忙しい季節が始まります

8月25日(金)

夏休み明けはどこのクラスも学生面接をしています。受験シーズン間近ですから、中級以上のクラスでは進路指導が中心です。EJU、JLPTの結果が出ていますから、もう夢物語をぶちまけている時期ではありません。

Oさんは大学院志望です。今学期の初めにはR大学、N大学の大学院を受けると言っていましたが、R大学はダメだったらしく、N大学はどうも教授との相性がよろしくなくて出願しないことにしました。ほかにK大学、Y大学を考えていると言います。しかし、どちらの大学も難関大学ですから、よほど教授の引きがないと入れないでしょう。どうやら、まだ夢物語から覚めていないようです。K大学、Y大学に全力を傾けることも大事ですが、それがうまくいかなかった場合も考えておかなければなりません。

Tさんは美術系志望です。学期はじめはM大学と言っていましたが、G大学も受けることにしたようです。美術系はどこも競争率が高いですから、できればもう2校ぐらい考えておいてほしいところです。でも、今はポートフォリオ作成に時間を取られて、それどころではないそうです。だから中間テストも悪かったと言い訳にも使っていました。G大学に受かってくれたらありがたいのですが、KCPの中ですら数名の受験生がいるくらいですから、全国からどれだけの受験生が来るのでしょう。

Cさんは今学期の新入生ですが、すでにH専門学校の体験入学に参加しています。日本語もよくできますから、出願すれば合格するんじゃないでしょうか。でも、漢字が、せめて読めるようにならなければ、進学してから苦労します。KCPにいるうちにどうにかしておかなければなりません。

LさんにはW大学の指定校推薦を勧めました。「来週の月曜日まで考えさせてください」と言って、資料を持ち帰りました。長文の課題論文を書かなければならないなど条件は厳しいのですが、かなり心が動いているようです。

これ以外にも、今週はだいぶ種をまきました。来週再来週あたりで、刈り取りをしなければなりません。

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初球をどうする

8月24日(木)

いろいろな大学から指定校推薦のお知らせや、「こういう学生が欲しい」という希望が届いています。指定校推薦は全学生に公表し、我こそはと思う学生を募集しています。「こういう学生が…」の方は、当てはまりそうな学生のクラスの先生を通して、その学生に伝えてもらっています。

指定校推薦は専願で、合格したら必ずその大学に入学しなければなりません。ですから、有利な条件ではあるものの、学生からすると縛りがきついと感じられるのでしょう。そのため、毎年このくらいの時期から募集しますが、出足が遅いのが通例です。

どこの大学に進学するかは、学生の人生を決定する重大事項です。これから60年か70年、あるいはそれ以上の時間を左右するのですから、慎重になる気持ちはよくわかります。「初球はとりあえず見送って…」というところなのでしょう。でも、初級が絶好球だったということもよくあります。その後、悪球に手を出して凡退したり、空振りを重ねて三振したりした先輩を何人も見てきています。見送りに見送ってフォアボールを選んだものの、首をかしげながら1塁へ歩く学生も毎年の恒例です。もちろん、更なる絶好球をホームランにした学生だっています。

Oさんはまじめで成績も出席率もいいですから、指定校推薦は選び放題です。でも、昨日の時点では初球見送りのようです。Pさんにピッタリの推薦枠があるのですが、出席率が足りませんでした。Jさんにおあつらえ向きの大学があり紹介したいのですが、欠席したんじゃ紹介のしようがありませんよね。メールで教えてあげるほど、私は親切じゃありません。

進学は、指定校推薦に限らず、早くから騒ぎ始めた学生が、結局は思い通りのところに進んでいきます。Sさん、Wさんは指定校推薦での進学を決意しました。初球をとらえてクリーンヒットといった感じです。出願して面接試験をうけて…と、これからいくつかの関門が待ち受けていますが、きっと生還してくれるでしょう。

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思考回路

8月23日(水)

中間テスト直後から、夏休みを目いっぱい遊び惚けてしまいましたから、夏休み明けの月曜日から今朝までかかって、私が受け持っている上級クラスの作文の採点をしました。今回は作文のテーマを事前に予告していましたから、みんな書くべき内容を下調べしてから中間テストに臨んだようです。そのため、論旨がはっきりしていて、結論もきちんと述べられている作文が多く、採点は比較的順調に進みました。

読み手が読みたくなるようなタイトルを付けろと言っておいた効果があり、興味がそそられるタイトルの作文が多かったです。面白そうなタイトルの作文から順に読んでいきました。すると、タイトルに引かれる度合いと中身の濃さとがおおむね比例していました。凝ったタイトルを付けた学生は、内容についてもよく考えてきたということでしょうか。テーマに関して深く考察したからこそ、その考察を凝縮した珠玉のタイトルが生まれたのかもしれません。

