無視

3月1日(火)

Oさんは4月から大学進学が決まっています。入学した時に言っていた東大ではありませんが、国立大学の合否発表がこれからあります。その大学の募集要項をちょっと見てみたら、Oさんが狙っている学科は、EJUの成績は合否判定に関係ないことがわかりました。出願資格として基準点を示していますが、合否は日本人受験生と同一試験の学力検査と面接によって決定するとのことです。

この大学のこの学科の先生方は、EJUは選抜試験としてたのむにあたらないと考えているのでしょうか。自分たちが作った問題で、自分たちの理想の教育を受けるに適した学生を選ぼうとしているのでしょうか。EJUの問題を見ていると、その気持ちもわかりますね。マークシートの数学や理科の問題で、未知の課題に挑む力がわかるのかと言えば、非常に大きな疑問符を付けざるを得ません。今年は留学生の受験生数は大きく減ったでしょうから、なおさら自分たちの目と耳と手でこれはという金の卵を選びたくなったのではないかとも思います。

他の国立大学でも、EJUはほんに形だけと言わんばかりの配点のところも何校かあります。また、留学生全体の合否データを見ると、EJUの成績はあまり関係なさそうな大学学部学科も容易に見つけ出せます。さらに、日本人の受験生と同じく共通テストを受けて大学の個別試験を受ける留学生も増えているようです。EJUの求心力、信頼度が低下しているような気がしてなりません。

今年はEJUが実施され始めてちょうど20年です。制度疲労が起きてもおかしくない時間が経っています。

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なんとなく不調

2月28日(月)

昨日、3回目のワクチンを打ってもらいました。1回目と2回目は去年の夏の暑い盛りでしたから、半袖シャツで行って袖をひょいとまくり上げるだけで準備完了でした。しかし、昨日は、2月としては暖かかったとはいえ、長袖のシャツでしたから、肩を出すのも一苦労でした。接種は、去年の夏同様、あっという間に終わり、15分の安静時間を読書で過ごし、特に何ともなかったので、そのまま帰ってきました。それでも一応副反応を気にかけて、ゆうべは早々に床に就きました。

今朝も別段何ともなく、いつもと同じように出勤しました。仕事に取り掛かりましたが、どうも手先が冷えていけません。お湯を入れたカップを手で包みながらキーボードを打ちました。お昼ごろから、何となく体がぞくぞくし始めました。悪寒というほどではありませんでしたが、何となく落ち着きません。ネットで調べてみると、接種30時間後ぐらいが副反応のピークだそうです。まさにピークに向かっているところです。

ワクチンを打ってもらった箇所は、痛くはありませんが、かゆいです。腕が上がらないとか動かしにくいとかはありませんが、かゆみのせいで意識がそれてしまいます。夏だったら間違いなくポリポリかいていることでしょう。それに、熱っぽいまではいきませんが、背中が痛いです。

どうやら、頭脳労働は明日にしろということのようです。確かに、養成講座の資料を作り直していますが、うまい例文が浮かんできません。演習問題のアイデアも枯渇状態です。これをアップしたら、潔く帰ることにしましょう。

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84万-145万

2月26日(土)

去年の日本の出生数は84万人で、死亡数は145万人だったそうです。人口の年間61万人減も大変な数字ですが、死亡数が出生数の1.7倍という方がショックです。感染症の影響で今年も生み控えが続き、その感染症によって毎日200~300人死亡数が上乗せされるとしたら、今年はダブルスコアになってしまうかもしれません。

リモートワークの広がりによって東京の人口が減りましたが、札幌も人口が減り始めたそうです。札幌はリモートワークによって人口が減ったとは考えにくいですから、こちらも自然減の拡大によるのではないでしょうか。もはや、日本中、人口が増える要素のある町はないのではないでしょうか。

この日本を上回る勢いで人口が減りそうなのが韓国です。出生率が0.81といいますから、あっという間に子どもがいなくなってしまいそうなペースです。中国も、国民の自主的な一人っ子政策が続いています。こちらも早晩人口減に転じるのは確かなようです。遠からず、人口世界第一位の座をインドに明け渡すことでしょう。

韓国や中国に限らず、日本語学習者の多い国々は少子化が進展しつつあります。そうなると、日本留学のお得意さんが軒並み市場縮小ということで、感染症に関して2019年以前に戻ったとしても、日本語教育界は明るさを取り戻せないかもしれません。

