獅子ほどではありませんが

9月6日(土)

レベル1は日本語を勉強し始めて日が浅い学生が多いですからやむを得ないのかもしれませんが、テストをすると助詞を見落として誤答をしていると思われる例が目立ちます。例えば、

しゅくだいは、ボールペンを(     )でください。

という問題に、「かかない」と答えてしまうのです。空欄の前の助詞が「で」ならそれで正解ですが、この問題では「を」ですから、「つかわない」などにしなければなりません。

「ボールペン」は筆記用具ですから、「つかいます」と「かきます」だったら、「かきます」の方が親和性が高いです。だから、「かかない」したくなる方が自然だとも言えます。そういう気持ちに耐えて、助詞「を」をしっかりと目に焼き付けて、ここは「かかない」ではないと判断する…というようなステップを踏んで、正解にたどり着くわけです。思考回路の自然な流れにあえて逆らった先に正解があると言ってもいいかもしれません。

そういう不自然な思考を求めるから悪問だと言いたいわけではありません。「ボールペンでかかないでください」は、その日の授業で勉強したことの確認テストなら適しています。もう一段階上の、多少の応用力も見るのなら、「ボールペンでかかないでください」は易しすぎます。こういうテストで×を食らって、痛い目に遭い、悔しい思いをし、助詞にも目を光らせなければならないということも身に付いていくのです。

千尋の谷に我が子を突き落とす獅子ほどではありませんが、初級の先生も時には厳しく学生に当たるのです。

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将来像

9月5日(金)

読解の教科書の内容に関連して、学生たちが将来就きたいと思っている職業について聞いてみました。大学進学の学生は就職なんてかなり先の話だと思っているでしょうが、大学院や専門学校に進学しようと思っている学生は進学して一息ついたらすぐ就活です。だから、ある程度明確な方向性、将来像を描いていても不思議はありません。どんな仕事が出てくるかと楽しみにしていました。

ところが、専門学校志望の学生までもが、答えが漠然としていました。「自分に合った仕事」と言いますが、それどんな仕事なのか、学生の頭の中では像が結ばれていないようです。「自分の会社を作りたい」も同様で、何をする会社かは、今のところ不明です。

しょうがないかなあとも思います。私が学生たちと同年代の頃、今の子の姿は頭の片隅にもありませんでした。自分の専門性を活かして、就職した会社でそこそこ偉くなって…ぐらいしか考えていませんでした。しかも、今は技術もそれに伴って社会のありようも大きく変わりつつあります。数年先だって、何がどうなっているか想像しづらくなっています。

スペシャリストになりたいか、ジェネラリストになりたいかとも聞いてみました。Zさんは、スペシャリストだとその専門がAIに取って代わられる心配があるから、ジェネラリストがいいと答えました。最近の若者はこういう恐れを抱いているのですね。私の頃は、頭脳労働者は機械に駆逐されることはないと信じられていました。しかし、AIは頭脳労働者こそ標的にします。学生たちはどういう思いで進学するのでしょう。単に学歴を得ただけでは、21世紀中葉は生き残れないかもしれません。

学生の頭を活性化するためにあれこれ聞いているうちに、私自身がとても勉強になりました。

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よかったね

9月4日(木)

Sさんは、去年、新入生の学期に初級のレベル2で受け持った学生です。とてもやる気に満ちあふれていて、自分でどんどん勉強を進めていきました。語学のセンスもあったのだと思いますが、レベル2のテストは毎回満点に近く、次の学期はレベル4に、その次の学期はレベル6に上がりました。また、日本語プラスの受験科目の教師をつかまえては、あれこれ質問していました。

EJUでもしかるべき成績をあげ、去年の秋ごろから受験に臨みました。しかし、Sさんの志望する歯学部はどの大学も留学生をあまりとらないため、25年4月入学の入試はすべて失敗でした。理学部や工学部など普通の学部なら十分合格できたはずなのですが、一敗地に塗れることとなってしまいました。

そこでSさんは方針を変えました。何が何でも歯医者さんにならなければならないわけではありませんから、Sさんのしたい勉強ができて、留学生も入学しやすい学部を選ぶことにしました。そんな相談を受けたのが、先学期の中頃だったでしょうか。いくつか候補の大学を挙げ、Sさんに考えてもらうことにしました。

その中で、SさんはK大学を選びました。先週入試でしたから、夏休み直前に面接練習をしました。受け答えが今一つまとまっていませんでした。こうしたほうが印象が良くなる、簡潔ですっきりした答えになる、面接官の気を引くなど、山ほどコメントしてしまいました。

