+3.5度

4月6日(木)

東京の桜は、もうすっかり普通の木になってしまいました。丸ノ内線四ツ谷駅からちらっと見える桜も、すっかり若葉です。花園小学校の桜も、先週あたりはかろうじて木の下のベンチでお花見をしながらランチとしゃれ込んでいるグループもいましたが、今はもう、うつむいてスマホをいじっている人ばかりです。

気象庁の発表によると、東京の3月の平均気温は、平年より3.5度も高く、史上最高だったそうです。東京に限らず、全国的にかなり暖かな3月だったようです。もちろん寒い日もありましたが、私も早々に真冬装束を解き、卒業式のころから春の装いです。もうコートをクリーニングに出しても後悔することはないでしょう。

昨日の入学式も、新入生を歓迎に来てくれた在校生の中には、半袖の学生が何名かいました。私はさすがに半袖を着る気にはなりませんが、半袖の学生を見ても寒そうだとは思いませんでした。通訳をしてくれたMさんなんかも余裕の表情でした。

平均気温が1度上がるだけでも大変なことになると世界中で大騒ぎしているのに、3.5度も上がってしまった東京はどうなるのでしょう。半袖姿の学生が自然に見える程度で済むとは思えません。7月、8月あたりに3.5度高くなったら、暑さのために臨時休校などということもあり得ます。今年の夏も電力に余裕がないと言いますから、みんなが一斉にエアコンを使って、東京がブラックアウトなんて悪夢すら考えられます。

明日から新学期です。学期の後半は、クールビズでノーネクタイです。まさか、連休のころから蒸し暑くて夜も眠れない…などということはないでしょうね。

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入学式挨拶(2023年4月5日)

みなさん、ご入学おめでとうございます。いつの学期もそうですが、新入生の、意欲あふれる、希望に燃えた顔を目の前にすると、私も心が浮き立つと同時に、気が引き締まる思いがします。

これからみなさんの留学生活が始まるわけですが、留学生活を続けていくうえで一番難しいことは何だと思いますか。それは、今みなさんが抱いている意欲や希望を抱き続けることです。2023年4月5日の、好奇心に満ちた新鮮な心を、みなさんがKCPを去る日までずっと持っていることが、何より難しいのです。

今更言うまでもないことですが、親元を離れ、自分の生まれ育った国の外で、ましてや言葉も満足に通じない環境で、生活するのみならず、今後のみなさん自身の人生の成否をかけて勉学に集中することは、並大抵の難しさではありません。この困難を見事に乗り越えて志望校に進学したり日本で職を得たりした先輩たちも大勢います。その反面、いろいろな要因で挫折を余儀なくされた先輩方がいたこともまた事実です。

かつては、学費や生活費を稼ぐためのアルバイトに追われて勉強どころではなくなってしまった学生をよく目にしました。しかし、今はみなさんの国が裕福になりましたから、そういう学生はめっきり少なくなりました。その代わり、精神的に追い詰められて留学の目的を果たせなくなってしまう学生が増えてきました。優秀な頭脳を持ちながら、その頭脳を活かすことなく不本意な選択に甘んじざるを得なくなってしまった学生の姿は、見るに忍びないものがあります。

こうした学生の多くは、視野狭窄に陥り、近視眼的な発想しかできなくなっています。今、この場にいるみなさんは、視線を、漠然とした形ではあっても、「将来」に向けています。それがみなさんの意欲の原動力であり、希望の源です。逆に、「将来」を忘れてしまって、目の前の愉悦に逃避したり恐怖におびえたりしているようだと、留学生活に息苦しさしか感じられなくなるでしょう。

そんな時は、私たち教職員を頼ってください。私たちは、今までの留学生の成功例も失敗例も数限りなく見てきました。その経験をもとに、なにがしかのアドバイスをして差し上げられるでしょう。時には、そのアドバイスはみなさんにとって耳の痛い話になるかもしれません。しかし、その耳の痛さを避けていては、自分の現状と入学式の日の心意気との落差から目を背けていては、問題は解決しません。危ない状態から立ち直った学生は、私たちの意見に耳を傾けています。あるいは友達の差し伸べた救いの手にしっかりつかまって這い上がってきました。

私たち教職員はみなさんを見守っています。スランプだなと思ったら、遠慮なく頼ってください。みなさん自身が気づかなくても、様子がおかしいなと思ったら、こちらから声をかけることもあります。そして、私たちと語り合うことをきっかけにして、留学の第一歩を力強く踏み出そうとしている今のみなさんを取り戻してください。これが、みなさんがご自身の留学を成功に導く鍵です。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

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教授を目指す

4月4日(火)