しかも、鎖国政策で世界中の若者の日本留学に対する意欲が衰えています。日中は春を思わせる暖かさでしたが、ちょっと先を見通すと、日本語学校の冬は当分続きそうです。86年前の雪の日のような…。

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小さな窓を通して

2月25日(金)

午前中、T先生と話していたら、学生との意思疎通の話になりました。「どこですか」と聞いているのに言葉の意味を答えたり、「それで」と「それに」と「そして」があやふやだったり、上級でも助詞がボロボロだったりなどということをぼやき合いました。

一つには、オンライン授業における学生の集中力は、やっぱり、対面授業には及ばないということがあるでしょう。W大学の学生のように、複数の授業を一度に聞く学生はいませんが、別のことをしながら授業を聞いている学生は結構いる感じがします。別のことをするまでに至らなくても、ボーっとしている時間は、対面よりも長いでしょう。私が学生だとしても、90分間パソコンの画面と音声に集中し続けるのは、教室で授業に集中するより難しいと思います。意識が飛んだ瞬間に指名されたら、的外れなことを言ってしまうかもしれません。

教師は、自分がしゃべり続けなくても、授業を仕切るのは自分だという意識が強いですから、90分ぐらいどうにかなってしまいます。画面に現れる小さな顔から学生の様子を推し量らねばと思い続けると、対面授業より緊張度は高まっているかもしれません。指名してから答えが返ってくるまでの微妙な間も、意思疎通の敵です。WiFiの加減によっては、さらに状況が悪化します。

教師も自宅から授業を送信すれば、多少はおおらかな気持ちになれるのでしょうかねえ。でも、3月で卒業する学生の大半が、卒業式ぐらいは対面でしたいと言っているそうです。学生も、間に何も介在しないリアルなコミュニケーションを通して語学をものにしたいと思っていると信じたいです。

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覚える

2月24日(木)

入試問題を解くのは知識か知恵かと聞かれたら、どうお答えになりますか。

知識の範囲をどこまでにするかにもよりますが、知識がゼロではないでしょう。最近はマークシートの問題でも工夫が加えられてきて、知識の有無だけを問うような問題は少なくなりました。知恵を意識しすぎると、今年の大学入学共通テストのように、全受験生が団栗の背比べになってしまって、テストの用をなさなくなることもあります。

知恵といったって、その基礎をなす部分は、知識と無縁ではないでしょう。知恵は知識を組み合わせたところに生ずるものでもあります。そこには創造力や想像力も関与します。単に知識を堆積させただけでは、知恵は湧き上がってきません。知識と知識を結ぶネットワークを張り巡らすことが肝要です。

Dさんは真面目な学生です。6月のEJUに向けての勉強をしています。私もDさんの力になってあげたいと思っています。しかし、Dさんから来る質問に、「これは覚えなければなりませんか」という意味のものがあることに引っ掛かっています。暗記かそれに類する覚え方では、知識の有無を競う問題にしか答えられません。そうじゃなくて、知識を組み合わせるとかひとひねりしてから使うとか、応用力を問う出題にも対応できるようになってこそ、高得点に結びつくのです。それは同時に、進学してからの勉強にもつながります。

Dさんにそういうところまで見えているのか、気がかりです。知識は布石みたいなところもあり、入試には不要でも、将来、何かの拍子に、それがあることですべてがつながり、理解や興味が深まることだってあるのです。

昨日のうちに届いていたDさんからのメールを読みながら、そんなことを考えました。

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20220222

2月22日(火)

22年2月22日は、スーパー猫の日だそうです。にゃんにゃんにゃんにゃんにゃんにゃんだからだと言っていますが、200年後にはにゃんにゃんにゃんにゃんにゃんにゃんにゃんとなりますから、ハイパー猫の日とでもなるのでしょうか。

この日に合わせて、静岡県の川根小山(かわねこやま)駅は臨時に川猫山駅に改称し、特別な記念切符を発売したとか。このほかにも、全国いたるところで“記念行事”が行われたようです。こういうダジャレができるのも、それを喜んで受け入れてしまうのも、日本文化であり、日本人です。

