あと1か月

5月18日(木)

昨日から急に暑くなりましたね。中間テストの翌日、16日から、スーツ・ネクタイなしのクールビズにしています。これぐらい暑いと、その甲斐があったというものです。お昼前に外に出たら、やっぱり気温の高さを感じました。でも、肌にまとわりつくような、ねっとりした暑さではありませんでした。湿度は30%前後だったようですから、さわやかな暑さだったと言っていいでしょう。

5月の暑さは日中だけですから救われます。昨日も日が沈むのと同時くらいに気温は25度を割り、今朝の最低気温は18.7度でした。7月や8月は、夜になっても暑いです。最低気温が28.7度なんていう日もざらにあります。そうなると朝から体力消耗で、ぐったりしている学生が目立ってきます。

物理の授業の直前に質問に来たPさんも、軽装でマスクもしていませんでした。おとといの化学の時間は、2月ごろにも着ていたフリースみたいなのを羽織っていました。それと比べるとえらい違いです。おとといは、朝はひんやりしていましたからね。

その物理ですが、Pさんを含めて、みんな宿題をしてきませんでした。「来週の授業は問題の解説をするから、必ずうちで問題をやってこい」と繰り返し言ったつもりでしたが、通じていませんでした。やっていない問題の解説をしてもしょうがないので、時間を与えて問題を解かせました。おかげで、ごく限られた問題しか解説ができませんでした。学生たちは、これでは時間の無駄だと感じてくれたでしょう。そう信じて、来週分の問題を宿題として渡しました。

EJUまで、ちょうど1か月です。

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津波でサーフィンはできません

5月17日(水)

中級で使っている読解の教科書に、津波てんでんこの話が載っていました。津波てんでんこは東日本大震災の後で広く知られるようになりました。日本人にとっては常識に近くなってきましたが、留学生にとっては必ずしもそうではありません。ですから、読解の時間にこういう話題を取り上げる意義もあります。

しかし、その教科書のその課に載っている挿絵がいけません。サーフィンができそうな波から逃げる親子と見られる人たちが描かれています。津波は、台風の波や、北西の季節風が吹きすさぶ日本海沿岸に押し寄せる高波とは違います。それらに比べて波長がはるかに長い、海面が盛り上がるような波です。確かに、そういう波は絵にしにくいです。でも、だからと言って、サーファーが涙を流して喜びそうな波を、さも津波であるかのように見せてはいけません。

学生たちが教科書の挿絵を津波だと誤解をしないように、東日本大震災の津波の動画を見せました。車も家も大木も港に停泊していた船さえも流されていく動画に、普段の読解の授業には興味も示さない学生まで真剣に見入っていました。SさんやLさんなどは顔を引きつらせながら、でも目はそらしませんでした。

この動画は、見せた後に特別な活動をしたわけでもなく、読解の授業の本筋からは脱線しています。しかし、理系人間、地学マニアとしては、挿絵のいい加減さを見逃すわけにはいきません。せっかく地震大国に留学しているのですから、地震に関する正しい知識を身に付けてもらいたいです。

この授業、学生の頭にどれだけ残ったでしょうか。

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ディベート第一歩

5月16日(火)

私のクラスでディベートに挑戦しました。上級の入口のクラスですから、本格的なディベートにはならないだろうと思っていましたが、私の想像よりはよくできました。敢闘賞はあげていいと思います。

自分の意見の主張は、まあまあできていました。チームで相談して内容をまとめますから、当然と言えば当然でしょう。テーマも、「中間・期末テストを廃止することに賛成/反対」という、昨日受けたばかりの中間テストがかかわっていましたから、自分事としてとらえられたのではないかと思います。でも、チームで話し合って決めた主張をそのままぼそっと言っただけというのは、いただけませんでした。

相手チームの主張に対する質問・反論は、各チームのエース級が登場してきましたから、結構厳しい意見も出てきました。ただし、エース級の学生だからこそできたという面は見逃せません。自分の担当ではないと思っていた学生の中には、ボーッとして相手の主張を聞いていたやつもいました。また、その反論に対する反論、質問への解答が貧弱だった点が残念でした。

