苦労の末

12月23日(土)

昨日から期末テストの作文の採点をしています。作文の採点とは残酷なもので、おもしろい作文、読み応えのある作文、感心させられる作文、つまり「いい作文」は、採点がすぐに終わってしまいます。論旨が明確であり、誤字誤文も少なく、だから添削もあまりする必要がありません。読後の余韻に浸る間もなく、次の作文へと移らなければなりません。

一方、出来の悪い作文は、「読書百遍意自ずから通ず」ではありませんが、何度も何度も読み返さないと、書いた学生の言わんとすることが見えてきません。主張がわからなければ、添削のしようがありません。誤字ぐらいなら直せますが、それ以上の直しは、安易にはできません。中国人学生の作文の場合は、中国語の辞書まで動員して、日本人からすると変な使われ方をしている漢語や、よくわからない単語をどうにかしていきます。

そうやって頭をひねり続けて、作文の全容を浮かび上がらせます。それで「うん、なるほど、その通りだ」と納得したり、「うーん、この考えには同意できないな」などと反発を覚えたりできれば、時間をかけた甲斐もあるというものです。しかし、理解できた内容がしょうもないものだったら、徒労感、疲労感、寂寥感、無力感、絶望感、嫌悪感、脱力感、閉塞感といった感覚がないまぜになって襲い掛かってきます。

今回は、YさんやZさんのが読解に苦労した作文でした。原稿用紙1枚半にそれぞれ1時間ぐらいかかりました。それでもYさんの言いたいことは理解できたという手ごたえがありましたが、Zさんのは真ん中辺に大きな”?”を残したまま、撤退せざるを得ませんでした。

この2人の作文をAIに要約させたらどうなるだろうと思いましたが、入力する元気もなく、あきらめました。でも、全員分の作文が読み終わり、どうにかお正月が迎えられそうです。

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どこで影を見るのやら

12月2日(金)

お昼に学校の近くを歩いていると、「本日は冬至です」というアナウンスが繰り返し聞こえてきました。そうかと思って振り返ると、ずいぶん長い影がアスファルトに伸びていました。杜氏の日の南中高度30.9°から計算すると、身長の1.7倍ほどの長さだったはずです。稚内は南中高度が21.9°なので、影の長さは身長の2.5倍近くに及びます。夕方の雰囲気ですね。

以前、夏至近くの沖縄へ行ったことがあります。影なんかほとんど見えませんでした。計算すると、私の身長で影の長さは5センチほど。見えるはずがありません。というか、影が見えない体験をしたくて、わざわざ日を選んで行ったのです。沖縄の梅雨明けは夏至の前後ですからお天気が心配でしたが、頭の真上からの日差しを味わえました。

さて、期末テストが終わると学校は静かになりますが、今朝はちょっとだけにぎわいました。おとといの期末テストの追試が行われたからです。にぎわったと言っても1クラス分の人数にも及ばないほどですがね。でも、残念ながら、その中に私のクラスのKさんの姿はありませんでした。噂によると、Kさんは、おとといの朝、布団の中で「あと3分だけ」と思っていたら、3時間寝てしまって、テストが受けられなかったそうです。追試が始まる時間になっても姿を現さなかったので、担任のM先生がメールや電話で連絡を取ろうとしましたが、応答はありませんでした。

Kさんは、来週、受験校のオンライン面接があるのに、一時帰国を計画していました。「オンラインですから国からでもできます」と言って、私たちが止めるのも聞こうとしませんでした。上述のように時間にルーズなKさんのことですから、時差を忘れて面接が受けられないということだってあり得ます。連絡がつかなかったということは、学校に提出した届よりも早く一時帰国してしまったのかもしれません。

Kさんの出身地は、鹿児島と同じくらいの緯度です。とすると、影の長さは身長の1.4倍程度。東京より多少短い影を引きずって街の中を闊歩しているのでしょうか。それとも家の中でゲームでもしているのでしょうか。面接の準備をしているような気は、全くしません。

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教師の敵

12月21日(木)

先週から今週にかけて、日本語教師養成講座で「評価・テスト」というタイトルで講義をしています。日本語に限らず、教えたらテストをし、その結果を評価するのが教師の仕事ですからね。

一口にテストと言っても、JLPTみたいな何十万人もの受験生がいるものから、KCPのクラスで行う20人ばかりのもの、あるいはアメリカのプログラムできている学生に実施しているオーラルテストなら1対1という小規模なものまで、種々雑多です。また、入学試験のように合格不合格を判定するテストもあれば、KCPの漢字復習テストのように満点が当然というテストもあります。しかし、どのテストも受験者の日本語力(読解力、語彙力、スピーキング力、…)を正確に把握することを目的としている点は変わりません。