12:15に午前クラス終業のチャイムが鳴ると、選択授業のクラスの学生たちは帰っていきました。最後に残ったSさんが、帰り支度をしている私に「先生、K大学に合格しました」と報告してくれました。報告だけではなく、もうすぐ出願のY大学も受けたほうがいいかどうかという相談も兼ねていました。

1年遅れではありますが、まずはよかった、よかった。受験すべきかどうかは、どちらの大学のほうが、Sさんの勉強したいことが勉強できるかにかかっています。そういうヒントを出しておけば、Sさんならきっと最善の道を選び取ってくれるでしょう。

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不安材料

9月3日(水)

レベル1は中間テスト後の面接が真っ盛り。授業前にKさんとJさんの面接をしました。

Kさんは美術系の大学への進学を考えています。しかし、現状では日本語力が足りません。授業中はいつも一生懸命練習していますが、なかなか日本語力が伸びてきません。聞く力と話す力が問題です。詳しく話を聞いてみると、学校外でそういう練習をしていないようです。今は教科書に付いているQRコードから直接聴解教材にアクセスできますが、そういうのを存分に利用している形跡がありません。また、志望校についても、東京藝術大学しか出てこないようでは、研究が足りません。

2027年進学だとしても、留学生入試は来年の今頃です。残された時間は1年半ではなく、1年なのです。少しは焦ってもらわなければなりません。でも、そういう切迫感みたいなものは、Kさんからは漂ってきません。留学生活をエンジョイするのは結構ですが、進学にも目を向けないと、泣きを見ることになります。

Jさんは中間テストの成績がよく、レベル1から3にジャンプするのもありかなと思いました。しかし、本人はレベル2をしっかり勉強して、レベル2から4へのジャンプを狙うと言います。堅実です。こちらは大学で経済を勉強するそうですが、現時点では超有名大学を志望校に挙げています。本気でそこを狙うなら、来年の6月のEJUで高得点を取る必要があります。そのためには、2から4に進級するくらいの勢いで突き進んでもらいたいです。そういう意気込みが感じられましたから、有望株の1つとしておきましょう。

でも、何よりも心配なのは、Yさんです。授業後に面接の予定だったのですが、用事があると担任のM先生に連絡してきて、学校を休んでしまいました。どんな用事か知りませんが、レベル1のうちからこんな調子で気安く休んでいるようだと、将来は決して明るくはなりません。

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初めての笑顔

9月2日(火)

日本語プラスを終えて職員室に下りてくると、Cさんが待っていました。実は、退学の手続きに来たのです。入学以来出席率が低迷し、この先無遅刻無欠席で学校へ来てもビザがもらえる数字には手が届きそうもないので、私が引導を渡していました。Cさんは、まさか学校をやめろと言われるとは思っていなかったようで、私が最後通牒を送った時は非常に反発しました。

Cさんはなぜ出席率が悪いかというと、学校で、特にKCPみたいにみんなで何かすることを強く求められる学校で生活していくことが、性格的に会わなかったからです。国で独学に近い形で日本語を勉強し、入学時のレベルテストで中級と判定されました。初日にCさんからもっと上のレベルで勉強したいとクレームがあり、対応したのが私でした。Cさんの話し方はどう見ても中級ではなく、翌日から上級に移しました。

しかし、ちゃんと登校したのはせいぜい2週間で、そこから先は、気が向いたら来るといった感じでした。そんな調子ですから友だちもできず、だから学校へ来る気も湧かず、というふうに、悪い方へ転がっていきました。にもかかわらず、テストでは点を取るんですねえ。6月のEJUだって、校内で5本の指に入る高得点でした。学校は休んでいましたが、1人で勉強はしていたのです。

KCPにしがみついていても、教師からはがみがみ言われ、ビザのために早起きして気が向かない学校へ行かねばならず、日本での滞在費もかかるし、精神的にも肉体的にも経済的にも、いいことは1つもありません。ですから、私が上級に入れた責任もあり、退学を勧告したというわけです。

日本の大学に進学するにしても、Cさんの国から直接受験できる大学も結構あります。日本での生活費やKCPの学費を考えれば、受験のために渡航する費用ぐらい出るに違いありません。どうやら、そういうことがCさんにも伝わったようで、めでたく(?)退学となったワケです。

Cさんは、A大学、K大学、R大学を受験するそうです。ぜひ、受かって、「あんたたちには見捨てられたけど、こんな素晴らしい大学に合格したぞ!」と見返してもらいたいです。Cさんなら、できそうな気がします。憑き物が落ちたような、Cさんの笑顔が印象的でした。

