硬い教室

5月17日(火)

中間テストがありました。私が試験監督に入ったクラスは、諸般の事情で、いつものクラスをばらして再組成したクラスでした。今までなら、こういう場合でも、前の学期は同じクラスだったとか、クラブ活動で顔なじみだとかという組み合わせがいるものですが、今学期はそういうパターンがほとんどありません。先学期はほぼオンライン授業でしたから、たとえ同じクラスだったとしても生身の接触がなく、クラブ活動もなく、しかも来日したばかりの学生が結構な割合で含まれているというわけで、違うクラスの学生≒知らない学生でした。国籍も多様だったという要素も、これに拍車をかけていたかもしれません。

だから、朝、教室に入った時、いつもの試験監督の時とは違った空気に包まれていました。試験に対する緊張感のほかに、初対面の人に対して様子見をする硬い雰囲気が漂っていました。そういうのを感じると、顔と名前の一致する学生がいないだけに、こちらまでピリピリしてきます。

でも、試験が始まってしまえば、学生たちは、おのおの、まわりを一切気にせず試験問題に向き合います。そこには初対面がどのこうのという様子はなく、いつもの試験の教室になりました。

ところが…。「はい、あと10分です。もう終わっている人は提出して、次のテストの準備をしてもいいですよ」と声を掛けると、普段なら2人か3人ぐらい、待ってましたとばかりに出すものなのですが、誰も立ち上がりません。明らかに問題を解き終わっている学生が何人かいるのに、ちらちらっと教室を見渡すばかりで、提出の意思を示しません。私が目で誘っても、下を向いてしまいました。学生たち、シャイなんですね。

入試会場で友達を作ったという話を、毎年何人かから耳にします。この臨時クラスの学生たちも、あと数か月でそんなつわものになって、志望校へと旅立っていくのでしょうか。

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50年

5月16日(月)

昨日は、沖縄の日本復帰50周年の日でした。報道機関の論調は、基地負担や経済面での格差が埋まらないままだと、厳しいものが多かったです。

沖縄へは何回か行ったことがありますが、一番印象に残っているのは旧海軍司令部壕です。那覇市と豊見城市の境界線上の小高い丘にあります。地下壕にこもって戦っていたのですが、本土決戦を引き延ばすためのような戦いは悲惨を極めました。そして、ここを守っていた大田實少将は、昭和20年6月13日、沖縄戦終結の10日前、自決しました。その際に海軍次官に宛てて打電した電文が、壕の中に掲示されています。

電文の最後に、食料もない中必死に戦った沖縄「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ」という文があります。現状を見る限り、“御高配”は米軍基地です。大田少将の最後の言葉は全く無視され続けてきたと言っても過言ではありません。これを読んだ時、本土に住む日本人として恥ずかしかったです。

摩文仁の丘もひめゆりの塔も行きました。それほど有名ではなくても、沖縄はいたるところに戦跡があり、街角でよくハッとさせられます。同時に、米軍基地も普通にあります。首里城から普天間基地まで、どう測っても10キロ弱、琉球王国の陵墓・浦添ようどれからなら5キロ足らずです。皇居を基準に考えると、新宿が5キロを少し切るくらい、お台場が7キロ、高円寺で10キロです。

50年前の日本は上り坂でした。その時に“御高配”ができなかったかなあと思います。“御高配”をしなかったことで某国の覚えがめでたく、繁栄が多少なりとも長続きしたのでしょうか。昨日はニュースを聞きながら、そんなことを考えました。

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まな板は何をするのに使いますか

5月13日(金)

まな板は肉や野菜を切るのに使います。この例文は○ですか、×ですか。

みんなの日本語42課に、「のし袋はお祝いのお金を入れるのに使います」という練習があって、O先生がその応用で学生に作らせたら出てきた例文です。

肉や野菜を切るのは、やはり包丁ではないでしょうか。「まな板は肉や野菜を切る『とき』に使います」だったらいいでしょうが、『のに』だったら包丁の代わりにまな板を使うイメージがあります。

「『この』まな板は肉や野菜を切るのに使います」「『あの』まな板は魚を切るのに使います」というように、ある特定のまな板で、何かとの対比があれば、「のに」でもいいような気がします。また、まな板に調理以外の斬新な、意外な、みんなに知らせたい、注目してもらいたい用途があって、それを述べる際には、「のに」が適しています。

