。使われなくなって久しかったのですが、町のどこからでも見える、住民にとっては心のよりどころのようなものでした。しかし、老朽化が進み、私がその町を離れてからしばらくのち、解体されました。友人の婚礼でその町を訪れた時、見上げる存在のない空間を見つめ、町のアイデンティティーが失われたことを痛感しました。
高い建物や塔は、町のシンボルです。それが忽然と姿を消すことは、住民の心に深い傷を負わせます。9.11後のニューヨーク市民もそうでした。ノートルダム大聖堂再建のために、1000億円近い募金が寄せられたと報じられています。それが再建に十分な金額かどうかはわかりませんが、パリに大聖堂の尖塔が再び君臨する日が1日も早く訪れることを祈ってやみません。