西暦年月日の数字合わせで思い出すのは、1999年11月19日です。ご覧のように、年月日のすべての数字が奇数です。この次にこのような並びになるのは、3111年1月1日で、1000年以上も先のことです。当時通っていた会話教室で、もちろん英語でこれを熱弁したのですが、先生にはこの意義が伝わりませんでした。貴重な1日だったんですけどね。

お昼から帰ってくると、書類を取りにでも来たのでしょうか、ちょうど学校から出てきたPさんとLさんとすれ違いました。「こんにちは」とあいさつしてくれました。Lさんは進学先が決まり、Pさんは3月で帰国の予定です。先月あたりまでずいぶん悩んでいたPさんでしたが、もう吹っ切れたみたいです。明るい顔つきをしていました。

3月10日の卒業式までは2週間ちょっと。その日は水戸の日であり、佐渡の日であり、砂糖の日だそうです。にゃんにゃんにゃんにゃんにゃんにゃんも含めて、2人ともこういう言葉遊びが理解できるまでになったかな。ここでニヤッとして上級なんですよ。

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久しぶりの大口

2月21日(月)

朝、食事をとっていたら、前歯に違和感が。そして、舌に硬いものが当たりました。慌てて吐き出すと、なんと、差し歯がころりと出てきたではありませんか。鏡を見てみると、下の前歯が1本抜けています。何ともマヌケな顔になってしまいました。でも、食べ物がかめないわけではありませんから、食事はそのまま続けました。

幸いにも、令和4年2月21日現在、マスクが必須アイテムですから、しゃべっても笑ってもマヌケ顔をさらす心配はありません。しかし、放っておくわけにもいかず、学校の近くの歯医者で応急処置をしてもらうことにしました。抜けた差し歯はしっかり確保してありますから、それを持って行けば、多少は治療期間も短くなるでしょう。

その差し歯を入れたのは、私がKCPにお世話になる前からかかっていた歯医者です。しかし、そこは遠いので、ネットで探してみると、学校の近くにはけっこうたくさんは医者がありました。評判のよさそうなところを選んで予約しました。

予約の時間に行くと、問診票の記入が最初の仕事なのはどこの医者でも同じですが、この歯医者は麻酔についての質問がありました。ここの先生は麻酔の専門医らしく、普通の歯医者が治療で使う局部麻酔よりも本格的な麻酔を使う治療も選べるようでした。そういう治療もいいかなと思って、○を付けておきました。

患者が結構多く、待合室の椅子が全部ふさがるくらいいました。しかし、診察台も3台で、3人の先生が診ていますから、回転も速いです。程なく私の順番が来ました。以前は3か月おきに歯科定期検診を受けていたのですが、おととしから、人が多いところで大口を開けて仰向けに寝っ転がるのはあまりにも不用心だと思い、中断しています。久しぶりにその体勢を取るのは少し勇気が要りましたが、治療が始まってしまえばどうということはありませんでした。

20分ほどの治療で歯は元通りに戻り、治療費は1000円余りでした。数か月、数万円を覚悟していましたから、あっけないほどの時間と費用でした。しばらく、これで様子を見ます。

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遅きに…

2月18日(金)

やっと開国に一歩踏み出しました。水際対策を少し緩めるという発表がありました。しかし、1日5000人で、しかも航空券を取った順だという話も聞こえてきます。どうせまっ先にビジネスで、留学生よりも技能実習生のほうが早いんじゃないかな。その留学生も、大学・大学院が優先でしょう。日本語学校の学生が入国してくるのは、まだまだ先のようです。文科相が、留学生の入国手続きを簡素化すると言ってくれているのが、せめてもの慰めです。

今回の入国規制緩和も、岸田さんオリジナルの判断というよりは、各方面からつつかれて重い腰を上げたという感じがします。海外からの不満も、かなり強く背中を押す結果となったのではないでしょうか。何かしかるべき戦略があって開国に進んだのではなく、雰囲気に流されてちょっかいを出してみたというのが実情のような気がします。だから、この逆コースにも容易に進みうるのです。

留学生は、今すぐ日本にとって役に立つ存在ではありません。将来に向けての先行投資です。種をまいておくという発想で、留学生をかわいがってもらいたいです。留学生自身同様、周囲の日本人学生への影響も考慮の余地があります。交換留学生として海外へ向かう学生はもちろんのこと、ネットを通してしか外国人を知らない日本人学生にどれほどの刺激を与えてくれるでしょう。

