1対1

5月31日(水)

読解の授業をしている最中、ちょうど10時にHさんが教室に入ってきました。遅刻の理由を聞くと腹が立つに決まっていますから、授業に支障を来さないように、そのまま空いている席に座らせました。その後、授業終了まで、Hさんはごく普通に授業を受けました。

遅刻の理由を尋ねなかったのは、腹が立つからだけではありません。実は、授業後にHさんの面接をすることになっていたので、その時にじっくり聞けばいいと思ったからです。

中間テストの結果を見ながらの面接ですが、Hさんはその結果が全科目不合格と、悲惨を極めています。その中の文法を、教科書やノートを見て間違えたところを直しなさいと指示を出しました。普段の授業態度からするといい加減に直すのではないかと思っていたら、教科書をあちこちめくりながら真剣に取り組んでいました。

しばらく経ってHさんの直した答えを見ると、だいたい合っていましたが、一部はどう直していいかわからないようでした。そういう問題について、ヒントになる教科書のページを示すと、それをもとに自分で答えを書いていきました。それでもわからないところは、私が解説を加えました。

クラス授業ではあまりやる気を見せないHさんが、1対1だと非常に真剣になり、どんどん質問するほど積極的になりました。Hさんの別の一面を見た気がしました。クラス20人の中の1人ではやる気が起きないけど、教師を独り占めできるのなら勉強の意欲が湧いてくるのでしょうか。

それは結構なことですが、毎日Hさんのためだけにこういう授業をするわけにはいきません。もしかすると、Sさん、Yさん、Cさんなど、成績が振るわない学生たちはみんなそうなのでしょうか。この学生たちを全員救おうと思ったら、教師は体がいくつあっても足りません。

1対1の指導なら、教師の言葉を自分事ととらえられるものの、20人のクラス授業では、それが他人事に聞こえているに違いありません。そうでなかったら、勉強に関する注意がこんなにも学生に響かないことはありません。私が受け持っているもう1つのクラスでも同じような空気を感じます。

さて、Hさんの遅刻の理由ですが、目を覚ましたら天井にゴキブリがいるのを見つけ、それを退治するのに時間がかかったからだそうです。やっぱり聞くんじゃありませんでした。

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実感できない

5月30日(火)

上級クラスのNさんは、美術系の大学進学を目指す学生です。第一志望校はA大学で、今度の日曜日に体験授業に参加します。A大学は体験授業参加型の入試がありますから、このまま順調にいけば合格の可能性は高いです。また、中間テストではどの科目もクラス平均以上の成績を挙げました。授業中はおとなしいですが、どんな課題にも真剣に取り組む様子がうかがわれます。

そんなNさんの面接をしました。授業後、毎日、図書室で6時まで予復習をすると言いますから、学業に対する姿勢には問題ありません。EJUが終わったらアルバイトを始めると言っていますが、Nさんならアルバイトにのめりこんで勉強がおろそかになることはないでしょう。

私が聞きたい話はだいたい聞き出せたので、最後に「ほかに何か質問はありますか」と聞きました。すると、「最近、自分の日本語力が伸びているか心配になります」と言い出しました。確かに、Nさんは地味なタイプの学生ですが、授業中の発言はいつも的確です。私が受け持っている中級クラスの一番優秀な学生と比べても、はっきり力の差を感じます。だからこそ、A大学の合格可能性が高いと言えるのです。

でも、実力の伸びが実感できないという気持ちも理解できます。レベル1や2の頃は、授業前にはできなかったことが、授業後にはできるようになっているということの繰り返しです。それゆえ、力が付いたことは学生自身にもよくわかるはずです。これが中級以上になると、そういう劇的な違いを感じる機会が非常に少なくなります。Nさんもそういう段階に至っているので、不安なのです。

もちろん、Nさんのようにまじめに勉強している学生の力が伸びていないなどということはありません。今学期だって、ディベートの授業を通して話す力をつけています。それを実感させられないのは、私たちの力不足です。励ますだけではなく、話せたとか読めたとか、具体的な形で学生に体感させたいものです。

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パソコンが壊れた?

