もうすぐです

3月18日(金)

学期末が近づくと、次の学期の受験講座の準備が始まります。まず、新学期のレベル3になる進学コースの学生に対し、EJU各科目の対策講座のオリエンテーションをします。それから、進学コース以外の学生で受験講座を受講したい学生への説明会を開きます。最近は対象者のほとんどが海外でオンライン授業を受けている学生たちなので、こうしたオリエンテーション・説明会もオンラインです。

対面でもパワーポイントを使って話しますから、それをZOOMに乗せるだけなので、私にとっては大きな違いはありません。ただ、質問は対面の方が多いですね。対象が初級の学生ですから、やさしくゆっくりしゃべっても通じなかったのかなあと心配にもなります。

通じる通じない以前に、聞き取れていないおそれも感じます。パワーポイントのスライドにも明記したし、ゆっくり繰り返し話したのに、「○○について説明してください」という質問を受けることもあります。聴解力が伸びていないのでしょうかねえ。目と耳とを複合的に使って話し手の言わんとしていることを把握する力が、3年前より落ちている気がします。ある程度まとまった話を聞いて、内容を理解して、何かリアクションを起こすというのは、どこに進学しても求められる力です。KCPに受験講座は、これも自然に養えます。

夕方からの説明会に参加したHさんは、昨日来日したばかりの学生です。「受講料は日本へ来てから払ってください」と言ったら、Hさんの鼻が少し膨らんだような気がしました。画面に出ていた他の学生たちも、「そうだよね、もうすぐだよね」という顔をしていました。

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しっかり身構えて

3月17日(木)

寝入りばなを襲われました。ミシミシという音とベッドの揺れで目が覚めました。あ、地震だと思って、時刻を確認しました。異常事態が発生したら、まず時計を見ます。何時何分と確かめることで、落ち着きを取り戻すのです。

程なく揺れのピークは過ぎ去りましたが、揺れが収まるまでにはしばらく時間を要しました。しかし、物が落ちたとか倒れたとかという気配は感じませんでしたから、震度2か3かなと思いながらそのまままた寝てしまいました。

朝起きて家の中を改めて見てみると、いつも開け放っておくドアが半分閉まっていました。1階まで新聞を取りに行こうとエレベーターホールまで出たら、「地震」という表示が出てエレベーターが止まっているではありませんか。私が寝ぼけた頭で感じたよりはるかに激しく揺れたようでした。

新聞を読みながら朝食を取るのが日課なのですが、新聞を取りに行けないのでテレビをつけました。すると、「宮城・福島震度6強」「津波注意報」という言葉が躍っているではありませんか。慌ててネットで調べたら、私のうちのあたりは震度4でした。エレベーターが止まってもおかしくはありません。LINEを見てみたら、地震の直後にKCPの先生方は連絡を取り合っていたようでした。

1階まで階段で下りるなんて朝からしんどいなあと思いつつ、早めに家を出て非常階段に向かうと、エレベーターが復旧していました。おかげで、エントランスのベンチに腰掛けて新聞を読む時間すらありました。

東京メトロは平常運転で、四ツ谷で外に出た時、空の明るさに驚きました。このところ、朝曇っているパターンが続いていましたからね。学校の中は異状なしでした。

3.11に比べれば桁違いに少ないとはいえ、犠牲者や負傷者が出たことには胸が痛みます。日本で暮らす限り、1日たりとも油断はできません。

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何を鍛える?

3月16日(水)

"塩少々“と言ったら、どれぐらいの量を想像しますか。もちろん、どんな料理か、何人前作るか、口にする人の好みなどによって左右されます。しかし、そういう条件が決まれば、このぐらいという勘が働くのではないでしょうか。そんな感覚が全然わいてこないという人は、料理をし慣れていない人です。

料理に限らず、私たちは日々の活動すべてに、ほとんど無意識のうちに、勘を働かせているものです。雨が降っているから少し早めにうちを出ようとか、車の運転ならブレーキの踏み方とか、日本語教師だったらどんな練習にどのくらいの時間が必要かなどというのも、このうちでしょう。

こういった勘が働かないと、うまくいかないとまでは言いませんが、スムーズに事が運ばないことが多いです。誰でもそこそこできるようにと、この勘の部分にAIを導入しようとしているのが昨今の社会の流れだと言ってもいいでしょう。数年後には多くの勘がAIに代替されているかもしれません。