私もそう考えて、できる学生しかできない問題から、できない学生でもできる問題まで組み合わせて、1つのテストを作ってきました。また、学生が勘違いや誤解を起こさないように質問文を考えたり、こちらの意図する答えが出るように問題文や解答欄を工夫したりしてきました。

ところが、ここに受験テクニックというものが立ちはだかります。これを使えば、読解本文の内容を理解しなくても答えが導き出せたり、選択肢を見ただけで答えが浮かび上がったりしてきます。これでは本当の日本語力を測定したことにはなりません。読解力がなくても読解テストでいい点が取れたら、その瞬間の学生はうれしいでしょう。しかし、そんな読み方ばかりしていったら真の読解力がつかないので、進学してから苦労することになります。N1やN2に合格しても、EJUで高得点をあげても、日本語がさっぱりわからない学生がいるのは、こんなところにその原因の一端があると思います。

私もそんな受験テクニックを教えることがありますから、被害者面ばかりはできません。いずれはこんなテクニックなしでも日本語を受け止められる人になってもらいたいです。

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安全確実?

12月20日(水)

期末テストの試験監督から1階に戻ってくると、Fさんが職員室の前で待ち構えていました。昨日から進学相談がしたいと言われていたのですが、昨日の午後は代講でしたから、「明日、期末テストが終わったら1階まで来てね」ということにしていました。

まず、「先生、592点で入れる大学、ありますか」と聞かれました。592と点は、Fさんの6月のEJUの読解(記述を除く)+数学(コースⅡ)+物理・化学の成績です。A大学ならこの成績で十分勝負できるとして出願するのですが、さらに安全・確実な大学はどこかというわけです。

もうすぐ11月の成績が出るじゃないかと聞くと、今、自分が手にしている成績で確実なところを知りたいと言います。堅実なのか、11月の結果に自信がないのかわかりませんが、リクエストにお応えすることにしました。

データを見せながら、B大学やC大学など、いくつか紹介しました。そのたびにFさんが気にするのは、その大学を卒業すると東大や東北大など、一流大学の大学院に進学できるかということでした。入学したばかりの頃のAさんは、何が何でも東大と言っていました。それが収まり、現実的な選択ができるようになった、大人になったと思っていたら、根っこのところは全然変わっていませんでした。

確かに、私は「理科系は大学院入試でもう一度勝負できる」と言いました。だから、東大にこだわるなとアドバイスしました。しかし、それは学部生として入学する大学を東大大学院の予備校として考えろという意味ではありません。大学院は研究内容が合うかどうかが一番です。研究計画書が東大の先生の心をとらえられるかどうかです。それを無視して名前だけで大学院を判断したら、不幸な留学生活を送ることになるでしょう。

そもそも、「592点の大学」として私が提案したD大学、E大学は、志望理由書を書かなければならないから出願したくないなどと言っているようでは、東大の先生の心を動かす研究計画書など、100年かかっても書けるわけがありません。

さらに、これからA大学の出願書類を書くと言います。そのお手伝いならやぶさかではありませんでしたが、なんと、明日必着というではありませんか。何で先週のうちに仕上げておかないんだよと思いながら、履歴書から宛名カードまで、書き方を指導しました。

昨日の初級の代講以上にexhaustedでした。

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必死に聞く

12月19日(火)

午前中は養成講座の授業でした。落ち着いた雰囲気の中で、日本語教育の歴史を語りました。歴史となると脱線ネタがたくさんあります。しかし、午後の予定を考えると力をセーブしておく必要があったので、ほどほどのところで抑えておきました。

午後は、代講で初級クラスに入りました。会話のテストをしました。普段受け持っていないクラスですから、学生の顔と名前が一致しません。ですから、ロールプレイをしている様子は録画しておき、本来の授業担当のY先生に見ていただくことにしました。そう伝えると、学生も安心したようでした。

その場でペアを発表し、課題を与え、セリフを書き、それを練習し、そして発表という段取りです。ペアと各ペアの課題を発表すると、教室中が喧騒に包まれました。会話”テスト“ですから、教師を利用するのはご法度です。私は教室中をうろちょろ歩き回って、母語で相談していないか監視します。喧騒の中でも日本語以外の言葉は耳に違和感が残りますから、案外わかるものです。“Aさん、国の言葉が上手になりますよ”というと、学生は恥ずかしそうに下を向いて、再び顔を上げた時から日本語に切り替えます。