5月29日(月)

先週、今年の1月に買ったパソコンが、突然電源が入らなくなってしまいました。こういう時は電源ボタンを長押ししてみるのが常道ですからそうしてみました。しかし、何の変化もありませんでした。前のパソコンを処分せずにとっておいたので、とりあえずそれを使って急場をしのぎました。

そして、昨日、メーカーのサポートセンターに電話を掛けました。日曜日の午後ですから、きっと長い時間待たされるだろうなと思いながら音声ガイダンスに従って1とか2とか入力していくと、わりとすんなりオペレーターにつながりました。

「お待たせしました」の「おま」ぐらいで“あ、この人、外国人”とわかり、しかも国籍まで見当がついちゃいました。外国人となると、早口でまくし立てても通じません。せいぜい中級クラスの学生向けの話し方で、「先週の木曜日から電源が入らないんですが、どうすればいいでしょうか」と聞きました。

「そのことについて、何かお心当たりはありますか」と、おそらくはマニュアル通りの質問がありました。「いいえ、全くありません」と答えてしまってから、“全く”よりも“全然”のほうがよかったかなと思い直しました。でも、通じたようで、その次の質問を繰り出してきました。

結局、私がしたよりもずっと長い時間の長押しをしたら、どうにか復旧しました。そう告げると「そのほか、お聞きになりたいことはありますか」と、これまたマニュアル通りらしき確認。「おかげさまで問題は解決しました。どうもありがとうございました」と答えると、一瞬、間があきました。ちょっと難しかったかな。

パソコンの細かいところの動作チェックをしながら、あの人はどんな日本語教育を受けてきたのだろうと思いました。発音はイマイチですが、やり取りのシチュエーションが限られるという面もあるでしょうが、聞き取りはきちんとできました。上級の力があると思ってもいいような気がしました。

ウチの学生も、専門知識があれば、このくらいの受け答えができるでしょうか。背後から日本人の声が聞こえましたから、サポートセンターは日本にあるのかもしれません。日本で働くとは、こういうことも含まれるのです。私のような素直な客ばかりとは限りませんよ。

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備えてますか

5月27日(土)

昨晩は帰り支度を始めたころに地震がありました。職員室にいた教職員全員が「あ、地震」となりましたが、誰の電話にも緊急地震速報が入らず、大した規模ではないということもすぐわかりました。

ネットを見てみると、千葉や茨城では震度5強だったと報じられていました。この地域では、半月ほど前にも同じような規模の地震がありました。群発地震というほどではないのでしょうが、少々気になる動きです。

学校を出ると、街の中は異常なしでしたが、丸ノ内線・銀座線はところどころ徐行運転でした。千葉方面に向かう鉄道は、運転見合わせだったようです。

家の中も、本棚の本が飛び出したなどということもなく、異常なし。いつものようにお風呂に入ったりネットを見たりして寝ました。夜中に余震もなかったのでしょう。今朝も、いつもの時間に目を覚ましました。

学生はどうだったんでしょうね。土曜日は学生が来ませんから直接話は聞けませんでしたが、「困った」という電話もかかってきませんでしたから、おそらく何事もなかったのだと思います。

でも、1階であれだけ揺れを感じたのですから、教室はもっと揺れたのではないでしょうか。授業中だったら、学生たちは大騒ぎだったに違いありません。

「地震雷火事親父」と言われます。地震は人がよって立つ地面そのものが揺らぐのだから、怖いものの第1位なのだと何かで読んだことがあります。確かにそうですね。地震は突然襲ってきて逃げようがありません。

とすると、地震慣れした東京の人間よりも、地震のたびにビクついている学生たちの方が、人間として、生物として、まっとうなのかもしれません。私なんかはいつも大笑いしていますが。

でも、怖がるくせに備えはしないんですよね、学生たちは。来週は、授業でそんなあたりをつついてみましょうか。これから長い日本での留学生活では、地震と共存ですからね。

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宿題を見ると

5月26日(金)

今学期は中級クラスの読解を担当しています。授業では教科書の文を追いかけるだけではなく、そこに書かれていることについて考えてもらったり、教科書の周辺事項まで話を広げたりしています。学生たちも、自分の思いをうまく表現できないもどかしさを感じつつも、そういったことを楽しんでいるようでした。

ところが、中間テストの出来は芳しいものではありませんでした。私のクラスだけでなく、他のクラスでも似たようなものでした。そこで、学期の後半は、読解の1つの課が終わるごとに、宿題として数問の確認問題をしてもらうことにしました。家で教科書やノートを見ながらなら十分解けるはずの問題です。

その宿題を回収し、チェックしたのですが、残念な結果に終わりました。まず、問題をよく読んでいない学生がおおぜいいました。意味を聞いているのに理由を答えてしまったとか、答え方を指定してあるのにそれに従わなかったなど、解いた後で書いた答えを読み返していないと思われるパターンです。中間テストでも目立ちました。