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机の中のプリント

9月1日(月)

上級は週に1回、留学生が知らなさそうな日本社会を紹介し、それについて考える授業があります。9月1日と言えば防災の日ですから、関東大震災に触れつつ地震への備えについて考えてもらいました。

そもそも、9月1日が防災の日であることは、クラスの全員が知りませんでした。これは、しかたがないでしょう。日本は地震が多いということは、情報としてはどこかで見聞きしたことがありますが、その実感は全くないようです。東京は最近震度3ぐらいの地震も発生していませんから、学生たちも日本は地震が多いという情報も忘れ、警戒もほとんどしていないに違いありません。授業で見せた動画には、起震台に乗って震度6弱の揺れを体験する様子がありましたが、学生たちにも体験させたいです。私は起震台で震度7を体験しましたが、何もできませんでしたね。腰が抜けたわけではありませんが、腰が抜けたのと同じでした。

そのほか、木密地域は危ないとか、地震に備えて普段からどんなことをしておくべきかとか、いざという時に備えて区がどんなことをしているかとか、おばあさんから聞いた関東大震災の話とか、いろいろなことが動画の中にありました。私は、関東大震災の話はできませんが、東京での東日本大震災の話をしてあげました。それでもなかなか実感が伴わなかったようです。そりゃそうでしょうね。生まれてから地震を1度も経験したことのない学生すらいるのですから。

9月1日は防災の日だということを強く訴えて授業を終え、机の中に忘れ物がないかチェックしていたら、動画を見せる前に配ったプリントが1枚残っていました。あーあ、伝わらなかったみたいですね。

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38.5度だと

8月30日(土)

昨日、アリとキリギリスの話を使った授業をしました。アリが仲の良かったキリギリスに食物を与えず真冬の寒空に追い返したのは保護責任者遺棄致死罪に問われるかどうかということで、学生に話し合ってもらおうと思いました。ところが、クラスの大半の学生が、アリとキリギリスの話を知りませんでした。これはイソップ物語であり、一寸法師とか泣いた赤鬼とか、純粋な日本の昔話ではありませんから、誰もが知っているかと思いきや、まるで違っていました。

私が知っているアリとキリギリスの話は最後にキリギリスが死んでしまうのですが、知っていると言った学生の話は、アリがキリギリスを家に招じ入れたというものでした。結末がまるで正反対ではないかと授業後に調べてみたら、そういうストーリーもあるのだそうです。なんだかよくわからなくなってきました。

キリギリスが死んでしまうバージョンは、勤勉こそ何にも勝る、将来のために今汗を流すことの重要性といったことを説いています。キリギリスを助けるストーリーは、他者への慈悲、優しさの大切さを訴えているのだそうです。さらに、今では、人生の多様性とか、芸術の意義とか、そんな方面に話が進んでいるのだそうです。うさぎとかめなんかも、昼寝をしたにもかかわらずうさぎが勝って、“天賦の才に勝るものはない”なんていう結論になっているかもしれませんね。

さて、授業の方は、アリは無罪という意見が、有罪の3倍ぐらいと圧勝しました。でも、有罪を訴えた学生も、立派な論理を展開していました。

いや、今年のような暑さなら、アリも夏の間は働けず、そしてキリギリスと一緒に飢えてしまったかもしれません。東京の最高気温は38.5度、今年最高でした。

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180リットルも?

8月29日(金)

日本語プラスの生物は、「主な臓器」というテーマで、肝臓、腎臓、心臓を取り上げました。“肝心”ないしは“肝腎”という言葉があるくらいですから、この3つは、古来、重要な臓器として知れ渡っていました。それだけに、普段の生活の中でも、これらの臓器は話題になることがよくあります。

肝臓の働きの中に、解毒があります。まず、これを“かいどく”と読まないように注意し、「肝臓は体に有害な物質を分解しますが、有害な物質って例えば何ですか」と聞いてみました。真っ先に挙がったのが、アルコールでした。そうです。アルコールは解毒作用の一つとして、肝臓で分解されます。お酒の種類に関係なく、アルコールは毒です。酒は決して百薬の長などではなく、毒なのです。

さらに例を挙げるように促すと、「腐った食べ物」という答えが返ってきました。学生たち、痛い目に遭っているんですね。私が求めた答えは薬です。薬も最終的には肝臓で分解されます。健康な人にとっては毒になるものをあえて病人に与えたのが薬の出発点ですから、薬も毒なのです。“毒にも薬にもならぬ”なんていう表現があるくらいですからね。

