はなむけのことば

9月7日(水)

1時ごろ、午前中にあった私のクラスの授業に欠席したXさんが受付に現れました。私や担任のM先生を呼ぶでもなく、事務職員と話をしています。カウンターまで出ていくと、Xさんは退学届けを書いているところでした。昨日、N大学の大学院に合格し、もう間もなく授業が始まるので、退学して引っ越しするそうです。

担任のM先生から、進学先が決まり、9月中に授業が始まるので、早々に退学するだろうと聞いていました。だからXさんの退学に驚きはしませんでした。でも、机を並べて学んできたクラスメートに挨拶ぐらいはしてほしかったです。昨日も休んでいますから、おとといのコトバデーが最終登校日でした。

明日から、クラスの出席簿にはXさんの名前はありません。だから、出席を取る時に教師がXさんの名前を呼ぶこともありません。自然消滅というか、フェードアウトというか、クラスの学生にとっては「最近、Xさん、見ないね」という感じで消えていくのでしょう。

立つ鳥跡を濁さずと言いますが、Xさんの場合、あまりにも濁さなさすぎます。「N大学に進学します。お世話になりました」ぐらい言ってもよかったんじゃないでしょうか。ミラーさんだってみんなの日本語の25課で言っていますよ。Xさんもそこを通ってきていますから、知らないはずがありません。

こういうあたりの教育が足りなかったのかな。N大学では日本人に囲まれて暮らしていくのですから、こんな一言の有無で人間関係が築けたり崩れたりします。来週にも新しい生活が始まるXさんへのはなむけとして、ちょいと説教してあげるべきだったかもしれません。

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組み合わせる

9月6日(火)

今、受験講座を受講している学生たちは、11月のEJUを目指しています。11月13日の試験日から逆算すると、来学期はひたすら過去問で鍛える必要があります。そうすると、今学期中に試験範囲内の講義は一通り終わらせておきたいところです。9月になると、今まで勉強したことを組み合わせて理解を深めたり練習問題を解いたりすることが増えてきます。

頭の中に物理や化学や生物のネットワークができ上ってきてほしい時期なのですが、今学期の学生たちはそこがまだまだのようです。単一の知識で答えられる問題は順調なのですが、3つ4つの知識の合わせ技で答えるとなると、旗色が悪くなってきます。大学に進学したら、高校理科の科目の枠を超えて頭をひねらねばならないことばかりです。現状でそれについて行けるかなあと心配になります。

私は高校で地学を勉強しました。地学は、物理、化学、生物を総合した科目です。岩石の成り立ち一つを取っても、物理的に見たり化学的に想像したりしながら、そこに化石でも入っていたら生物学的発想も必要です。そういう訓練をしてきたせいか、物理や化学や生物を外側から見る目が育ちました。数学も含めて、これらを道具として使って、自分の解くべき問題を解こうと考えるようになりました。まあ、こういう考え方を持つことはは、エンジニアとして働けば必要に迫られるんですけどね。

今の学生たちにそういうことを伝えたいのですが、なかなか伝えきれません。何より、1週おきに休む学生には、思いは届きません。Pさん、Kさん、あんたたちのことですよ。

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コトバデー

9月5日(月)

7月に予定されていましたが、感染拡大のため延期していたコトバデーを開催しました。スピーチコンテストがクラス代表のスピーカー1名で競っていたのに対し、このコトバデーはクラスの学生全員が出場します。ですから、今学期はどのクラスも密かに練習に励んでいたのです。

残念だったのは、立派な会場を使う予定だったのが、延期したために6階講堂になってしまったことです。ステージも狭ければ音響設備も貧弱で、しかもzoom配信で発表を聞くことになり、当初の計画とはだいぶ違うものになってしまいました。しかし、現在の感染状況に鑑みると、このあたりが精一杯かもしれません。

そんな悪条件にもめげず、学生たちは練習の成果をステージ上で見せ聞かせてくれました。結果として練習期間が延びたおかげで、朗読など、教室で指名されて読解の教科書を読むときより数倍上手でした。まず、つっかえないし、イントネーションもかなり改善されているし、学生によっては感情も込めていたし、この経験を“やればできるんだ”という自信につなげてほしいと思いました。