しかし、AIには代替されない勘もあります。それは受験における勘です。例えば、数学の問題を解くときに、こういう道筋で考えれば答えが得られるという勘、得られた答えが合っているかどうかという勘、そういった勘は受験生が地道に養っていくほかないものです。これは、ある程度までは口伝も可能ですが、それ以上は受験生自身の努力と訓練によってのみ育てられるのです。

そういう点、理科系の受験講座の学生たちは、まだまだですね。これから相当鍛えていかないと、6月のEJUに間に合いません。あと3か月と3日です。

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使いすぎが懐かしい

3月15日(火)

外国人の日本語会話力を測る方法はいろいろあるでしょうが、私は、「んです」の使い方で判断しています。例えば、間垣親方(元横綱白鵬)や照ノ富士など、幕内の、しかも上位まで昇進したり、ある程度以上長期間相撲界に身を置いていたりする外国人力士は、ほぼ例外なく「んです」を過不足なく使っています。高見山や小錦も自然に使いこなしていましたから、この基準は信用できると思います。

この基準に則ると、KCPの学生は、総じて会話力があまり高くないです。JLPTのN1のスコアを比べれば、上述の(元)力士たちよりKCPの学生たちの方が高いでしょう。しかし、インタビューに答えたり、大勢の人々を前にしてまとまった話をしたりする力は、力士たちの方が桁違いに高いでしょう。要するに、KCPの学生は話し慣れていないのです。丸暗記した志望理由を述べ立てるだけでは、会話力は伸びません。

もちろん、KCPにも「んです」を上手に使う学生がいます。あまりじっくり話したことはありませんが、卒業生のCさんなんかは、話が違和感なく頭の中まで入ってきました。うっかりしていると、どこで「んです」を使ったかわからないくらい自然です。こういう学生は、進学先でも周囲から多くのことを学べるのだろうと思います。

一昔前は、「んです」を使いすぎる学生が目立ったものですが、最近はそういう学生がいなくなりました。みんな机に向かう勉強が中心で、日本語で話す相手は教師ぐらいしかいないのでしょうかね。オンラインでそういう傾向が深化したのだとしたら、他の授業を犠牲にしてでも何か手打たなければなりません。

今週中にも海外にいる学生が入国してきます。長い時間待たされてきただけに、期待も大きいでしょう。「んです」を鍛えて、日本まで来たかいがあったと思わせたいです。

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今年1番の陽気

3月14日(月)

朝から暖かかったですね。コートもマフラーも手袋もなし、春装束で出勤しました。そのかっこうでも、私が家を出る日の出前でさえ全く寒くなかったです。先週まで、出勤して1番の仕事が暖房をつけることでしたが、今朝はまずブラインドを上げました。曇り空から小雨がぱらついていましたが、窓の外から弱いながらも明るさが窓辺に入り込んできました。

お昼を食べに出た時はすでに快晴となっていて、日なたはスーツの上着すら要らない感じでした。むしろ、店の中のほうが肌寒くさえありました。公園のベンチでひなたぼっこをしたら気持ちいいだろうなと思いましたが、道に朝の雨の名残があったので、ベンチも濡れているのではないかと思い、我慢しました。

東京の最高気温は24.1度で、もちろん今年最高。5月上旬並みと言いますから、もはや初夏です。週末から暖かい日が続いていますから、桜のつぼみも膨らんだことでしょう。うちの近くにある早咲きの桜は、昨日の午後の時点で満開でした。予報によるとしばらく暖かい日が続きそうですから、普通のソメイヨシノも案外早く咲き始めるかもしれません。

こういう日は、外に出られて幸せだと思います。オンライン授業を続けている学生たちが気の毒に思えます。オンラインだからと言ってどこにも出ない学生は少ないでしょうが、この陽光を堂々と浴びさせてあげたいものです。東京の新規感染者数が久しぶりに5000人を割りました。この調子で行けば、新学期は新入生も含めて学校で授業ができそうです。そうなった時が、学生たちにとっての本当の春かな。

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何を学んだ?

