6月1日(月)
「『歩く』の「止める」と「少ない」はくっつけませんよね」「ええっ、くっつけますよ」「でも、私の見た本にはくっつけないって書いてありましたよ」「漢字の教科書ではくっついてますよ」と、初級のS先生とT先生がやりあっていました。上級のテストだったら、くっついていようがいまいが、上に「止」が、下に「少」が書いてあったら〇だけどなあと思いながら聞いていました。
今学期は初級クラスに入っていて、私も漢字を教えます。はねるとかくっつけるとかいうのを自分なりにチェックしてはいるのですが、学生から細かいところを突っ込まれて苦しくなることもあります。私は、画数が違っていなければいい、読めればいいと思っています。「土」と「士」は違う字ですから上が長いか下が長いかを厳密にチェックしますが、「本」の1画目が多少長かろうと短かろうと気には留めません。「見」と「貝」はきっちり区別しなければなりませんから、脚の部分の曲がり具合は厳しく目を光らせます。しかし、その脚と上の「目」の部分がくっついているかいないかは、どうでもいいと思っています。
ところが、中間テストの採点を見ると、私などどこが間違っているのかわからないのに不正解とされている答えがあります。なんで×なのか学生に聞かれたら、「上級なら〇なんだけどね。初級は字の形をきちんと覚えなければなりませんから、もう一度教科書をよ~く見てください」と言って逃げます。ま、半分は本当のことですからね。
外国人留学生に漢字の基礎をたたき込まなければならないことは疑いのない事実です。中国人には中国語の漢字と日本語の漢字が微妙に違うことをうんと強調しなければなりません。しかし、そういう子細にわたる部分にこだわり過ぎると、漢字に対する苦手意識を持たせてしまうのではないかと思うのです。それが高じて漢字アレルギーになってしまったら、元も子もありません。
言葉はコミュニケーションの道具です。文字であってもそれは変わりません。誤解を生まない範囲であったら、多少字形が不細工であっても、〇なんじゃないでしょうか。私自身がいい加減な漢字を書いているから、自己弁護のためにこんなことが言いたくなるのかな…。