スピーチコンテスト部門に参加した学生たちは、みんな自ら立候補しただけあって、主張も明確だったし、相当練習したんだなと思わせられる話しっぷりでした。他人とは違った視点で物事を捕らえた発表もあれば、自分の偽らざる気持ち・決意を表明したスピーチもあり、以前のスピーチコンテストに勝るとも劣らぬレベルだったことは確かです。

学生たちには、これを機に話すことに目を向けてもらいたいと思います。話すことはコミュニケーションの基本です。入学試験でも進学後も就職してからも、コミュ力は必要不可欠です。このコトバデーが、そんなことに気付くきっかけになってくれればと思います。

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力を伸ばすには

9月2日(金)

A先生の代講で、中級クラスに入りました。まずは漢字テスト。漢字の読み書きだけではなく、漢字の時間に出てきた語彙を使って例文を作る問題もあります。学生の力を見るには好適な問題です。

授業後、採点してみると、漢字の読みができていませんでした。濁音か清音か、長音になるかならないか、促音の有無など、引っ掛かりやすいところでみんなつまずいているようでした。日本語の音が完全に入っていないのかもしれません。このクラスの学生は日本語力が今一つだと聞いていましたが、こんなところにその一因があるような気もしました。

例文は、上述のようなミスには目をつぶると、語彙の意味が全然わかっていないようなものはありませんでした。しかし、初級で勉強してきたはずの小技が使えないんですねえ。「お酒を飲んで泥酔しました」じゃ、〇はあげられません。せめて、「お酒を飲みすぎて泥酔してしまいました」としてもらいたいところです。まあ、これはこのクラスの学生に限ったことではなく、中級の学習者全般に当てはまりますが。

音がきちんとつかめていないと、正確な発音ができません。すると自分の発話力に自信が持てなくなり、黙ってしまいます。相手の発話も聞き取れないとなると、コミュニケーション力などゼロですよ。小技なしの文を並べ立てられたら、日本語教師以外の日本人は違和感にさいなまれて頭痛がしてくるでしょう。自分の心のひだを伝えられなかったとしたら、これまたコミュニケーション力に“?”を付けざるを得ません。

どちらも、学生独りでは力を伸ばしきれないでしょう。教師が、腕を引くのかお尻を押すのかわかりませんが、学生のお手伝いをすることが必要です。

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大改造

9月1日(木)

朝、Kさんが志望理由書を持って来ました。明日の消印有効のE大学に出願する書類ですから、大急ぎで読んで添削しました。

Kさんの志望理由書は、この前読んだHさんのみたいに文字は日本語だけど文は日本語ではない、という代物ではありませんでした。E大学を選んだわけや将来の計画など、要点はわかります。志望理由書としての必要最低限の内容は備えています。しかし、そこまででした。訴える力がありません。読み手の興味を引くものがありません。だから、印象にも残りません。「これじゃ、厳しいだろうな」というのが、偽らざる感想でした。

まず、全体的に文が長すぎます。1つの文だけで構成されている段落がいくつかありました。こういう文は、概して主述や修飾被修飾の関係が不明確で、一読では意味をつかみかねます。だから、パンチが弱くなります。

それから、E大学進学の目的が、書いてはありますが、目立ちません。やはり、これは、ドカンと先頭に持って来ましょう。“結論は先に”です。

そして、E大学について調べた成果も、せっかくですから明示しましょう。Kさんも、そこはかとなくにおわせていますが、それでは弱いです。ここはしっかり自己アピールしなきゃ。

という調子で、Kさんの志望理由書の土台は残したまま、大改造を施しました。「私の言いたいことがはっきりしました。これから何校か出願するつもりですが、志望理由書が上手に書けるようになるでしょうか」と、Kさんが不安げに尋ねてきました。「ま、どの学生も初めての志望理由書はこんなもんですよ。だんだんすらすら書けるようになりますよ」と答えたら、多少は不安が消えたみたいです。

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水増し同然

8月31日(水)

岸田首相が、留学生30万人計画を拡大する方向で見直す方針を打ち出しました。“鎖国”直前は31万人ほどにまでなりましたが、現在は24万人程度に減っています。これをもう一度30万人に戻し、さらに上積みしようという考えです。

