3つ3冊

4月11日(水)

始業日の大きなイベントに教科書販売があります。買ったばかりの新しい教科書を手にした学生たちは、いつの学期でもどのレベルでも、みんなぱらぱらとページを繰って、新しい本特有のインクのにおいを味わいます。私も、新しい教科書を受け取ると、後ろのほうのページを見ては難しさに戦きながらも、その難しいことを理解した日の自分を無理に想像してみたりもしたものです。

午後は、その教科書販売の補助をしました。初級レベルの各クラスの学生が、クラスの先生に連れられて、今学期使う教科書や教材を買っていきました。

A先生のクラスは、KCPで勉強して2学期目の学生が主力です。2学期目の学生に必要な教科書教材は、3冊です。A先生は、各学生にそれを全部買うかどうか、確認を取ります。

A先生:Bさん、教科書は3つですか。

学生B:はい、3つください。

私:はい、3冊ですね。どうぞ(と言って、教科書3冊を手渡す)。

A先生:次の人も3つですか。

学生C:はい。

私:こちら3冊です(と言って、教科書3冊を手渡す)。

A先生:(次の学生と目を合わせて)3つですね。

学生D:3つ、必要ですか。

A先生:はい、3つ全部使いますよ。

学生D:じゃあ、3つください。

私:はい、3冊、こちらです。

…。

学生たちは、本を数える時には「冊」という助数詞を使うことは、前の学期に勉強しています。ですから、教師が本を「3つ」などと言ってはいけません。学生の前でA先生に注意したら面目丸つぶれですから、くどいほど「3冊」と言い続けて気づいてくれるのを待ったのですが、A先生はずっと「3つ」でした。

もう一つ下のレベルなら、指を3本立てながら“教科書3つ”もありでしょう。でも、「冊」が既習の学生にとって、教科書販売は“「冊」はなるほどこういうときに使うんだ“という実例を見せる絶好機でした。それをみすみす見逃してしまったのはいただけません。

日本語教師にとって語彙のコントロールは頭の痛い問題です。難しすぎる言葉を使わないようにという出力抑制型のコントロールが普通ですが、平たい表現に傾き過ぎないという意味の語彙コントロールも同じぐらい重要です。

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