5月18日(月)
昨日、「大阪都」構想の是非をめぐる住民投票が行われ、反対票が賛成票を上回りました。この結果、これからも従来の大阪府と大阪市が存続することになりました。
反対票が賛成票を上回ったといっても、その差は投票総数140万票あまりのわずかに1万票です。橋下市長にとっては文字通りの惜敗でした。また、投票率は66.83%と、大阪市で行われた選挙にしては近年まれに見る高さでした。それでも、昨年行われたスコットランド独立住民投票の85%には遠く及びませんが。
投票率が66.83%だったということは、約3分の1の有権者が棄権したということです。賛否の票差が1万票だったことを考えると、棄権した約70万人の責任は重いと言わざるを得ません。どういった理由で投票に行かなかったのかはわかりませんが、この人たちの一部分でも投票していたら逆の結果になっていたかもしれません。
連休に大阪へ行ったとき、市営地下鉄では投票を呼びかけるアナウンスをしていましたが、賛成・反対どちらの街頭演説にも出会いませんでした。山の中ばかりではなく、難波、日本橋、梅田と、繁華街も歩いたんですけどね。また、ポスターは、首長選挙や議会選挙と違って公共のポスター掲示板があるわけではなく、街角の電柱や塀などに控えめに括り付けられたり張られたりしていただけでした。
そんな大阪の雰囲気を味わってきて、本当に盛り上がっているのかなと思いながら帰京しただけに、この投票率には驚きました。だから、棄権した人々の責任を追及したくなるのです。自分の1票では世の中は変わらないと思いがちですが、今回は変えられたかもしれなかったのです。大阪市民1人1人がキャスティングボートを握っていたのに、それに気付かずやり過ごしてしまった人が3分の1もいました。
今回の例は結果論ですが、これは全ての選挙に言えることではないでしょうか。サイレントマジョリティーなんてカタカナ語で言うとかっこよく聞こえますが、要するに何も決められないか自分の社会に対して責任を持とうとしないだけです。選挙権の引き下げに向かって動いている中、若い人たちには今回の結果を自分たちのこととしてとらえてもらいたいです。