11月24日(金)
授業が終わると、Lさんが質問に来ました。Lさんは、いつも、その日の授業内容や、それ以外に日頃自分が疑問に思っていることなどを質問します。とても勉強熱心で、自分の力を伸ばそうという意欲がひしひしと感じさせられる学生です。
じゃあ、順調に力が伸びているかというと、必ずしもそうではありません。どうしてかというと、木を見て森を見ず的なところがあるからです。細かいところに目が行き過ぎて、物事を大づかみすることが苦手なようです。重箱の隅をどつきまわして重箱を壊してしまうタイプです。
Lさんの読解の成績は、上級になってから下がっています。勉強を怠けたからではなく、大きな目で文章全体を眺めるということができていないのです。慎重な性格ですから、わからないことを残したまま前に進むことができず、局地戦ばかりを続け、大局的な戦局を見失い、勝機を逸しているように思えてなりません。
読解の時には、小説などだったらその場面を頭の中で思い描きながら読めと指導しています。論説文なら具体例を考えながら読めと指導しています。ところが、文章理解のキーとなる単語の意味を「この文章の中ではどういう意味ですか」と聞いても、辞書的な意味しか答えられない学生が多いです。さらに、わからない単語の解説をして、語句レベルでは不明な点がないようにしても、少なからぬ学生がその場面を具体的にイメージできません。
私が英語を勉強した時はどうだったかなあと思い返してみると、乏しい想像力を駆使して文章をイメージ化していました。私もLさん同様単語の意味や文法にこだわるたちでしたが、それと文章の読解は別と割り切っているところがありました。
Lさんはまだ行き先が決まっていません。志望校を見る限り、ここで脱皮しないと苦しいです。木をじっくり見ることは美質でもありますが、それを封印することも、後にその美質を生かす上で必要なのです。