3月11日(金)

あの年も、3月10日(木)が卒業式でした。あの日は、前夜多くの卒業生と語り合ったので、若干疲れ気味の体を引きずって出勤しました。8時ごろ、授業の準備をしていたら、午後の便で帰国するという学生が挨拶に来てくれました。「元気でね」と言って、手を振って見送りました。卒業生がごそっと抜けた午前クラスは、大半がクラス消滅です。私は残った数少ないクラスの1つの授業をしました。

朝の授業に遅刻して文法テストを受けられなかった学生の追試をしていた時です、揺れが始まったのは。その学生は机の下にもぐり込んだものの、腰が抜けてしまったのか、揺れが収まっても立ち上がれず、ただ泣くばかりでした。朝の学生は、おそらくきわどいタイミングで日本を離れられたのではないでしょうか。成田あたりで足止めを食らっていたら、きっと困り果てて学校に電話をかけてきたでしょうから。

伊勢丹のレストランの招待券がありましたから、早めに仕事を終えておいしいものを食べようと思っていましたが、そんな予定は吹っ飛んでしまいました。津波の映像を見ながら、帰宅できなくなった午後クラスの学生とともに、学校で夜を明かしました。

その後の日本がどうなったかは、皆さんご存じのとおりです。東京であの日の傷跡を見つけるのは難しいですが、東北地方にはあの日から手つかずのままのところもあれば、大改造を施されて以前の姿が想像もできなくなっているところもあります。「塗炭」などという生易しい言葉では済まされないほどの苦しみを、今も味わっている方たちがいることを忘れてはなりません。

世界はどうでしょう。あの後、世界中から温かい支援の手が差し伸べられる一方で、日本全土が放射線で汚染されているかのような報道もなされました。そういった誤解も、だいぶ解けてきたように思えます。それだけに、原発に攻撃を加えようとしている大国のリーダーには怒りを禁じえません。彼は、FUKUSHIMAから、原発は据え置き型の核兵器だということを学び取ってしまったのでしょうか。

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暖かい芝生の上で

3月10日(木)

本当に久しぶりに学生がおおぜい学校へ来たと思ったら、それは卒業式でした。授業は今もオンラインですが、新規患者数も減りつつあるので、卒業式ぐらいは対面でやろうということになりました。今学期が始まった早々ぐらいから準備に取り掛かり、この学校で勉強したんだという思い出を築けるようにと知恵を絞ってきました。

今年の卒業生は、在学期間の半分はオンラインだったと思います。オンラインじゃなくても変則的な授業時間でしたから、校舎内で学生同士が顔を合わせるというチャンスに乏しかったです。ですから、クラスメート以外の友人を作る機会に恵まれませんでした。そうそう、クラブ活動もできなかったしね。

式の後、時間のある卒業生を連れて、御苑へ行きました。もちろん、全卒業生が固まってではなく、1クラスずつぐらいに分かれてです。どうやら、どのクラスも、式に出席した学生はほぼ全員が早めのお花見に行ったようです。

御苑に入ると、同じクラスなのに旧交を温め合う感じの学生たちも結構いました。五分咲きか七分咲きぐらいになっているカンザクラをバックに、記念写真を撮り合っていました。マスク越しの会話も弾んでいたようです。学生たちは、やっぱり群れたかったんですよね。画面ではにこにこしているようでも、孤独だったんだなあと感じさせられました。

クラスごとに動いていたはずが、いつの間にかいくつくかのクラスがまとまってしまいました。ここでも、懐かしがっている顔つきの学生が何人もいました。対面授業に強硬に異論を唱えていたKさんまでが、友達と肩を寄せ合い記念写真に収まっていました。

私たち教師がオンライン授業の腕をどんなに磨いても、ZOOMに勝るシステムが提供されても、学生同士の会いたい、仲間と肩を組みたい、手をつなぎたい、おしゃべりしたい、ライバルを間近で意識したいといった欲求が消えることはないでしょう。どうすればこれに応えることができるか、それが私たちの使命だと、学生たちの楽しそうな様子を見ていて感じました。

御苑の芝生はまだ枯れていましたが、掌を載せてみたらとても暖かでした。

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喜んでいい?