それにしても、ここまで待てずにKCPを去っていったKさん、Rさん、Pさんたちはこのニュースを聞いているのでしょうか。もう一度こちらを振り向いてはくれないでしょうね。

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リストを見ながら

2月17日(木)

学生は、大学や大学院、専門学校などに合格すると、担任の先生に報告します。こちらも、入学させた学生がどうなったか役所に報告することになっていますから、そういうルールにしています。中には、隠密行動で受験してこっそり受かっている学生もいますが、最後まで秘密を隠し通した学生はごくわずかなはずです。

学生が学校へ来ていると、自分のクラスではない学生からも、「先生、○○大学に合格しました」などと、直接報告を受けることがあります。廊下や階段、ロビー、ラウンジ、そんなところでばったり会ったついでに、そんなふうに声を掛けられることも少なくありません。

ところが今は全面オンラインですから、生身の学生に会うということがめったにありません。そのため、毎年恒例のうれしいお知らせに接することもほとんどありません。職員室で先生方の会話に聞き耳を立てて、学生の進学状況を把握しているというありさまです。

入管の特例で、2020年入学生に関しては在留期間の延長が認められています。この特例を利用するか否かの調査結果での一覧表に、各学生の合否状況が載っています。今年はこれを頼りにするほかないようです。

それを見ていると、今年は面接で落とされるのではと心配していた学生がわりと受かっているような気がします。頭脳明晰で話すのだけが苦手なWさんがあちこち受かっているのはともかくとして、コミュニケーション能力がゼロに近いCさんまで名の通ったところに合格しています。進学先で授業にもついていけないし、友だちもできないしなどということになったら、学生にとっても大学にとっても不幸です。

入学時に大言壮語していたZさんは、竜頭蛇尾の状態です。特例を利用しないみたいですが、あと1か月半ほどで大逆転があるのでしょうか。Tさんがもう1年と言っているのは、モラトリアムかな。その気になればCさん以上に合格を重ねてもおかしくないのに。

明日は早くも中間テスト。受験シーズンの終わりが近づいてきています。

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天国で論戦中?

2月16日(水)

瀬戸内寂聴さんの「わたしの源氏物語」を読み終えました。文庫本で500ページ余りを、3日半ほどで読み切りました。寂聴さんの現代語訳源氏物語は文庫本で500ページとはいかないようですから、私にとってはこのあたりが分相応でしょう。

「わたしの源氏物語」は、時期的に源氏物語の現代語訳に取り組んでいる頃に書かれたのではないでしょうか。源氏物語の登場人物や紫式部の筆致について、寂聴さん流の解釈が述べられています。登場人物の中にも、紫式部が熱を入れて丁寧に描いた人から、冷たくあしらわれた人まで、けっこう濃淡があるそうです。ここは描き足りないとか、ここは彼女の実体験が生きているとか、このストーリーは当時の読者を引き付けただろうとか、寂聴さん自身がかなり読み込んでいたことがよくわかる書きっぷりです。

私は、高校時代、古文漢文はまるっきり手も足も出ませんでしたから、源氏物語は教科書に載っていたごくごく短い部分を読んだに過ぎません。古文の時間に行われた解釈では内容が全然わからず、源氏物語がなぜ不朽の名作なのか、世界に誇るべき文学なのか、さっぱりわかりませんでした。でも、「わたしの源氏物語」を読んだら、光源氏も藤壺も紫上も六条御息所も桐壺帝も、みんな生き生きとしてきました。

昨年、寂聴さんが亡くなった直後に、どなたか忘れましたが、「寂聴さんは今ごろ天国で紫式部と語り合っているでしょう」という意味のコメントをしていました。それに接した時、「ああ、死ぬのもいいなあ」と思ってしまいました。まあ、私が天国に上れても、私が会いたいと思っている有名人には見向きもされないでしょうけどね。でも、寂聴さんなら紫式部は会ってくれるだろうし、もうすでに、「紫式部さん、ここは感動したけど、ここはこういう筋もあるんじゃない?」などと楽しい議論を戦わせているかもしれません。

私も、現代語訳ぐらいは読んでみようかな。

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