その作文を学生に返す前に、全員のタイトルの一覧をパワーポイントにして見せました。どのタイトルの作文から読んでみたいかと聞いたら、私が選んだのとほぼ同じになりました。おざなりなタイトルを付けた学生の顔つきが、少し変わりました。

Aさんもそのおざなり組でしたから、読むのが後回しになっていました。1行目から誤表記があり、不吉な予感に襲われました。3行目に意味不明の単語が出現し、それ以降は“文字は日本語でも、文は日本語ではない”状態になりました。もはや添削どころではありませんでした。我慢して読み続けましたが、最後まで読んでもAさんの主張はさっぱりわかりませんでした。

他の学生が赤の入ったところをなぜ直されたか考えながら清書している間に、私はAさんに作文で何が言いたかったのか直接聞きました。根掘り葉掘り聞いていくとAさんの主張は十分うなずけるものでしたが、その主張と作文との落差には愕然とせざるを得ませんでした。よくわかったのは、Aさんの思考回路はいまだに母国語で回っているということでした。

Aさんの志望校には小論文の類の入試科目はありませんが、このまま合格・進学したら、進学してから苦労するでしょうね。あと半年余りの間に、どうにか鍛えなければなりません。

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エアメル

8月22日(火)

夏休みをはさんでしまいましたが、中間テストが終わったので、学生面接が始まりました。

Zさんは今学期のレベル1の新入生です。KCPで日本語を勉強したら、日本で就職しようと考えています。しかし、現状では次の学期に進級できるかどうかきわどい所です。

「レベル1の勉強は難しいですか」「はい、少し難しいです」ときましたから、文法が難しいのかなと思いました。形容詞や「ます」の活用が入ってきていますから、その辺でつまずいているのかもしれません。「何が難しいですか。文法ですか、聴解ですか」と聞くと、Zさんは少し考えて「…単語が難しいです」と答えました。

さらに詳しく突っ込むと、要するに長音や促音の有無の判断が付かないようです。聞き取った文の意味はわかっても、それを正しく表記することができないのです。実際、その後の授業で“エアメール”という単語が聴解教材の中に出てきましたから、これをクラスの学生全員に書かせたところ、Zさんは“エアメル”でした。それが“air mail”であることは理解していましたが、カタカナ語として書くことはできませんでした。こうした単語が、今まで山ほどあったのでしょう。

Zさんのような学生は決して少なくありません。クラスの他の学生も、多かれ少なかれ同じ悩みを抱えています。初級の第1の壁かもしれません。でも、この壁を乗り越えないと、まず進級のボーダーラインの下に落ちてしまいます。そして、長音や促音があやふやだと、話すときにその影響が現れないとも限りません。そうなると、Zさんの夢である日本での就職だって夢のままで終わってしまいかねません。

残念ながら、これには決定的な解決法がありません。教師としては励まし続けるのみです。

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想像力

8月21日(月)

夏休みは、愛媛県松山にずっと泊まっていました。松山の近辺を中心にあちこち見て歩きましたが、1日で四国1周という強行軍もしてしまいました。

松山と言えば道後温泉でしょうが、私は、例によって、そういうメジャーな観光地へは行きません。その代わり、道後温泉のすぐ隣の湯築城跡を見てきました。湯築城は水軍で有名な河野一族の城でした。秀吉の四国征伐の際に降伏して、城は廃城になり、河野一族は滅びました。城跡は江戸時代を通して立入禁止で、戦後動物園ができ、その動物園が移転した後で発掘が行われ、かつて湯築城という立派な城があったことがわかりました。

湯築城跡よりも前に、松前城跡と港山城跡へも行きました。松前を「まつまえ」と読むと北海道になってしまいますが、「まさき」と読むと松山の隣町、私が行ったところになります。松前城跡は住宅地の中にあり、草むらに紛れて碑が立っているだけです。しかし、こここそ加藤嘉明が松山に築城する前に居城としていたところなのです。現存12天守の1つである松山城の原点が松前城だとも言えます。

港山城は、河野氏の水軍の拠点になった城です。松山の郊外三津浜の小高い丘の上にあります。水軍の拠点だけあって、海がよく見渡せます。この城跡の麓から対岸の三津浜まで、松山市営の無料の渡し船が運行されています。どう見ても50mほどしかなく、瀬戸内海の内湾のそのまた入江みたいなところで、その気になれば泳いで行けそうです。

どうして城跡巡りをするかというと、城跡は無限に想像を膨らませられるからです。松山城は立派なお城です。姫路城はさすが世界遺産です。しかし、それらは現物が目の前にあり、想像の起点がすべてそこに規定されてしまいます。ところが、松前城は「跡」ですから、いかようにも想像できます。取り囲んでいる住宅が御殿や武家屋敷に見えてきます。湯築城の周囲に土塁を巡らしたり、港山城に物見やぐらを建てたり、そんなことが自由にできます。それが魅力なのです。