私が受験生のころには、すでに「駅弁大学」などと大学の大衆化を揶揄するような言葉がありましたが、昨今は大学進学率が50%を超え、東京に至っては高校生の8割近くが大学に進学しています。しかし、それでも韓国などと比べると大学進学率が低く、「日本は低学歴国」と嘆く声もよく耳にします。

進学率は上がっても、それ以上の勢いで少子化が進んでいるのでしょうか、閉学する大学も出てきています。つい先ごろも、恵泉女学園大学が学生募集停止に至ったというニュースがありました。そこそこ名の通った大学でしたから、驚かされました。全国を見渡すと、私立大学の半数近くが定員割れです。そもそも、日本に800校もの大学は多すぎるという意見もあります。駅弁を売っている駅は、800よりもはるかに少ないでしょう。

ちょっと前までは留学生などには見向きもしなかったのに、急に留学生の募集に熱を入れ始める大学が時々あります。そんな大学の担当者がKCPまで留学生の実情を聞きに来ることもたびたびです。誠心誠意留学生に向き合ってくれればと思い、私も好意的に答えています。しかし、中にはあまりに留学生について知らなさすぎるというか、想像力が欠如しているとしか言いようのないところもあります。日本人学生の募集に行き詰ったから留学生に手を伸ばしてみようかというのでは、安易すぎます。

夕方、何年か前の卒業生が来ました。ある大学の大学院の修士を出た後、今は別の大学院の修士で別の専門を学んでいます。博士まで進んで、末は大学教授を目指すそうです。こういう気概のある学生が、日本人には少ないのかなと思うと、少し悲しくなりました。こういう学生の期待に応えられる大学が日本にどれだけあるのだろうかと思うと、心もとなく感じました。

国立大学の予算を削ってばかりだと、世界中の学生から見放されます。大学の研究を金もうけに直結させようというさもしい根性は、捨て去るべきです。

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さよなら、日本

4月3日(月)

お昼過ぎに、だいぶ昔の卒業生Yさんが来ました。残念ながら、“Y”という名前はすぐには思い出せませんでした。マスクの外に出ている眼もとと声に覚えがあり、別の先生がYさんと呼び掛けているのを耳にして、「ああそうだった」となった次第です。

Yさんは関西の大学に進学し、その大学の大学院に進み、大学院を修了して、あさって帰国します。話を聞くと、日本の国の、もしかすると日本人の心の狭さが感じられ、考えさせられることが多かったです。

Yさんの研究内容にも関連があるのでしょうが、就職の際に国籍が問題にされたそうです。日本に帰化していたり、永住権を持っていたりすれば、その会社の研究の核となる仕事に携われたのですが、そのどちらでもないYさんは、修士の学位を持っていても周辺的な仕事しかさせてもらえそうもなく、就職はあきらめざるを得なかったそうです。国へ帰ったほうが、明るい未来が開けそうだということで、帰国を決意しました。日本は、有望な人材を1人失ったのではないでしょうか。

大学院は京大に進学したかったのですが、入試と感染拡大期が重なり、入試がめちゃくちゃになってしまい、やはりあきらめざるを得なかったとか。京大なら、どこの会社でも入り放題だったのではと言っていました。

でも、関西での留学生活は充実していたようです。東京では味わえなかった経験を、あれこれ語ってくれました。そういった経験が、Yさんの留学生活に花を添えたようです。

Yさんで一番印象深いのは、大学を14校受けたことです。1校か2校でお茶を濁そうという学生が多い中、私の知る限り最多記録です。今の学生たちには、その根性を見習ってほしいものです。できれば進学授業でその体験を訴えてほしいところですが、あさって帰国じゃしょうがないですね。

それじゃあ、Yさん、お元気で。

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落ち着いた雰囲気

4月1日(土)

午前中、電気設備の定期点検のため停電でした。停電でもできる仕事、パソコンやコピー機などを使わない仕事ということで、昨年11月のEJU理科の模範解答を作りました。これなら紙と鉛筆でできます。

学期中は授業が最優先ですし、1月期はギリギリのところでの進路指導もあります。ですから、EJUの問題を解くための時間はなかなか作れませんでした。学期が終わったらすぐに新学期の準備ですから、やっぱり時間が取れません。停電でパソコン仕事ができないとなるで、出勤する教職員も少なく、だから鍵もありません。というわけで、停電のおかげで、やっとまとまった時間が取れたというわけなのです。

解いてみると、いくつかオヤッという感じの問題がありました。今までとは傾向の違う問題で、ちょっとした頭の体操になりました。聞いている事柄は同じなのですが、角度を変えて問うているので、新鮮に感じられました。毎回こういう問題がバンバン出てくると、解くにしても教えるにしても、甲斐が出てきます。

