10月3日(火)
この学期休み中は、通常授業はありませんが、養成講座の講義が何回かあります。通常授業とは違って日本人相手ですから、言葉が通じない心配はありません。でも、私が担当している文法の場合、受講生が小さい頃からずっと勉強してきた学校文法の枠組みを一度壊して、日本語文法として再構築していきますから、聞き手にとって新たな何事かを理解させていくという点においては、通常授業と変わるところがありません。
そうすると、やはりただ単に知識を垂れ流ししていくだけでは仕事をしたことにはなりません。私が有している知識や経験を、いかに生き生きとした形で伝えていくかを考えねばなりません。そのためにはどんな論理構成で話すのが一番わかりやすいかを考え、どんな資料を用意すれば効果的か頭をひねり、どんな問いかけをすれば受講生の刺激になるか作戦を練り、ようやく1つの講義を作り上げます。
ところが、こうして作り上げた講義を、当日あっさり壊してしまうことがよくあります。迷った末にこの方法でいこうと決めたのに、受講生とやり取りしているうちにまた気が変わって、没にしたのが復活させたり全く予定外の進め方をしたりすることも一再ならずあります。自分の作った台本にとらわれていては、受講生の要求に応えていることにはなりません。臨機応変というか、行き当たりばったりというか、こういう思い切りの良さみたいなものが、何が起きてもびくつかないところが、私の特徴じゃないかと思っています。
受講生には、こういうところも盗んでほしいものです。私があと30年この仕事を続けることは考えられませんが、今の受講生が30年後も日本語教師をしていることは十分ありえます。30年後に、今の私のように後進に何事か伝えているかもしれません。その時に、今の私の言葉をほんの一部でも思い出してくれたら、私の知識や経験がその人に伝わっていくことになります。そんなこともちょっぴり考えながら、講義をしています。