「のし袋はお祝いのお金を入れるのに使います」というのは、のし袋を初めて見る外国人には意味がある情報であり、ですから伝えるだけの価値があります。しかし、日本人に向かってそんなことを言っても、何をいまさらと思われるのが関の山でしょう。

まな板も同様で、まな板の上で肉や野菜を切ることを伝えても、新しい価値は生みません。だから、私はここをやる時には、身の回りの物の意外な用法、自分はこんなことに使っているというのの紹介をさせます。「AはBするのにも使えます」とか、「私はAをBするのに使っています」とかという文にしています。まあ、なかなかこれはっていう文は出てきませんけどね。

みんなの日本語も終わりが近づくと、単なる文型のまねごとではなく、意味のある情報を伝えることに重きが置かれるようになります。そう考えると、まな板は何をするのに使うのがいいのでしょう。

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久々のご対面

5月12日(木)

ちょっと事情があって、昨日から昔作った教材を見返しています。20年余り前に私がKCPに入ったばかりのころに作ったものもありました。これがアルバムなんかだと仕事を忘れて写真に見入ってしまいかねませんが、授業で学生に配ったプリントやテストなどだと、そこまでには至りません。中には、これは本当に私が作ったんだろうかと思う“作品”もありました。一緒に担当した先生方との共同作用もありましたから、その際にお作りになった先生から送られてきたものかもしれません。よく工夫して作ってあるなあと思えるテストもあれば、今すぐ手を入れて改訂版を出したくなるような教材もありました。20年前の自分をほめてやりたくなったり、顔から火が出そうになったり、忙しかったです。

読解のテキストや文法の例文などを見ると、時代を感じさせられます。サッカーのワールドカップが日本で開催されるとかというのがネタになっていたり、日本が世界第2位の経済大国だったり、フィルムのカメラがかろうじて生き残っていたり、今、これを使ったら学生はどんな顔をするだろうというのがけっこうありました。でも、中級や上級では、習った日本語を使って現在の日本や世界を語り論じることができて初めて意味を成すのです。教材は使い捨てが理想です。ミラーさんはスピーチコンテストで優勝してうれしかったに違いありません――などという文で満足していてはいけません。

いちばん懐かしさを誘われたのは、当時の学生の志望理由書です。そういう夢を抱いて進学した学生も、とっくの昔にその大学を卒業し、日本か自分の国か、はたまたどこか別の国かで、しかるべき地位を築いていることでしょう。その元学生に自分の書いた志望理由書を送ったら、どんな顔をして読んで、どんな気持ちになるんでしょうね。

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引き締める

5月11日(水)

東京の新規感染者数が増えています。といっても、先週は連休の最中でしたから、検査を受けた人が異常に少なかったのでしょう。その反動で、休み明けから新規感染者数が前の週を上回り続けているのだと思います。来週になっても前の週(=今週)よりも多くの新規感染者が現れ続けたとなると、またもや感染拡大の方向に動き始めたと見るべきなのではないでしょうか。

学校の近くの郵便局が、11時半から1時までお休みになってしまいました。感染者や濃厚接触者が増えて、お昼の時間帯の交代要員が確保できないようです。郵便局に用事がある場合は、ちょっと離れたところ(といっても、歩く距離が数十メートルから数百メートルになるくらいですが)にある別の郵便局へ行けばすみますから、仕事や生活に差し支えることはありません。でも、こういう身近なところで感染拡大の影響が出てきたとなると、先週は休みだったからなどとのんびり構えてもいられません。

私が見る限り、最近来日した学生も含めて、学生たちから動揺は感じられません。自分の部屋より学校の方が、国より日本の方が、楽しいようです。細々とではありますが、ラウンジや校庭で談笑する学生の姿が見られます。季節が進むと、進学で苦しむ顔が出てきます。だからこそ、こういう状況が少しでも長続きするように、引き締めるべきところはピシッとやらなければなりません。

卒業生はどうしているんでしょうね。それぞれの進学先で勉学を楽しんでいるんでしょうか。それぞれの学校がそれぞれのピシッとで、勉強の環境を整えているのだと思います。

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早いですね

5月10日(火)

