11月5日(土)
火曜日の選択授業で学生に書かせた作文の採点をしました。作文と言っても、ある小説を読んでその書評を書くというものですから、EJUの記述試験や小論文対策のクラスとはずいぶん毛色が違います。
さて、その書評ですが、つまらないとか平凡だとかという否定的な意見が大半を占めました。そんなどうしようもない小説を読ませたのかと言えば、もちろん違います。ネタバレになるのであまり詳しくは書けませんが、学生たちは“夏の甲子園”という要素に気がついていませんから、教材の小説が表している主人公の心の美しさが見えてこなかったのです。
この授業は超級の学生向けで、日本語や日本文化に通じていると自他共に認める学生たちが集まっています。それでも、日本人だったら絶対に見逃すはずのない、必ず何らかの反応を示す“夏の甲子園”をほとんどスルーしてしまっています。私もこの“夏の甲子園”があるからこそ、この小説は光っていると思い、学生たちに読んでその輝きを感じてもらおうと思ったのです。
彼らと同じ年頃の日本人の高校生や大学生は20回近く夏の甲子園を肌で感じてきています。これに対して、このクラスの学生たちが日本で暮らしてきた期間は、長くて2年弱です。夏の甲子園はせいぜい2回。初級で入学した学生は、去年の夏はわけのわからぬうちに過ぎ去ってしまったことでしょう。2年目の今年の夏にしたって、学生たちにとっては夏の甲子園など他人事であり、注意も感心も払わなかったことでしょう。
夏の甲子園は、もはや日本の伝統文化と言ってもいいでしょう。秋でも冬でも、あの熱狂を思い浮かべることは容易にできます。選手1人1人の一挙手一投足に一喜一憂し、感動を覚えたことは誰にでもあるはずです。しかし、学生たちにはその感覚がなかったということなのです。学生たちが気付いていない日本の文化、日本人のメンタリティーだとも言えます。
来週の火曜日に、この作文を返します。そのときにどんなことを伝えようか、明日と明後日で考えます。