それから、教科書の文を長々と抜き出した答えも多かったです。それを要領よくまとめてもらいたかったのに、何かを省くと減点されると思ったのでしょうか。「要点をまとめられるかどうかが、中級の力があるかどうかの分かれ目だよ」と言っているんですがねえ。これも中間テストそのものでした。

来週の読解は、こういう点を踏まえて、学生たちをしっかり追い込みます。きちんとはっきり正確に答えられるようになることを第一に、授業を組み立てます。

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教師の勉強

5月25日(木)

1時間の授業をするためには3時間の準備が必要だ――20年以上も前、私が日本語教師養成講座の受講生だった時、講師の先生がおっしゃっていました。駆け出しのころは、そのぐらい準備に時間をかけていたと思います。しかし、今はそこまで時間をかけません。いや、“かけません”と“かけられません”の中間ぐらいでしょうか。仕事が立て込んでいて、即興に近い形で授業をすることさえあります。そんなことでは学生に対して失礼だろうと思いながら、若干の罪悪感を抱きつつ、でも平気な顔をして、教壇に立つこともあります。

準備が嫌いなわけではありません。本棚に並んでいる10冊以上の辞書を駆使して語句の意味を調べたり、読解テキストの参考になりそうな資料を探したり、数学や物理の問題のオーソドックスではない解法を考え出したりなどということは、何時間やっても飽きません。しかし、次から次と仕事が飛び込んできますから、そういう方面にばかり時間を割り振るわけにはいきません。

午後、読解の勉強会がありました。上級では、今学期から新しい読解の教科書を使い始めました。読解の授業のコンセプトも見直しました。そのため、授業で新しい課に入る前に、上級担当の教師が集まって、その課の取り扱い方を研究しています。

毎回、教師間で読解テキストの捉え方、視点の位置が違うものだなと感心しています。たびたび目からうろこが落ちます。そうすると、授業で新しいことに取り組んでみようかというチャレンジ精神が湧き上がってきます。年寄りには刺激が必要なのです。

この勉強会も授業準備だとしたら、いくらかは3時間に近づいたでしょうか。

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5月24日(水)

中間テストの結果をもとに中国出身のSさんの面接をしていたら、「先生、“的”の使い方がわかりません。教えてくださいませんか」と聞かれました。

中国語と日本語では、“的”の使い方に違いがあります。「美国“的”大統領」は「アメリカ“の”大統領」であって、現在はバイデンさんです名詞が名詞を修飾するときの“の”です。ところが、日本語で「アメリカ“的”大統領」といったら、バイデンさんは指さないでしょう。「アメリカの大統領と同じような権力を持った大統領」「アメリカ人のような発想をする、アメリカではない国の大統領」といったところではないでしょうか。

日本語での“的”は、「積極的」とか「具体的」とかというように、な形容詞を作る際に使うのが典型例ではないでしょうか。「実力“的”に十分合格可能」などというと、「実力の面から考えると」と、普通のな形容詞とは違った意味を担っています。

詳しく見ていくと“的”の意味はまだまだ出てくるでしょう。あんまりあれこれ教えるとSさんの頭がオーバーフローしてしまいかねませんから、このほかに日本語は形容詞に“的”をくっつけないという違いを取り上げただけにしました。「白“的”紙」ではなく、「白い紙」です。

はっきりいって、中級になってからこんな質問をするなんて、遅いです。こういう疑問は初級のうちに解決しておいてほしいです。とはいえ、聞くは一時の恥で、面接の場ですから他の学生もいないこともあり、長年の(?)疑問をすっきりさせようとしたSさんの姿勢はほめてあげたいです。今学期の進級は無理かなと思っていましたが、少し目が出てきた感じもしてきました。

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自宅勉強時間

5月23日(火)

火曜日のクラスは、今週もディベートに挑戦しました。「予習と復習ではどちらが大事か」という、先週に引き続きしょうもないテーマですが、主張や反論はいくらでも思い浮かべられるでしょうから、ディベートのネタとしました。作戦立案中の学生たちを見ると、予習が大事にしても復習が大事にしても、予想通りいろいろな意見を出し合っていました。

さて、本番になると、その主張を訴えてはいるのですが、どうも迫力がありません。チームで考えた通りに主張を読み上げるチームもあり、相手の目を見て話すという基本ができていませんでした。逆に、相手の目を見て主張を述べたチームは、審査員の受けが良かったですね。