今回は行きませんでしたが、国分寺跡にもそんな魅力があります。礎石から伽藍を想像したり、五重塔を見上げたつもりになったり、そこで修業をしている僧を思い浮かべたりする自由があります。法隆寺も中尊寺も心惹かれるものがあります。しかし想像の広がり具合は豊後国分寺跡や但馬国分寺跡の方が壮大です。

さて、今朝のクラス。学生たちに夏休みの様子を聞いたら、ずっと引きこもっていたとか、毎日15時間ゲームしたとか、ろくな答えが返ってきませんでした。みんな、私の日焼けした腕と顔を不思議そうに見ていました。

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好奇心

8月10日(木)

7月期の中間テストは、アメリカの大学のプログラムで来ている学生たちの一部にとっては、期末テストです。午前中に試験監督に入ったクラスにも、期末テストの学生が何名かいました。たまたま、その学生たちの会話テストをした関係で、このクラスの授業には入ったことがないのですが、この学生たちだけ知っているのです。みんな明るくよくしゃべる学生ですから、夏休み明けにこの学生たちが消えてしまったら、このクラスは成り立つのだろうかと心配になってしまいました。

この学生たちは、帰国するとすぐ国の大学の授業が始まります。時差ボケが治ったくらいのタイミングで新学期です。だから、中間テストまでしかKCPにいられないのですが、会話テストの時に聞いた話によると、かなり濃密な短期留学だったようです。日本語の勉強はもちろんのこと、留学の期間が短いことが最初からわかっていましたから、休みの日にもというか、休みの日だからこそ、ハードなスケジュールを組んでいた人が多かったみたいです。東京近郊に限らず、函館とか京都とか名古屋とか、日本全国をまたにかけて動き回っていました。学生たちにとっては幸いにも円安ですから、動き回りたくなるのかもしれません。

こういう学生は、いわば短距離走のランナーです。一方、日本で進学するためにKCPで勉強している学生たちは長距離走者です。ですから同列に並べてはいけませんが、それでもこうした好奇心とかバイタリティーとかは、長距離走者にも必要です。マラソンランナーたちは、もうすぐ帰国するスプリンターたちから何かを吸収できたかな。吸収した学生は、この先きっと、吸収したことが物を言う場面に出くわすはずです。

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明日に備えて

8月9日(水)

入学試験の小論文は、多くの場合、社会的問題を取り上げます。課題文を読んでその内容について何かを論じたり、それをもとにして自分の意見を書いたりすることが多いです。課題文がなくても、テーマが与えられ、それに対する意見を書くなどというのが標準的です。そういう場合、ただ漫然と既定の字数になるまで原稿用紙のマス目を埋めたり、全体の構成を何も考えずに論を展開したりすると、高い評価は得られません。

KCPの学生は社会を知らないというのが、最近の上級担当教師連の共通認識になっています。自分が関心を持っているごく狭い範囲しか見ようとせず、それ以外は関心を持たない傾向があると感じている教師が多いです。これでは、入試でも困りますし、進学してからさらに苦労することは火を見るより明らかです。

今学期、私のクラスでは、読解の内容に関連した作文を書いています。教科書を参考にすることはもちろん、作文の時間中に課題についてスマホで調べることも認めています。中間テストもその線で行こうと考えました。さすがにテストの最中にスマホを使わせるわけにはいきませんから、中間テストの作文のテーマをあらかじめ教えておくことにしました。そういうわけで、中間テスト3日前の月曜日から中間テストの作文テーマを言い続けています。そして、それについて十分に調べて、文章の骨格ぐらい決めておくようにと指示を出しています。

中間テスト前日の授業は、先週の作文のフィードバックでした。課題に対する結論がはっきりしない作文はばっさり斬り捨て、犯してほしくない文法や語彙の間違いはクラス全体で共有しました。これをもとに、帰宅してから明日の課題について論旨をまとめておいてくれれば、中間テストは期待できそうですが、どうなることでしょう。

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会話テストの結果

8月8日(火)

レベル1は、会話タスクの日でした。今学期前半で勉強した文法や語彙を使って、1分程度の会話を作って発表します。もちろん、ストーリーや発音なども採点対象です。以前レベル1を担当したときは、採点は教師が行うだけでしたが、今回は発表を聞いている学生にも採点してもらいました。

滑らかにナチュラルスピードに近い速さで話す学生もいれば、ゆっくり話す学生もいます。会話は課題を与えその場で作らせますが、上手にまとめるところもまとまった話にならないところも出てきます。でも、どのペアも2人で協力して作っていましたし、今学期の成果をどうにかして取り込もうとしてる様子は感じられました。