残念ながら、“問題のための問題”みたいな問題もありました。毎度のことですが、知識の有無を調べてどうするのだろうと思ってしまいます。また、厳密には成り立たないんじゃないかなという問題もありました。日本人の高校生が受ける共通テストで同じ問題が出たら、騒ぎになったかもしれません。

人が少ないので仕事がはかどりました。新学期は、6月18日のEJU本番に向けての理科の授業をしていきます。Hさん、Jさん、Pさん、バリバリ鍛えていきますよ。覚悟していてください。

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隣の女性

3月31日(金)

昨日の夜、退勤時に乗った銀座線で私の隣に座った20歳代と思われる日本人女性は、堂々とマスクをしていませんでした。電車の中では、外国人観光客らしき人たちがマスクをせずにおしゃべりしているのは何回か見かけましたが、日本語があふれたスマホの画面とにらめっこしているマスクなしは初めてでした。

まわりの乗客も、私と同様に一瞬ぐらいはその人に目をやったかもしれませんが、何事もなかったかのように自分の仕事に没頭していました。ずっとあたりを見張っていたわけではありませんが、眉を顰めたりなどという人もいなかったと思います。少しずつ、社会が復旧しつつあるんですね。

現時点では、半袖で歩くよりマスクを取って電車に乗る方が勇気がいります。私は大勢順応派ですから、ごく当たり前にマスクを着けて電車に乗ります。昨日の女性がどんな考えの持ち主かわかりませんが、そういう行動ができることに対して、うらやましさを感じました。

5月の連休明けに5類に指定替えになったら、マスクなしの顔がぐっと増えることでしょう。マスクを着けたままの人がかなり残るんじゃないかとも言われていますが、梅雨が近づいて蒸し暑くもなるし、マスクなしが思ったより早く広まるんじゃないかな。

KCPでは、新学期から学生教職員に対して、校舎内でもマスク着用を求めないことにします。教室の机の配置も、以前のようにみんなの顔が見えるコの字型に戻します。どのくらいの学生がマスクを外すでしょうか。教室にかつてのにぎわいが復活するでしょうか。始業日は、来週の金曜日です。

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優秀な学生

3月30日(木)

Rさんは新学期から最上級クラスに進級します。こう書くと素晴らしい学生のように思えるかもしれませんが、本当は3月にKCPを卒業して、4月から大学院に進学するつもりでした。受験に失敗したのかというとそういうわけでもなく、出願しそびれてもう1年になってしまったというのが実情です。

Rさんは、のんびりした性格のようです。まず、毎朝のように遅刻します。「もう1本早い電車に乗れ」と何回注意したでしょう。私だけじゃありません。歴代の担任の先生全員からです。大学院への出願も、研究計画書の執筆が思うようにはかどらず、結局あきらめざるを得ませんでした。

先日面接したときには、研究計画書は書き直そうと思っていると言っていました。予定より1年遅れになってしまったのですから、より完成度の高いものを追い求めるのは当然かもしれませんが、今すぐにでも着手しないと、また志望校の出願に間に合わないということになりかねません。6月のEJUが終わったら動き始めるつもりだなどと時間感覚のかけらもないような計画を語っていましたから、ねじを巻きました。

最上級クラスに入るくらいですから、優秀ではあります。しかし、このままではその優秀さを発揮するチャンスが訪れないかもしれません。シャカシャカ動いてチャンスをつかんでほしいところですが、教師が何も言わなかったら、6月のEJUどころか夏休みが過ぎても何もしていないと思います。

こういう学生が一番もどかしいです。焦っているのは周りの教師ばかりで、Rさんの頭の中には何の計画も立っていないんじゃないかな。新学期になっても遅刻ばかりしているようだと、相当危ないです。一体、どうやったらRさんの心に火がつくのでしょう。

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ビッグデータの活用

3月29日(水)

読解の授業でビッグデータに関する文章を読んだので、期末テストの作文はビッグデータに関するテーマにしました。ビッグデータなどに関しては私なんかより学生たちのほうが詳しいだろうと思っていたら、作文を読む限り、そうでもなさそうでした。もちろん、大学院でその方面の研究をしようと考えている学生は、採点に困るような“論文”を書いてきました。しかし、読解の授業をさぼっていたのではないかと思いたくなるような作文もありました。

ビッグデータから個人データの収集を強く連想しすぎ、個人データの盗用・悪用に話題が傾いてしまって、ビッグデータを活用した世界、活用されすぎた社会というところに思いが至らない学生が目立ちました。