要するに、相手の話をよく聞いたうえで、それに対応して自分が何か発言するというところがまだまだなのです。話すことはできても、相手の意見をしっかりと受け止める聞き方ができていません。これが、このクラスの学生の課題だということが非常に明瞭になりました。確かに、上級だからこのくらいの日本語は通じるだろうと思って話しても、うなずく割にはさっぱりわかっていないということがよくあります。

来週も、また挑戦してみます。どうやったら、「聴く」ことができるようになるか、私にとっても大きな課題です。

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久しぶりのご対面

5月15日(月)

中間テストの試験監督のクラスには、先学期受け持っていた学生が何名かいました。1つ下のレベルから、順調にというか年功序列式にというか、まあ、とりあえず進級した(させた)学生と、もう1つ下のレベルから飛び級的に進級した学生が在籍しています。正直に言うと、飛び級組の学生の方がよくできます。先学期のクラスでの様子で言うと、勉強に対する意欲が違いました。

さて、テストが始まると、やっぱり飛び級組のほうがスラスラと問題を解きます。とりあえず組は、頭を抱えて動かなくなってしまったり、さっさとあきらめて提出したりと、採点するまでもなく、担任のK先生の頭痛の種となることは明らかです。飛び級組は、スラスラ解くばかりではなく、じっくり考えるべきところは時間をたっぷりかけて、結局試験時間いっぱいまで粘っていました。これも意欲の違いでしょう。

このクラス、自分が送り込んだのが“???”な学生たちでしたから、果たしてクラスが成り立っているか心配でした。でも、試験監督としてクラスに入ってみると、飛び級組のほかに奨学金面接で好印象だった学生や、新入生のオリエンテーションで光っていた学生や、よくできると噂の学生もちらほらいて、教え甲斐のありそうなクラスだなと感じました。となると、“???”な学生たちはどうなのでしょう。

担当しているK先生やA先生に聞くと、案の定、クラスのお荷物になっているようです。この学生たちは、進学するつもりはあるのですが、それが学習意欲に結びついていません。適当に勉強していればどうにかなるだろうという考えがあるようです。そんな考えじゃ進学できないと先学期さんざん言って聞かせたのですが、新年度になったら時間に余裕ができたと思っちゃったのでしょうかね。1月期にまた受け持つのは、いやですよ。

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熱心差

5月12日(金)

中級クラスのTさんは、クラスで中ぐらいの成績の学生です。ちょっと油断するとすぐ赤点になってしまいます。Tさん自身もそれがわかっていますから、毎日必死に勉強しています。あらゆるチャンスを利用して力を伸ばそうと、授業中に書く例文にも、毎日の宿題にも全力を傾けています。だから、Tさんの例文や、宿題などの提出物を読むのは、私の秘かな楽しみです。

Yさんは、先学期話をする機会があったときには、K大学に入りたいと言っていました。滑らかとは言えませんでしたが自分の気持ちをきちんと話していましたから、4月に私のクラスの名簿にYさんの名前を見つけた時には、いっしょにK大学を目指そうと、期待と希望を抱いていました。しかし、その期待と希望はあっという間にしぼんでしまいました。授業中のやる気のなさが半端じゃありません。テストも毎回不合格だし、不合格だとわかっても挽回しようという様子が全く見られません。提出物を見ても、実に省エネ答案です。提出しろと言われたから、とりあえず何か書いて出しておこうという気持ちがくっきり浮かび上がっています。

Tさんの提出物は、こちらも本気で添削します。中くらいの学生ですから、クラスみんなの役に立つ“いい間違い方”もよくしてくれます。それは授業で取り上げて、こういうことを言いたいときはこういう表現をするんだよと、全学生に参考にしてもらいます。そんな時、ちらっとTさんの顔に視線を向けると、私の板書を必死書き写しつつも、心なしか誇らしげな表情をしています。Yさんのおざなりの答えには、議論できるような間違いなどあろうはずがありません。

週明けは中間テストです。Tさんは自習室で苦手の漢字の書き取りを練習し、ノートや返却された宿題などを見ながら文法の復習もしていました。Yさんは何をしていたんでしょうかね。

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原子の世界

5月11日(木)

