6月10日(水)
避難訓練をしました。地震の後で火災が発生したという想定で、全校の学生が非常階段を使って脱出し、広域の避難場所である新宿御苑の手前の、四谷区民センターまで行きました。帰りに一時避難場所である花園公園前を通り、学生たちに場所を確認させました。
学生時代、私は城南地区の住宅密集地帯にある築年数不明のぼろアパートに住んでいました。そこは、多摩川の巨人軍グラウンドが避難場所に指定されていました。平時に歩いても1時間はたっぷりかかるところです。非常時にはたどり着けそうもありませんでした。大地震が来たらアパートもろともつぶされて死ぬしかないだろうなと思っていました。
それに比べれば、この校舎は地震には強く、避難場所も近いです。阪神大震災での神戸並みの揺れに襲われても、ほぼ間違いなく生き残れるでしょう。しかし、地震で死ななかったらそれで終わりではなく、生き続けていかねばなりません。学生たちを生かしていかなければなりません。その任務は非常に重大ですが、常々そこまで考えが及んでいるかというと、目の前の仕事にかまけて何も考えていないに等しいというのが現状です。
おしゃべりするなと命じたら黙々と私の後について四谷区民センター前まで歩いていった学生たちの顔を思い浮かべると、こちらこそがしっかりしなければと思わずにはいられませんでした。学生に災害時に取るべき行動を考えさせるつもりだったのが、そっくりそのまま自分に返ってきたようです。