さて、発表です。自然な発話をしてもらうため、ノートやメモを読み上げるのは禁止です。そうすると、文法がまだそんなに複雑ではないこともありますが、多くの学生が自然な発話に近づきます。このクラスも、自分たちが作ったストーリーを、情感を込めて演技してくれました。観客側の学生も、友達の演技を少しでも理解しようと、真剣に耳を傾けていました。

発表は時間を10分オーバーしました。それだけ長く会話を続けられるようになったと評価したいです。学生たちには、その点は褒め、今のうちから日本語を日本語で聞き、日本語で考え、日本語で反応するように、要するに、母語を介在させるなとアドバイスしました。今のうちからそういう訓練を積んでいけば、上級になるころには素晴らしい日本語話者になっているはずだと励ましました。

授業が終わったら、やっぱりexhausted状態でした。

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12月18日(月)

9時のチャイムが鳴り終わり、「おはようございます。では、出席を取ります」と宣言した時には、Jさんの姿はありませんでした。全員の名前を呼び終わる少し前に教室に入ってきたので、かろうじて遅刻は免れました。やけにさわやかな顔をしていたので、週末の入試面接はうまくいったんだろうなと思いました。

JさんはR大学の面接で痛い目に遭っています。機先を制されたというのか、調子を狂わされたというのか、とにかく緊張させられっぱなしで、まるで実力が破棄できずに面接が終わってしまいました。話すことにかけては相当な自信を持っていたJさんですが、天狗の鼻を折られた感じでした。

ですから、その次のO大学の面接は、同じ轍を踏まないようにと、慎重に準備を進めていました。先週の金曜日に、面接の最終チェックということで、こういう場合はどう答えたらいいかなど、私にあれこれと質問してきました。私は、JさんのR大学でのことを考え、面接官のペースに乗せられるなとアドバイスしました。

その甲斐があったのかどうかはわかりませんが、私に向かって親指を立てて、「先生、今度は手ごたえがありました」とにこやかに報告してくれました。もっとも、授業が始まっていましたから、Jさんばかりをかまっているわけにはいきませんでしたが。

これから先も、G大学やK大学を受けると言っています。年が明けたらそれらの大学の出願があります。もう慣れていることでしょうから、私が世話を焼く必要はないと思います。こちらも、試験本番直前に面接練習の相手をするくらいでよさそうです。

O大学の合否は、年内ギリギリにわかります。

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レオナルドダビンチ

12月15日(金)

昔、会社勤めをしていたころ、私の課長が「便利屋をバカにしたらいかん。どんなことを頼まれてもそこそここなさなければならんのだから、それなり以上の能力を持っているってことなんだ」と言っていました。課長の上司である部長は、何かというと課長に仕事を命じていました。他にも課長はいたのに。課長が命じられた仕事の一部は、私のところに流れてきました。その際に、上述のような、愚痴とも余計な仕事を命じる言い訳ともつかぬ、うがった見方をすれば私を便利屋にしようと教育しようとしていたのかもしれない言葉を私に掛けたのでした。

午前中の授業が終わって、明日大阪の大学の面接試験を受けに行く学生に最終の指導をしていたところに、急な代講を頼まれました。面接指導が終わり、レベル担当のF先生から簡単な説明を受け、漢字の教科書を持ってそのまま教室へ向かいました。今日案も何もあったもんじゃありません。

代講の場合、学生の顔も名前も満足に知らないクラスに入るのが普通ですから、本来の先生ほど授業をスムーズに進められません。でも、だからと言って、授業の質を落とすわけにもいきません。特に、今は学期末ですから、次回以降の授業で挽回という手は使えません。

私は、一番下から一番上まで、各レベルで1学期を通して教えたことが何回かあります。ですから、「教科書のこのページ」と言われれば、どうにかできます。ここが、便利屋の面目躍如のところです。日本語授業に加えて、理科や数学までやっているのですから、まぎれもない便利屋です。

「便利屋」という言葉にはネガティブなニュアンスが伴いますが、「万能の巨匠」だと思えば立派なものじゃありませんか。私は、この仕事を楽しんでいます。

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志望理由書と学習計画書

12月14日(木)

MさんはK大学への出願準備を進めています。午前の授業後、志望理由書と学習計画書を見てほしいと、私のところへ来ました。志望理由書と学習計画書は、A4・1枚の願書の一部分に設けられたあまり広くない空白に記入することになっていました。

Mさんは、志望理由書は思うところがたくさんあるようで、私の老眼にはかなり厳しい細かい文字ですき間なく書かれていました。国で働いた経験からこういう学問が必要だと痛感し、それが勉強できるK大学を志望するに至ったということがよくわかりました。