物理の時間は原子物理を扱いました。ニュートン力学が通用しない世界だという点でわかりにくいことは確かですが、EJUでは毎回1問、やさしい問題が出されます。単純に式に数値を代入すれば答えが出てくる問題や、ある公式さえ知っていれば簡単に答えが見つかる問題などが多いです。力学や電磁気学に比べれば点が取りやすいです。ただ、最後の問題ですから、1番から順に問題を解いていくと、原子物理の問題のころには時間がなくなっているかもしれません。それゆえ、問題は易しくても、時間切れで問題を解くに至らなかったという例が多いようです。もったいない話ですね。

だから、一通り話が終わった後、過去問からピックアップした原子物理の問題集を渡しました。これをやってみて問題の易しさが実体験できれば、EJU本番で最後の問題を最初にするくらいの知恵を回してくれるのではないかと期待しています。解ける問題を解かなかったなんて、点数をどぶに捨てるようなものです。

そういう指導をしつつ、どこか何か間違っていると感じています。どうせ1問なんだからと、説明を端折りました。式の誘導をすると面白いのにと思いつつ、結論だけ示して「これ、覚えといて」とやってしまいました。また、この分野はノーベル賞の宝庫ですから、その方面に話を広げても手に汗握る展開になるのに…。でも、学生たちは目前に迫る6月のEJUに照準を合わせていますから、こちらもそのつもりで授業を進めなければなりません。与太話は、来学期に回しましょう。

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授業後

5月10日(水)

文法テストがありました。昨日もありましたから、2日連続です。昨日のテストが難しかったからでしょうか、朝、教室に入ると、みんな教科書を開き、自分が書いて先生に添削してもらった例文ノートを見ていました。いつものようにおしゃべりしている学生はいませんでした。張り詰めた空気を吸い込むと、肺に針が刺さるような感じすらしました。

授業を急ぎ気味に進めて20分ほどの時間を作り、昨日のテストを返却し、ざっと解説を加え、間違いを直す時間を与えました。学生からの質問に答えたり、学生が間違いを正しく直せたかどうかチェックしたりしていたら、あっという間に終業のチャイムが鳴りました。いつもならここでさっさと職員室に戻ってしまうのですが、成績優秀なごく一部の学生が帰っただけで、大半の学生が残っている教室を後にすることはできません。

学生たちは教科書を読まなくなったなあと思いました。「どうしてこれはダメなんですか」と学生に聞かれた文は、すべて似たような例文が教科書に載っていたり、教科書に“こういうことはしてはいけない”と注意書きがしてあったりしていました。その部分を示すと、学生たちは「そんなルールいつできたんだよ」と言わんばかりのびっくりした顔を見せました。それの繰り返しでした。

学生たちは、授業中に練習して、これで身に付いたと思うと、安心し過ぎて油断してしまい、かえっていけないみたいです。練習が中途半端だったんでしょうかね。来週の月曜日が中間テストですから、軌道修正の最終チャンスです。こちらも気合を込めて指導しなければなりません。

職員室に戻ったら1時過ぎ。1時半からは次のお仕事が待ち構えていました。

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ちょっとした隙に

5月9日(火)

会話の授業で、連休中にどんなことをしたか聞きました。本栖湖へ行ったとか、かつてのホストマザーを訪ねたとかという学生は滑らかな日本語で私の問に答えてくれました。一方、ずっと勉強していたとか、ゲームばかりしていたとかという学生は、たどたどしい日本語に戻っていました。大遅刻で入室したEさんに至っては、遅刻の理由を聞くと、「アラームが起きませんでした」と意味不明の回答をしてくれました。Eさんも連休中は引きこもり状態だったそうです。たった1週間足らずですが、日本語から離れてしまうと、こうもできなくなるものかと驚かされました。

それでも、“友達から連休中の様子を聞き出す”という課題を与えて、強引に会話の授業を進めました。最初は調子が出なかった学生も、スマホの写真を見せたり見せてもらったりしながら、自分の連休を語ったり友達の話にツッコミを入れたりするほど復活してきました。日本を離れていたTさんも、連休の思い出話で友達を笑わせたり感心させたりしていました。

