11月4日(土)
朝からずっと、火曜日の選択授業で学生が書いた小論文を読んでいます。自分の志望する学部学科専攻に関する最近のニュースについての意見を書いてもらいました。超級の学生たちですから、解読不能な文章はありませんが、平凡な内容が多くて疲れてきました。
入試の小論文となると、学生たちは安全運転に走りたくなるのでしょうか。「この問題に関してはAだと思う」とはっきり述べず、「Bの可能性もある」と結論をぼやかしてしまう学生が多いです。こういう八方美人型がもっとも嫌われるのに、敵を作らないようにしているつもりなのでしょう。
また、何かの受け売りっぽい結論も目立ちました。そういう意見に至る過程や理由に独自のものがあれば評価できますが、そこにも何もないとなれば、これまたいかんともしようがありません。
しかし、読んでいくうちに、学生は自由を与えられすぎて何をどう書いていいのかわからず、書きやすそうな話題について議論してみたら、あいまいな結論になったり、どこかで読んだり聞いたりしたことのある意見になってしまったりしたのではないかと思えてきました。でも、自分がこれから学ぼうとしていることについてですよ。常にアンテナを広げて、そこに引っかかってきたことに対して自分なりの考えは持っていてほしいですね。
ことに、学部入試の学生は、思い切ったことを書いてほしいものです。大学院の受験生は専門教育を受けてきていますから、それに基づいたまっとうな回答が求められますが、学部入試は、非常識でさえなければ専門的に見て多少おかしくても、向こう傷と見てもらえるものです。私が読んだ文章には、そういう生きのよさが感じられるものが少なかったです。
来週の火曜日にこれを返して、新しい課題で書かせて、それを添削して…。入試が迫っていますから、私もプレッシャーを感じます。