日本語学校は、日本の高等教育機関で学ぼうという意志のある方々をお預かりし、日本語力を付けさせ、大学院や大学、専門学校などに送り出すという役割を担っています。だから、国が留学生を増やすために汗をかいてくれるのは、本来ありがたいことです。しかし、留学生の実態を知っていると、このまま人数ばかり増やしていいものかと思う気持ちも抑えられません。

Cさんは数学がよくできます。でも、Cさんの宿題を見ると、問題に対して答えしか書いてありません。答えの導出過程は全く書かれていません。数学の答案を書くことは、論理思考の訓練です。それができないとなると、進学してから伸びないのではないかと思います。そういう学生が、Cさんだけではないのです。

この稿でたびたび書いていますが、EJUの問題は、高等教育機関の入試としては、非力です。“対策”でどうにかなってしまう部分が大きすぎます。こういう試験で高得点を取った受験生がそのまま大学に進学すると思うと、大学の教育の質に影響が及ぶのではないかと心配です。

ガリガリ1人で勉強して、マークシートの選択式問題は得意だけれども、筆答式となるとたじたじで、口頭コミュニケーション力ン不安のある留学生が増えるのではないかと危惧しています。大学院入試にも“対策”があったり、専攻そっちのけで志望校を選んだりしているのを見ていると、大学院や大学において留学生を増やすことが、本当に日本の国力を向上させるのか、若者の教育という形での国際貢献につながるのか、疑問を思います。

二流か三流の学生で30万人とか50万人とか、数字を振り回しても意味がありません。岸田さん、そういうところまで見た上で考えをまとめていますか。

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調べても

8月30日(火)

「『個』と『つ』はどう違いますか」とK先生に聞かれました。K先生は初級のサポートクラスを担当しています。そのクラスのPさんからの質問だと言います。

Pさんは物を数える時の“1つ、2つ、…”と“1個、2個…”を授業で習いました。「りんごを2個買います」「りんごを2つ買います」はどちらも正しいけれども、本当にこの両者に違いはないのかと疑問に思いました。自分なりに調べてみたところ、『個』は比較的小さい物、『つ』はそれよりもいくらか大きい物に対し使うという解説を見つけました。それをK先生に確かめようとしたのです。みなさんはどうお考えになりますか。

私は、『個』と『つ』の違いは対象物の大小ではないと思います。すいかとみかんは明らかに“すいか>みかん”ですが、「すいかを1個買います」「みかんを1使います」どちらも成り立ちます。むしろ、「山を2つ越えると海です(×2個)」「濃尾平野には大きな川が3つながれています(×個、◎本)」のように、大きな自然物には『つ』を使うことはありますが、『個』は使いません。

特別な助数詞がない物体に対しては、『つ』の方が使用範囲が広いと言えます。また、「条件が2つあります」「自分の長所を3つ挙げてください」のように、抽象的な概念には『つ』です。最近とみに勢いを増している、年齢に関して“1個上”とか“2個下”とかは、誤用ないしは、一歩譲って例外でしょう。

Pさんの場合に問題なのは、『個』と『つ』は対象物の大小で使い分けるという解説がどこかに載っているという点です。Pさんは初級ですから、母語で書かれたサイトを検索したのでしょう。そういう日本語文法解説や辞書は、日本語を母語としない人が書いていることがよくあります。「先生、私の辞書にはこう書いてあります」と学生に主張されることが時たまあります。そういう時はそれを見せてもらい、著者・筆者の名前が日本人っぽくなかったら、堂々と「その辞書が間違っています」と答えます。

日本で日本語母語話者から教わっているのですから、学生にはその感覚を身につけてもらいたいです。生きた言葉がつかえるようになってほしいです。

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何のために?

8月29日(月)

Cさんは2020年末に来日し、入管の特例措置で来年3月までKCPで勉強する予定の学生です。本来だったらすでに上級まで行っているはずなのですが、毎学期成績が芳しくなく、いまだに中級です。先日の中間テストもさんざんな成績で、早くも来学期の進級に赤に近い黄信号がともっています。

Cさんの不成績の原因は、一つには、対面授業を避けていることです。授業に集中できているか怪しい面があります。また、話す訓練が不十分ですから、教師とのコミュニケーションさえもうまく取れません。オンライン授業は、学習者側の意欲が伴って初めてうまくいくのです。