相手チームの話を聞くことに関しては、先週よりもメモを取っている学生が多かったですが、それでも相手の主張に応じてとなると、できる学生は限られていました。相手の主張もすぐに想像がつくテーマを選んだつもりなんですがね。私から見ると不満な点は多々ありましたが、主張や反論はどうにかこうにか形になっていました。

授業後、学生面接をしました。Cさんは自宅学習が毎日1時間と言います。さらに話を聞くと、日本語の動画を視聴した時間も含めての1時間でした。さっきのディベートでは、予習の重要性をあんなに語っていたのに…。今年はN1を取ると言っていましたが、そのための勉強はしているのでしょうか。

Aさんも事情は似たようなものです。美術系大学院進学希望ですから、今は作品制作に忙しいです。毎日4時間ぐらいそれに時間をかけています。でも、勉強時間ゼロはひどすぎますよ。Aさんの熱弁した復習の大切さが今一つ心に響かなかったのは、こんな事情があったからなんですね。

2人とも、中間テストはどの科目も合格点前後でした。予習復習、せめてどちらか1つはしっかりやっておかないと、日本語力が伸びませんよ。

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新しい道

5月22日(月)

Qさんは、あることを除いて、クラスでは目立たない学生です。その“あること”とは、遅刻です。今朝も、出席を取り、漢字テストの問題用紙を配り終わってふと振り返ると、教室のドアに一番近い席にQさんがいるではありませんか。すぐに問題用紙を渡し、ロスタイム1分ぐらいでテストを受けさせました。

そのQさんとの面接が、授業後にありました。遅刻が多い理由を聞いてみると、後遺症でした。去年8月に感染したQさんは、規定の日数で熱も下がり、PCR検査が陰性にもなり、登校を再開しました。しかし、どうも体調がしっくりきませんでした。Qさんの話をまとめると、寝ようとしても寝付けない日が続いているようです。ゲームなどをしながら夜更かしをしたため朝起きられないという、遅刻者のお決まりのパターンとは違うようです。

また、集中力も落ちて、勉強も長時間続けられません。20分頭を使ったら10分休むという感じでしか勉強できません。勉強の効率が著しく落ちています。予習の宿題だって、ほとんどしてきません。そのため、成績もパッとしません。だから、授業中も目立たない学生に甘んじているのです。大学院進学を考えていましたが、こんな体調では研究計画書の執筆など、受検準備すらできないだろうということで、あきらめました。

目標を専門学校進学としたQさんは、積極的にオープンキャンパスに参加しています。めぼしいところの資料も取り寄せて、着実に準備を進めています。進学の話から逃げているとしか思えない学生が大勢いる中、立派な心掛けです。「今から準備を始めれば、秋ぐらいには合格しているよ」と励ましてあげたら、少し笑顔を見せてくれました。

後遺症に悩まされ、進路変更も余儀なくされた実例を見せつけられて愕然とした反面、それにもめげずに自分で自分の道を切り開こうとしているQさんのけなげな姿に、心を動かされました。

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手堅く

5月19日(金)

日本留学を考えている外国人に日本のどこに留学したいかと聞いたら、多くの人は東京と答えるでしょう。では、2番目に人気を集めるのはどこでしょう。たぶん京都ではないかと思います。観光するなら北海道や沖縄が2位になるかもしれませんが、勉強するとなると、京都が強いのではないかと思います。

その京都の大学・専門学校の進学説明会がありました。説明会は、東京の日本語学校向けにオンラインで行われました。数年前から毎年このくらいの時期に開催されるのですが、2位は堅いのではないかと思われる京都が官民を挙げて留学生を集めようとする姿に、参加するたびに感心させられます。世界遺産の街、観光の街であるのと同時に、大学の街、学問の街でもあり続けたいのでしょう。留学生を集めるということは、国際都市の一側面もさらに強化したいと思っているに違いありません。

大阪、名古屋、札幌、福岡といった大都市と比べると、やっぱり京都には学問の街というイメージを強く感じます。これは日本人だれしも感じることだと思います。しかし、京都はそれにあぐらをかかず、果敢に攻めます。東京では味わえない青春が送れると訴えます。将を射んと欲すればまず馬を射よとばかりに、日本語学校の教師に攻勢をかけます。私はそういう京都に脱帽します。

本当は、遅くとも30年前、バブルがはじけた直後あたりから、日本国がこういうことをしなければいけなかったと思います。強みをさらに強くする手を打って、例えば半導体で確固たる地位を築いていれば、現今のような閉塞感には襲われなかったのではないでしょうか。人口減で社会が縮む一方という漠然とした不安も、こんなに色濃く漂うようなこともなかったと思います。

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