12月2日(土)
毎週火曜日に選択授業の小論文がありますが、火曜日と水曜日は受験講座が目一杯入っており、木金は、今週は面接が入っておりという具合で、読むのが土曜日になってしまいました。
私のクラスは、大学進学希望の学生が主力ですが、大学院進学希望の学生も数名います。この大学院進学組が、結構光る文章を書くんですねえ。4年間長く鍛えられたのは伊達じゃないなと感じさせられます。
どこが違うかというと、大学進学組は自分の視点が課題の中に埋没しがちなのに対して、大学院進学組は課題を俯瞰してもう一回り大きな世界での位置づけを書くことができる点です。読んでみて、採点者の立場を忘れて感心させられたことも、一再ならずあります。大学院進学組は、独自の視点が確立しているのに対して、大学進学組はそこまで至らず、ありきたりの捕らえ方にとどまっていることが多いようです。
大学院進学組が確固たる自分の視座を持つに至ったのは、大学4年間のうちにそういう訓練を受けてきたからではないでしょうか。これは、彼らが国の大学でしっかり勉強してきた証左でもあります。
大学院での研究計画書を作成するには、独自の物の見方が要求されます。同時に、それを日本語で表現できなければ意味がありません。KCP入学以来、もしかすると国にいたときから、この両者を追求してきたのです。また、彼らの年代で年が4つ違うことは、相当大きな成熟度の差をもたらします。それが文章の上に表れていると考えることもできます。
大学進学組も、進学したら日本人の大学1年生に比べると1~2歳、あるいはもっと年上です。しかも、幾多の困難を克服して入学しているのです。今度は、彼らが日本人の同級生に差をつける番です。