12月7日(木)
「〇〇についてどう思いますか」とクラス全体に聞いたとき反応してくれる学生、指名したときに必ず何か答えてくれる学生は、教師にとってありがたいものです。その学生の答えを軸にして、授業を進めていけます。
Yさんはそんな学生の1人です。頭の回転も速く、うがった物の見方もできます。クラスメートもYさんには一目置いていて、Yさんが話す時はみんな耳を澄まして聞いています。
ところが、小論文となると、Yさんはとたんに歯切れが悪くなります。舌鋒鋭く切り込んでいたのが、筆鋒は鈍ってしまい、毎回焦点のぼやけた文章になってしまいます。Yさんの文章には「~とおもう」「~かもしれない」のような、断定を避ける表現が多すぎるのです。誤解が生じないようにというつもりなのでしょうが、1つのことを述べるのに留保条件が多く、文を読んでもYさんの言わんとしていることが頭にスッと入ってきません。
文だと証拠に残ますから、間違ったことを書かないようにと腕が縮こまっているような気がしてなりません。口から発する言葉では言い切ることができても、文だとそこまでの勇気が湧かないのでしょう。でも、これでは小論文の読み手の心には響きません。
それから、抜け落ちがないようにと、たかだか数百字の文章に何でも盛り込もうとするきらいがあります。すると、課題に対して広く浅く全体をなでるような小論文になり、散漫な印象しか残せません。どれか1つに絞って突っ込んで書いてくれたほうが、読み手からすると議論のしがいがあります。
要するに八方美人過ぎるのです。自分の手で自分の角を矯めて、個性を殺しています。向こう傷を覚悟の上で相手に切り込んでいく気概がほしいです。クラスにいるときの尖ったYさんのほうが、らしさがあふれているんですよ。