私はK書店のポイントカードを持っています。本を買うたびにポイントをためています。ある時、私にお勧めの本のメールが届きました。その中に、紹介文を読んでぜひ欲しくなった本がありました。しかし、私はその本をK書店では買いませんでした。これ以上私の好みをK書店に把握されたくなかったからです。K書店は、悪意がないどころか善意の塊で、ビッグデータに基づいて私にその本を紹介したのでしょう。その情報は、私にとって有意義でした。でも、私は自分の心の中をのぞき見されたような薄気味悪さというか、不快感を禁じえませんでした。結局、K書店はビッグデータでお客を1人失いました。私が自分でK書店に足を運び、その本を見つけたら、疑いなくK書店で買いました。ポイントもたまるし。

こんな話を書いた作文に出合ったら、私はどんな採点をしたでしょう。

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すっきりさわやか

3月24日(金)

学期が終わると、机の周りの掃除をします。3か月間にたまった、授業用のプリントやいろいろなところからもらったパンフレットや参考資料として使った図書などを、捨てたり元の場所に戻したりします。しかも3月は年度末ですから、1年分のそういったものが加わります。中にはシュレダーにかけなければならないものもありますから、結構な時間がかかります。年末にも大掃除をしていますからだいぶ整理したはずなのに、その時に捨てきれなかったものを思い切って捨てるとなると、思いのほかの分量になります。

こういう時は、余計なことを考えてはいけません。直感的に要らないと思ったものはすぐに捨てます。情け心が湧かないうちに処分するところがポイントです。温情はゴミ屋敷ならぬゴミ机に直結します。興味を持ってもいけません。3か月間顧みなかったということは、今後もその書類のお世話になることなど、まずないでしょう。懐かしんでもいけません。せいぜい、シュレッダーに飲み込まれていくとき「さよなら」と手を振るくらいで十分です。

たまりにたまった垢を落としているときに、まれに探していた物が見つかることがあります。でも、私はそんな淡い期待はかけません。それを見つけようと紙を1枚ずつチェックするなんてことはしません。そうです。余計なことは考えないのです。

そういう冷血人間になったおかげで、机の上にそびえていた書類の山も、本棚の本の上にのっかっていた受験講座のプリントの余りも、みんな消えてなくなりました。私の四囲が軽快な装いになりました。

さて、次はパソコンの中です。こちらは“実物”がない分だけ難敵です。来週、腰を据えて整理に取り掛かりましょう。

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別れの日

3月23日(木)

3月は、卒業式が終わっても別れの季節です。期末テストの日をもって退学という学生が、毎年まとまっています。卒業式の後で進学が決まったとか、1月期いっぱいで帰国するとか、そんな学生たちです。

Gさんは帰国組の学生です。A大学には合格しましたが、そこは第1志望からほど遠い大学なので、帰国を決意しました。もう少し力になってあげられたかなと、私自身悔いの残る学生です。そのGさん、私が期末テストの担当クラスの教室で準備をしていたほんの数分の時間に、「明日帰国するので期末テストは受けられません」という電話をくれたそうです。最後に一言、ことばを交わしたかったな。昨日も会っていたのですが、「明日、また会えるから…」と、ごく当たり前に「さよなら」と言って教室から送り出してしまいました。

YさんとZさんは進学組です。この2人は来ないんじゃないかなと思っていたら、案の定でした。次の行き先が決まると、モチベーションを維持するのは難しいのでしょう。Gさんも含めて3人分の空席が、やけに目立ちました。この3人に再び会う日が来るのかな…などということを考えながら、試験監督をしました。

テストが終わり、教室の整備をして、ゴミを捨てに廊下に出ると、Wさんが立っていました。こちらを見てぴょこんとお辞儀をしました。私も軽く会釈を返して教室に戻り、答案用紙などの荷物を持ってまた廊下に出ると、まだ立っていました。明らかに私を待っていた顔つきでしたから、「Wさんにも、もう会えないんだね」と声を掛けました。Wさんは京都の大学に進学します。「これからが、Wさんが本当に勉強したいことが勉強できる時間なんだから、体に気を付けてね」「はい、ありがとうございます。先生に一言挨拶をしたくて…」

うれしいじゃありませんか。先々学期と、おととし、オンライン授業をやっていたころに教えただけの学生が、わざわざお礼を言いに来てくれたなんて。Wさんは、この稿に何回か登場しています(そのたびに仮名が違いますから、これをお読みのみなさんが、Wさんの登場した稿を見つけるのはほぼ不可能でしょうが)。担当じゃないときも、秘かに応援していました。こういう学生だからこそ、応援したくなるのです。この気持ちを忘れなかったら、京都の大学でも、そこを卒業してからも、きっと素晴らしい人間関係が築けることでしょう。

何だか、とても気持ちのいい日になりました。

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