オンライン授業を受け続けているのは、国のご両親からの影響もあるようです。Cさんはワクチンを打っていません。日本のではなく国のワクチンを打てというのが、ご両親のお考えです。ワクチンを打ちに一時帰国するというのも、前後の手続きの煩雑さを考えれば、現実的ではありません。朝のラッシュが怖いと言います。だったら、ラッシュの前に来いと言いたいです。午後の授業なら出られると言います。午後は初級の授業しかありません。まあ、中間テストの成績のひどさや、話す力のなさ加減を見れば、初級クラスに格下げしても妥当かもしれませんが。

どうやらご両親はCさんを帰国させたいようなのです。でも、Cさんは日本にいたいと思っています。しかし、KCPを出た後、日本で何をするつもりかというと、はっきりしません。志望校も漠然と有名校を並べているだけで、本気で考えているとは思えません。Cさんは支払った授業料がもったいないから3月までKCPで勉強したいと言います。でも、私から見ると、それは時間の無駄に過ぎません。今すぐ帰国して、転進を図るべきだと思います。

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老眼に負けるな

8月27日(土)

養成講座の授業内容を改訂するので、それに合わせて資料作りをしています。その資料作りのために、最近、文献を読み込んでいます。文献と言っても、インターネットで手に入るものばかりですから、それほど深くもなく、広範囲でもありません。ですが、けっこうな分量になり、文献と文献を突き合わせながらとなると、読み進むのに時間が必要です。しかも、学生時代とは違って老眼ですから、すぐ目が疲れます。すると読み間違いも増え、読むスピードがさらに落ちます。

かなりしんどい思いをしているにもかかわらず、この仕事に取り掛かるとあれこれ読みたくなります。読んでいる途中で浮かんだ新たな疑問を解決するために、あるいはそこに書かれていることの裏を取ろうと、別の資料に手を出すという具合です。しかし、時間軸が無限に伸びている仕事ではありませんから、適当なところで手を打たなければなりません。それを残念がっている自分を見て、なんだか不思議な気持ちになりました。

大学院進学を希望する学生も、きっとこんな感じなんでしょうね。いや、こんなもんじゃすまないかもしれません。私は誰かが突き止めた事実や打ち立てた理論を探し当てればいいだけですが、大学院に進む学生たちは未知の世界に足を踏み入れるのです。どうすればいいかわからないということだってあるに違いありません。

今学期も、大学院進学希望の学生の面接練習や進学相談に付き合いました。学生たちは調べたり想像したりした内容を、異国の言葉である日本語で語らなければならないのです。その苦労を思えば、老眼で目が疲れるなんて言っていられませんね。

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相談にこたえる

8月26日(金)

遅い昼食から帰ってくると、Mさんが進学の相談をしたいと、職員室で待っていました。

Mさんの志望校はD大学です。D大学には、工学部電気電子工学科、工学部電子システム学科、理工学部電子工学系と、似た名前の学部学科が3つあります。そのどれに進んだらいいかというのが、Mさんの相談内容でした。

例えば、AIについて勉強したいなら、この3つのどれを選べばいいでしょう。実験が多いのはどこでしょう。ホームページを普通に見ていても違いは見えてきません。こういう時は、それぞれの学科・系に所属している先生の研究内容を見るに限ります。そうすると、どうやらAIは工学部電気電子工学科の守備範囲のようだとか、理工学部電子工学系は医工学に強そうだとか、そんなことがわかってきます。

私が受験生だったころは、話が単純でした。理科系は学科の名前を見れば、勉強できる内容が十分想像できました。それから40年余り、学問分野は広がり、複雑化し、また、「学際」と呼ばれる領域があちこちに生まれています。これらを網羅しようとすると、新しい学部学科名が作られたり、既存の学部学科の範囲がいつの間にかオーバーラップしていたり、ということも発生します。私も偉そうな顔をして進路指導などしていますが、Mさんのような相談を受けると、即答などできません。学生と一緒に調べて答えています。

調べながら、いつも、こういう質問に即答する方が信頼されるのだろうか、一緒に調べて答える方が親身になっている印象を与えるのだろうかと、悩んでしまいます。私は、即答は情報・知識の堆積がもたらすものであり、それはコンピューターに任せておけばいいと思っています。学生が教師に相談するのは、自分で調べたのでは気が付かない、新しい切り口がほしいからではないでしょうか。そう考えて、答えるようにしています。

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