各クラスで中間テストの範囲が発表されました。来週の火曜日・17日は中間テストです。始業日以降も毎日のように新たに来日した学生が登校してきました。そういう学生たちの面倒を見ているうちに、学期の半分が過ぎようとしています。気が付いたら、レベル1の教室から「あります」とか「います」とかの声が聞こえてきました。教科書のその辺まで進めば、多少はまとまったことが話せるようになります。もう、学期も半ばなんだなあと感じさせられています。

今までオンライン授業を受けてきた学生たちも、日本へ来て学校に通い、教室で大勢のクラスメートと顔を合わせて授業を受けるとなると、勝手が違うようです。オンラインでは元気だった学生がおとなしくなってしまったという報告も聞いています。日本での生活や教室での授業に慣れていけば、また元気に発言するようになるのでしょう。後半戦に期待しています。

去年から日本にいる学生たちは、その多くが受験リベンジ組です。入管の特例を活用してKCPの在籍期間を1年延長して、自分の目指していた大学・大学院に改めて挑戦します。今度こそは成功するぞ、失敗は許されないぞという意識が強く、早め早めに動こうとしています。この気持ちを忘れないでいてほしいです。もちろん、気持ちだけでは合格しませんから、実のある努力を続けることが肝心です。

気になる情報もあります。Cさんが燃え尽きてしまったのではないかという声もあります。志望校に落ちた3月の時点では気持ちを切り替えて前に進もうとしていましたが、今学期に入ってから失速気味だと言います。早くも中だるみじゃ困るんですけどね。

中間テストが終わると、EJUまで1か月です。

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過ぎたるは

5月9日(月)

マイナンバーカードの手続きができるというので、昨日、家の近くの会場まで足を運びました。だいぶ前に番号をもらってからほったらかしにしてありました。マイナポイントとか保険証の代わりになるとか、よくわからないこともありますから、ついでに聞いて来ようと思いました。

会場の区民センターみたいなところは行ったことがありますから、すぐわかりました。案内に従ってそこの会議室に入ろうとすると、「マイナンバーカードのご申請のお手続きにいらっしゃられたのでしょうか」と声を掛けられました。うなずくと、「まず、お写真をお撮りします。こちらの椅子にお掛けになられてください。お荷物はそちらのかごに入れられて、マスクは取られてください」と指示されました。言われた通りにすると、「では、こちらの赤い点をご覧になられていただけますか」と新たな指示が。

写真の次は、書類作成。「こちらとこちらにご記入されてください。お写真の裏側にお名前と生年月日を書かれてください。そうしたら、お写真をお貼りになられてください。こちらののりを使われて大丈夫です。はい、では、こちらの封筒に入れられて、こちらにご住所とお名前を書かれてください」「はい、ありがとうございました。お帰りの際にポストにお出しになられてください。1か月ぐらいしましたら、区役所からご連絡がありますから、取りに行かれてください」

なあんだ、その場でもらえるのかと思ったら違うんだ。世の中、そんなに甘くないよね。写真代が浮いただけでも、よしとしなければ。

いかにもアルバイトという感じの若者が世話をしてくれましたが、言葉遣いには辟易しました。私のようなはるかに年上の人を相手にするのですから、失礼のないように丁寧に話さなければという気持ちは伝わりました。でも、居心地は悪かったですね。この人にマイナポイントとか聞いても絶対にわからないだろうと思い、あきらめました。

会場出口に立っていた案内の人に、「ここから一番近いポストはどこですか」と聞いたら、「少々お待ちください」と言って誰かに聞きに行ったきり、5分ぐらい戻ってきませんでした。会場でポストに投函と言っているんだから、ポストの位置ぐらい調べておけよ。

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はじめまして

5月7日(土)

朝から仕事をしていて目が疲れてきたので、ちょっと息抜きにロビーに出たら、「すみません。M先生はいますか」と、話し掛けられました。年格好からすると学生なのですが、あまり見かけない顔です。私もすべての学生の顔と名前を知っているわけではありませんし、つい最近入国したばかりの学生なのかもしれません。また、ちょうどJLPTやEJUのための受験講座が始まる時間帯でしたから、その関係の用事なのかなと思い、M先生を呼びました。

しかし、M先生もその学生(?)の顔に見覚えがない様子でした。「お名前は?」とM先生が聞くと、「Hです」と答えるではありませんか。M先生も私もびっくりしました。この稿にも何回か登場している、教師のだれもが1日も早く教室で会いたいと願っていた、あのHさんが目の前に立っているのです!!

