2月20日(金)
私が担当している超級クラスでは、日本人ゲストを迎えての会話がありました。ゲストの皆さんには、「学生を外国人とは思わないでください。手加減しないでふだん使っている日本語で話してください」とお願いしておきました。
学生たちはゲストを迎えるまでは多少緊張した面持ちでしたが、ゲストがいらして話が始まるとそんな様子は見られなくなりました。ゲストの皆さんも、「うーん、っていうかー」なんていう感じで、ご自身がお友達とおしゃべりするときような、ごく普通の日本語を話してくださいました。そばで見ていて、十分にコミュニケーションが取れたんじゃないかと思います。
その授業の後、ちょっとした問題を起こしたSさんに説教をしました。Sさんも上級の学生ですから、普通の日本語が通じるはずの学生です。こちらもSさんのしたことの何が問題なのかきちんと悟らせねばなりませんから、むしろいつもより丁寧目に話しました。しかし、Sさんは何回か聞き返したりわからないという顔をしたりしました。動揺しているから、緊張しているからという面も多分にあるでしょう。どうやら、学生にとっては説教の日本語は日常会話よりも数段上のようです。
同じようなことは、電話口でもよく発生します。たとえば学生が出願書類なんかについて大学に問い合わせたとき、上級の学生であっても「先生、代わって」と言われることがよくあります。厳密な日本語が使われ緊張が強いられる場面となると、いつものようにというわけにはいかないのでしょう。
叱られたり、場合によっては自分が不利な立場に追い込まれたりしかねないような場面での日本語というのには、KCPを出てから頻繁に出くわすでしょう。それに耐えられるような日本語力を付けさせるって、かなり難しいものだと思います。