その一方で、Yさんのグループは黙り込んでしまいました。あまりに話が弾まないので、私が話の接ぎ穂を拾い出して学生に渡すのですが、教室をぐるっと回ってまた来ると、またみんなでスマホをいじっています。Yさんは国にいる恋人と毎日長電話、Sさんはひたすら勉強、Cさんはアルバイトでしたが使う日本語は限られていた、という調子で、日本語でコミュニケーションをとる生活は送っていませんでした。

毎日学校に通って直接日本語に触れることで保たれていたバランスが、この連休で日本語じゃない側に大きく傾いてしまったようです。“日本語学校の存在価値を改めて感じた”などとのん気なことは言っていられません。すぐにどうにかしないと、このクラスの学生は悲惨な運命に襲われるでしょう。

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口元すっきり

5月8日(月)

関西は全体的にマスクの縛りが緩いようで、街を歩く人も、電車の乗客も、お店の中でも、マスクを外している人が目立ちました。インバウンドの皆さんに限らず、日本人も堂々と鼻と口を出しておしゃべりもしていました。私もそれにあやかって、マスクなしで過ごすことが多かったです。もっとも、私は梅田や難波や三宮や清水寺みたいなおおぜいの人が集まるところへは行きませんでしたから、そういうことができたのかもしれませんが。

ホテルの中も、だいたいマスクなしでしたね。私はチェックインの時マスクをしていましたが、マスクなしで話している人の方が多いように感じました。ホテルの従業員は、マスクをしていましたが。お客は、原則マスクなし、でもマスクは持っていて、いざという時は着用といったところでした。

さて、どこをほっつき歩いていたかというと、芥川山城、愛宕神社、清凉寺、天ケ瀬ダム、服部天神などというところへ足を延ばしました(ご存じのところがありましたか)。でも、思ったより人がいましたね。芥川山城、愛宕神社は大阪や京都の人たちのハイキングコースとなっているみたいで、家族連れ、ペット連れ、カップル、気の合う仲間などで歩いている人たちがかなりいました。山の中ですから、その大半がマスクなしで談笑しながら自然を楽しんでいました。私も、マスクをかばんにしまい込んで、思い切り緑の空気を吸いました。もう、2019年に戻っていました。

帰りの飛行機は満席でしたから、マスクをしました。飛行機を降りてからも、なんとなく外すチャンスがなく、結局家まで鼻と口は覆ったままでした。

「さあ、5類だ。マスクを外そう」と思っていたのですが、家の外に出たらなんとなく気持ちがなえて、結局学校までマスクを着けたままでした。教室に入ると、学生たちは全員マスクをしていました。大阪の学校はどうなんだろうと思いながら、出席を取りました。

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かぶととこいのぼり

5月2日(火)

毎年のことですが、5月5日は祝日なので、連休直前の5月2日に端午の節句の行事をします。今年の特色は、教室で兜を折ったことです。端午の節句のリーダーが兜の折り方のpptを用意してくれましたが、やはり実演するに限ると思い、今朝は出勤して最初の仕事として、兜の折り方を復習しました。

兜なんて、何十年も折っていませんから、果たしてうまく折れるだろうかと心配していました。しかし、折ってみると指先が自然に動きました。自転車に乗るのと同じで、体が覚えているものなんですね。少し自信を持って授業に臨みました。

さて、本番です。学生に折り紙を配って、実演を始めました。その直前の授業までやる気があまり感じられなかったJさんやYさんも、pptと私の実演とを見比べながら、けっこう本気になって折っているではありませんか。学生たちにとって難しかったのは、兜の前立てを折り出すところでした。三角をきっちり半分に折ってしまって、前立てが目立たなくなってしまった学生が何名かいました。先っぽが外に出るように折るんだよと、目の前で折って見せて、学生にやらせました。どうにか、全員兜らしく折れました。

6階の講堂には、毎年のごとく、5月人形が飾り付けられていました。教師の役目は、その人形の解説です。弁慶がいましたから、弁慶の泣き所なんていうのまで教えちゃいました。学生たちと同年代の日本の若者は、そんな言葉は使わないかもしれませんが…。

最後は、校庭に飾られたこいのぼりを見上げました。ビルに囲まれて、いかにも池の中の鯉という感じですが、首を直角に曲げれば青空を泳ぐ鯉に見えないこともありません。

今年は柏餅なしでしたが、学生の心に何か残せたでしょうか。

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