2人同時に思わず「えーっ」と声を出し、M先生が「ねえ、Hさん、ちょっとマスク、取ってみて」と促すと、Hさんはマスクを外しました。その口元は、オンラインの画面で見慣れたHさんのものです。でも、何か違います。そう、メガネをかけていなかったのです。髪型もオンラインの時とは違っていました。でも、声は確かにHさんです。

Hさんは、これから行われるウェルカムミーティングで代表あいさつをします。その練習をしに、早めに学校へ来たのでした。「やっとここまで来たねえ」と声を掛けると、少し笑みをこぼしながら軽くうなずきました。

Hさんのあいさつは立派なものでした。去年の漢字が「待」だったHさん、今年は飛躍の年にしてくださいね。大いに期「待」していますよ。

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いい大学とは

5月6日(金)

午前中、F大学の留学生担当の方がいらっしゃいました。この大学は、卒業するまでそれぞれの学生がどんな学生生活を送っているか知らせてくれます。送り込んだ学生を一人一人きちんと見てくれているんだろうなと思います。こういう大学は、安心して学生に薦められます。

それと、F大学は進学した学生が、異口同音にいい大学だと言っています。これは大きいです。大学の教職員があれこれ言うよりも、そこで学ぶ学生の一言の方が重みがあります。レストランや観光地などと同列に並べてはいけないかもしれませんが、その場に身を置いた人からの口コミは無視できません。まして、顔も人となりもよくわかる卒業生の言葉は、単なるうわさとは信頼度が桁違いです。

そういう点では、H大学も“いい大学”です。東京から見ると僻遠の地と言ってもいい所にありますが、進学した学生は充実した学生生活を送り、卒業後もH大学での勉強や経験や人脈を生かして、各方面で活躍しています。H大学に入ると決まった時には都落ちという風情を醸し出している学生もいましたが、次に顔を合わせたときは生き生きとしていました。学生のほうも、自分の大学生活を誇らしく思っていますから、私たちに知らせたくてたまらないのです。

留学生の場合、便りがないのは元気な証拠とはなりません。せっかく進学した大学や大学院をやめて帰国している例もまれではありません。そういう情報が、だいぶ経ってから元同級生などを経由して伝わってくると、その学生の顔を思い出してはどんな進路指導をすればよかったのだろうかと、心が少し重くなります。

F大学は、この春入学の留学生は少なかったようです。すると、来年春はチャンスかな…。

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思いを語る

5月2日(月)

JASSOの奨学金受給者として推薦する学生を決める面接をしました。学生の自己推薦を受け付ける形で募集し、出席率や成績などで一次選考し、そして面接です。

まずは初級の学生が2人。どちらも勉学の意欲があり、日本の大学・大学院に進学しようと一生懸命なのはわかりましたが、残念ながらそこまででした。自分の気持ちや考えを一方的に訴えることはできても、それに関連する質問をすると、その質問の意図がつかめず、話がかみ合わなくなりがちでした。私がジェスチャーを交えてかなりかみ砕いて質問内容を説明すると、ようやくそれっぽい答えが返ってきました。これじゃあちょっとね。

次は中級の学生たち。粒ぞろいだなと思っていたのですが、総じて期待外れでした。面接室に入った時から緊張している雰囲気でしたから、私が見つめるとそれがなお一層高じるのではないかと、あえて目をそらしたくらいです。その甲斐もなく、初級の学生よりいくらかいいかなという程度で終わってしまいました。

満を持して登場したのが上級のXさん。文法や語彙の間違いがないとは言えませんが、自分の意見を堂々と開陳していました。もともと積極的な性格だということもありますが、去年1年間、私も含めたKCPの教師からさんざんたたかれ鍛えられた経験がものを言っているのです。

初級・中級の学生たちは日本へ来たばかりと言ってもいいくらいですから、教師に囲まれて大学・大学院の志望理由や将来設計を聞かれたらビビる方が普通でしょう。そういう意味ではちょっと気の毒ですが、これからこういう場を次々と迎えるのですよ。ガンガン鍛えていきましょう。

3連休の後、6日(金)に、面接第2陣があります。

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