そういった点には学生の成長を感じましたが、頭を抱えてしまった部分もあります。みなさんだったら、相手を誘う場面で、“いっしょに昼ご飯を食べ(   )”ときたら、(   )に何を入れますか。普通は“ませんか”ですよね。しかし、これができたのは1組だけで、他は「いっしょに昼ご飯を食べますか」としてしまいました。これじゃあ予定を聞いているみたいで、聞かれた方も自分は誘われているんだという認識は持てないかもしれません。

もちろん、「いっしょに~ませんか」は何回も練習しました。でも定着していないんですねえ。学生たちは、日本語で誰かを誘うことなどないのです。身近な表現じゃないから、覚えられないのです。レベル1では、こうして会話テストをすることで、学生たちが「いっしょに~ませんか」が使えていないことが浮き彫りにされます。しかし、レベル2以降では、こういうことはあまりないでしょう。そうすると、「いっしょに~ませんか」が使えないまま上級まで来てしまうことにもなるのです。

学生たちのできなさ加減は、自分のできなさ加減なのです。

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願いが届いたかな

8月7日(月)

七夕をしました。7月7日は今学期の始業2日目で、まだクラスも学校も落ち着いていなかったので、1か月遅れとしたわけです。仙台の七夕も8月6日から8日までですから、ちょうどいいでしょう。

私のクラスは、M先生が金曜日に自分の願いの下書きを書かせ、それを添削してくださいました。非常識な願文はありませんでしたが、こんな文じゃ願いは聞き届けてもらえないだろうなというのはいくつかありました。M先生は、それを丁寧に直してくださいました。

その願文を手作りの短冊に書きます。厚紙の周りを学生たち自身に千代紙などでデコらせて、それを短冊と見立てました。短冊に書く段階で毎年問題となるのが、縦書きです。学生たちは、出身国にかかわりなく、縦書きの経験がほとんどなく、いきなり縦書きをさせると拗音や促音のゃ、ゅ、ょ、っなどをとんでもない位置に書きます。ですから、今年は縦書きの下書きもさせ、必要に応じて微調整を掛けました。

6階の講堂で短冊に願文を書き、その短冊を飾り立てたのですが、飾り立てる方はこちらの想定を上回る作品がいくつも現れました。千代紙をそのまま短冊の四方に貼り付ければいいように切っておいたのですが、その千代紙をさらにきれいに小さく折ったり、四方ではなく上部に兜の前立てのように飛び出させたり、短冊の裏側をきれいにしたりと、学生のアイデアは尽きるところがありませんでした。

その一方で、願文はいつになく慎重に書き込んでいました。添削してもらっているのに、さらに「これでいいですか」と確認する学生もぽつぽついました。真剣に願文を考えたので、織姫牽牛に願いを聞いてもらいたい、そしてかなえてもらいたいのでしょうね。

私も願いを書くつもりでいたのですが、学生たちのお世話であっという間に時間が過ぎ、クラス写真を撮ってもらっただけで教室に戻ってきてしまいました。

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得がたい知識

8月5日(土)

昨日は午後からも授業があり、なおかつ夕方歯医者の予約を入れていたので早帰りしたため、午前中の中級クラスの授業で集めた文法の例文を添削する時間がありませんでした。というわけで、朝一番の仕事は来週の行事の準備でしたが、それに続いてその例文添削をしました。

中級クラスともなると、手の施しようのない例文はだいぶ少なくなりますが、その代わり、一刀両断にダメと決めつけられない、ストライクゾーンにボールの縫い目が引っ掛かるかどうかというような例文が現れてきます。クラスの中ではできのいい学生Cさんが書いた例文は、「私は一生懸命勉強して、得がたい知識を積んだ」というものでした。

昨日このクラスは、「信じがたい」とか「理解しがたい」とかの「~がたい」を勉強しました。「得がたい経験」も扱いましたから、その応用として「得がたい知識」としたのでしょう。「知識を積んだ」はちょっとおいといて、この「得がたい知識」、この稿をお読みのみなさんはどうお感じになりますか。

私は、「一生懸命勉強」したぐらいで手に入る知識なら、それは「得がたい知識」ではないと思います。特別な人に会って、その人から授かった知識なら、「得がたい知識」と言ってもいいかもしれません。でも、その特別な人って誰だろう、授かった知識ってどんな知識だろう…などと考えると、「得がたい知識」の輪郭はぼやける一方です。特別な人に会うことも含めて、得がたい経験を通して得た知識なら、かろうじて「得がたい知識」のような気がします。

結局、Cさんの例文は〇にはしないで、上述の内容をギュッとまとめたコメントを付けました。Cさんにとって、私のコメントは得がたい何かになるのかなと思いながら、他の例文を見ていきました。

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