3月9日(水)

ジェンダー格差が放置され、賃金が伸びず貧困層が増えつつあり、相変わらず自然災害が多く、イノベーションの機運が薄く、外国人への差別が厳然としてあり、しかも入国が非常に難しいとあっては、留学先として敬遠されて当然です。

政府もそういう点にようやく気付き始めたのか、来日できない外国人留学生の入国を積極的に推し進めると発表しました。5月くらいまでに在留資格認定証明書のある留学生がほとんど入国できる見込みだとしています。官房長官の発言ですから、いい加減なものではないでしょう。

先月あたりから鎖国に対する外圧が強まり、それに受動的に対応したという感じは否めません。しかし、外国人留学生の受け入れを優先的に進めるとは、心強い限りです。真に勉強したい人たちが来てくれれば、私たちとしては喜んでお迎えします。KCPに限らず、留学生を受け入れてきた学校は、どこも手ぐすね引いて待っています。お世話をしたくてうずうずしている教職員が、全国に大勢いるはずです。

そのお世話をしたい人たちも、変化が求められていると思います。留学先としての魅力が2019年以前のレベルに戻るかといえば、私たちが旧態依然だったら悲観的な予測しかできません。ミソをつけたというか信頼を失ったというか、留学生本人や、そのご家族をはじめ留学生に関わる方々の日本を見る目が厳しくなっていることは疑う余地がありません。それを跳ね返すだけの力を、こちら側は養っていけねば明るい未来は見えてきません。

もし、15万人いるとされている未来日の留学生のうち少なからぬ人たちが権利を放棄したとしたら、日本語学校ではなく日本国の未来が危ういということです。

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2つのリスト

3月8日(火)

在校生の進路決定状況がだいたいまとまってきました。まだ抜け落ちがあるとは思いますが、大きな傾向はつかめます。

まず、学生の絶対数が昨年やそれ以前に比べてガクンと減っていますから、合格者の延べ人数も減っています。しかし、第1志望と思われるところに合格し進学することになっている学生の割合は、下がっているとは思えません。多くの学生が出願校を絞ったようにも思えます。その証拠に、関西を中心とする遠征組が減っています。

また、日本語学校の在籍期間の1年延長が認められている影響もあるように思われます。何が何でもこの3月中に行き先を決めなければという原動力が弱くなっているために、無理して受験をしなかったという面もあるようです。そのツケがこの夏・秋以降の受験に回って来なければいいのですが…。

もうすぐ来日する予定の学生のリストも届いていますから、見てみました。その中には現在オンライン授業を受けている学生も含まれています。去年の4月期にレベル1で教えたCさんやMさんやKさんたちの名前も見えます。生身のCさん、Mさん、Kさんたちに会って、上手になった日本語を聞いてみたいものです。先学期レベル5で教えたYさんやLさんの名前もあります。受験講座に欠かさず出ているDさんもしっかりリストに載っています。

次のシーズンには、こういう優秀な学生たちも受験戦線に参戦します。だから、日本にいて今シーズン進学しなかった学生たちは油断ができないのです。その辺のこと、どこまで理解しているのかな。延長した在籍期間を有意義に活用して、目標に到達してもらいたいと願っています。

4月の新入生も含めて、新たな競争が始まります。みんなを上昇気流に乗せたいです。

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意見を聴く

3月7日(月)

「去年の卒業生のKさんがT大学に受かったって」と、M先生が報告してくれました。去年、Kさんはいくつもの大学を受けましたが、結局どこにも合格せず、専門学校で浪人生活を送ることになりました。そのKさんが、卒業時の担任だったM先生にメールで合格を知らせてくれたのです。

Kさんの場合、情報過多で失敗した面がありました。あちこちから情報が来るのですが、どれが意味のある情報で、どれを信じたらいいのか、自分では全く判断できませんでした。そのため、はたで見ていると手当たり次第に受けているようにも、その情報や周囲の人々に振り回されているようにも見えました。

どうやら、今シーズンも、たくさん受験した中で受かったのがT大学だけだったようです。Kさんは、いろいろな人に謙虚に意見を求めるのはいいのですが、最後に進路を決めるのは自分だという認識が甘いのではないかと思います。去年も、M先生や私がすすめた大学を受けると決めた翌日に、違う大学を受けると前言を翻したこともありました。今シーズンもそういうことを繰り返し、どうにか滑り込めたのがT大学だったのでしょう。

入管の特例措置であからさまに目立ってはいませんが、今年もあっちへふらふら、こっちへふらふらという学生がいました。本人はいいとこ取りしているつもりなのでしょうが、実はその逆である場合がほとんどです。情報を持ちすぎて頭でっかちになっていたCさんに対して、半強制的に受験校を絞らせたら、記念受験的な1校を除いて、狙ったところはみんな受かりました。

海外でオンライン授業を受けている学生、4月の新入生の入国準備が進みつつあります。この学生たちにも気を強く持って進路指導をしていきます。

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