次は腎臓。ここはおしっこを作る臓器ですが、そのおしっこの元は1日180リットル作られると言ったら、学生たちは驚いていました。その99%は腎臓内で再吸収されます。このときにグルコースも再吸収されます。再吸収されなかったら、糖尿病です。また、塩辛いものを食べると水が欲しくなる仕組みも、腎臓がかかわっています。

そして心臓。ここでは、血液型によって病気のなりやすさに違いがあるかという質問が出てきました。ABO式の血液型は、赤血球表面にある抗原の違いに基づいて決められます。これと病気のなりやすさは、あまり関係がなさそうです。Rh式も似たようなものです。

その他、血液のヘモグロビン、心臓のペースメーカーなど、心臓というか循環器関係もツッコミどころ満載です。さらに受験勉強を離れると、血液検査の正常範囲の数値として知っておいていい血球数なんかも取り上げました。

生物の学習内容は、物理や化学に比べて学生たちの身近にあうものや現象が多いです。だから、勉強してみると面白いし、役に立つし、おすすめなんですよ。

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成長

8月28日(木)

夕方、職員室で仕事をしていると、受付から声がかかりました。「先生に会いたがっている卒業生が来ていますよ」。カウンターに出て行くと、名前は覚えていませんでしたが、記憶にしっかり残っている笑顔が迎えてくれました。「ゴメン、名前は忘れたけど、顔は覚えてる」と正直に申告すると、「10年前に入学して8年前に卒業したSですよ」と名乗ってくれました。

SさんはA大学に進学し、その後T大学の大学院に進みました。そこを出て就職したものの、職場があまりに田舎だったので、2年でやめて東京の会社に転職したそうです。新しい仕事が始まるまでの1か月ほどの休暇を利用して、KCPまで顔を見せに来てくれたというわけです。

話を聞くと、ちゃんとキャリアアップしているみたいです。行った先々で自分の肥やしになる何かをつかんで新天地に踏み出しているようです。この次の転職は、いよいよ社長かもしれません。そんな話をすると、Sさんはちょっと照れていました。多少はそういうことも考えいるんじゃないのかな。

KCPにいたころのSさんは、高校を出たばかりだったこともあり、まだまだ遊びたい盛りでした。授業をさぼったこともありました。でも、受験が近づくにつれて真剣になり、どうにかA大学に手が届きました。そこで4年間みっちり鍛えられたのでしょう。名門T大学の大学院に進学しました。そこでも学んだことを自分の血肉とし、就職を果たし、さらに転職までしてしまいました。その業界は仕事が厳しいと言われていますが、その厳しさを乗り越え、さらに何かをつかんでやるぞという意欲を感じました。

日本語も流暢になっていました。KCPの卒業式の時でもいくらか手加減しなければならなかったのに、KCPの教職員に話しかけても、Sさんはごく普通に返してくれました。こういうことができるから、日本でどんどん成長できるのでしょう。

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朝から暑いですね

8月26日(火)

わりと最近まで、夏の高校野球は、開会式の頃はまだまだ夏の盛りだけど、決勝戦の頃は秋風が立ち始めると言われていました。しかし、今年は決勝戦が終わっても、秋の気配などまるでなく、東京は猛暑日が続いています。明日以降も当分猛暑からは解放されそうにありません。

私は朝暑くなる前に学校に着きますが、それでもシャワーを浴びたいほどです。炎天下を歩いてきたわけでもないのに、汗でシャツが肌に張り付きます。大気に熱がこもっている感じがします。風もほとんどないので、その熱が体にまとわりついて、汗を噴き出させます。

職員室は前日夜のエアコンの冷気がすっかり抜けてしまっていますから、学校に着いて真っ先にすることは、エアコンをONにすることです。1階ロビーは熱気がこもっていて、さらに汗が滴ります。職員室にこもって体を冷やしてから、正面玄関の鍵を開けます。

そんなことをしているうちに、毎朝計ったように6:24に来るKさんが職員室のドアをノックします。「おはようございます。今日も頑張って勉強します」と挨拶して、2階のラウンジに向かいます。ラウンジのエアコンをつけて、ガンガン冷やしてあげます。熱中症で倒れてしまいでもしたら、大騒動ですからね。

その後の小一時間は、私にとってはゴールデンタイムです。誰もいない静かな職員室で、集中力を要する仕事をします。今朝は、授業で使う教材を一気に仕上げました。予定より早くできましたから、来週の教材の素案を練りました。この時間、自転車操業には欠かせないひとときです。

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