一方、学習計画書は、私にも読めるサイズの字でしたが、講義名をそのまま書いたようで、志望理由書ほどの熱意は感じられませんでした。“計画”という言葉に惑わされて、何年生で何の授業を取るという羅列に終わってしまったようでした。

全体として、志望理由にある、Mさんが必要としている学問と、それをどのように勉強していくかという学習計画とが結びついていない感じがしました。志望理由書はMさんにしか書けない内容でしたが、学習計画書は誰にでも書けるものでしかありませんでした。

Mさんが語りたいことは、志望理由にあります。しかし、このままこの願書を提出すると、面接での質問が学習計画に集中するおそれがあります。それはMさんにとっては不本意でしょうから、志望理由書と学習計画書を有機的に関連付けるよう指導しました。

K大学にしたら、学習計画書には、講義名ではなく、こんなことを学びたいと書いてもらった方が、Mさんをどう育てるかという道筋が立てやすいでしょう。大学は、何を教えたらいいかわからない学生ではなく、自分たちの教育によって成長した姿の見える学生を合格者として選ぶものではないでしょうか。

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通訳

12月13日(水)

今学期、毎週水曜日の夕方は、初級の学生向けに大学進学そのものについての授業をしてきました。日本の大学の特徴とか、大学の留学生入試の仕組みとか、面接や志望理由書についてとか、大学進学の準備を始めたばかりの学生が知らないことを話してきました。

初級の学生が相手ですから、私が普通にしゃべったのでは話が通じませんから、毎週上級の学生に通訳を頼みました。自分も経験者ですから、パワーポイントを見ただけで話の内容がだいたい見当がつきます。だから、通訳の長さからすると、おそらく私の言葉になにがしか付け加えてくれていたものと思われます。

私の日本語を国の言葉にしてくれるだけにとどまらず、初級の学生からの質問を日本語にして私に伝えてくれます。そういう形で初級の学生たちと私とをつないでくれます。実に心強い援軍です。初級で入った学生が、通訳する側に立っている姿を見ると、立派になったなあと思わずにはいられません。

上級の学生は午前授業ですから、夕方まで学校にいるというのは、授業後図書室などで勉強している学生か、ラウンジあたりで友達とおしゃべりしたりタブレットかパソコンを見たりしている学生か、そんなあたりです。そういう学生を捕まえて通訳を頼むと、結構快く引き受けてくれます。

上級の学生にとても、通訳ができるということは、自分の日本語力に自信を持つきっかけになるのではないでしょうか。頼む立場としても、授業中ろくにしゃべらず、スマホばかりいじっている学生は敬遠します。話せても、こちらの話を聞こうとしない学生も、ご遠慮申し上げます。通訳に選ばれた時点で、コミュニケーション力が保証されたのです。

今学期話を聞いていた学生たちが、来年のこの学期、通訳する側に回っていてもらいたいですね。

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12月12日(火)

今年の漢字は「税」に決まりました。日本漢字検定協会のコメントによると、1年を通して増税の議論が行われたこと、インボイス制度導入、ふるさと納税のルール厳格化など、税にまつわる話題が絶えなかったから選ばれたのだそうです。私の感覚だと「税」よりも「暑」ですがね。

今年の漢字を募集しているころにはあまり騒がれていなかったかもしれませんが、パーティー券の売り上げキックバックによる裏金は、安倍派だけで5億円にも上るそうです。自民党全体では一体いくらになるのでしょう。この裏金も、広い意味では脱「税」でしょう。

安倍派の5億円、自民党の?億円は、「裏」金と言われるくらいですから、何に使われたかは全然わかりませんし、今後明らかになるとも思えません。どうせ世の中の役には全く立たない、ろくでもないことに使ったのでしょう。裏金作りに励んだとされる面々の写真は、顔つきが悪いですね。わざとそういう写真を選んでいるかのようです。中でも、2000万円を受け取ったとされる橋本聖子参議院議員は、スピードスケートや自転車でオリンピックに出ていたころのさわやかさのかけらも感じられない顔になっていました。

何億円か、あるいはもう1桁上のお金があれば、貧困家庭を何世帯救えるでしょう。給料が低くて人手不足に陥っている介護施設に回せば、多くの介護する人される人が幸せになれるでしょう。こんなこと、あの顔つきのみなさんの脳裏は一瞬たりともかすめなかったのです(法律的に難しいのかもしれませんが)。

もうかっている企業が自民党のパーティー券を買い、自民党がふるさと納税的な発想で集めたお金を上述のようなところに配り、返礼品は自民党のパーティーでも岸田さんのありがたいお話…というのはいかがでしょうか。

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