対策と才能

6月6日(火)

今学期の新入生Sさんは、去年の12月にJLPTのN1を取っています。でも、レベルテストの結果、初級と判定され、初級のクラスに入っています。Sさんに今のクラスはどうかと聞いてみたら、とても満足しているという声が返ってきました。授業も易し過ぎることはないと言っています。

Sさんは国で日本のテレビを見て日本語を覚えたそうです。バラエティー、ドラマ、映画、そういったものを見て言い回しなどを身に付けていきましたから、文法を系統的に勉強していません。N1は四択問題の試験対策を徹底的に行って、合格を勝ち得ました。Sさんが言うには、N2なら合格する自信があるけど、N3やN4は受かる気がしないとのことです。それぐらい基礎文法に自信を持っていませんから、初級の授業がSさんにとって勉強になり、日々新しいことがわかってきますから、満足につながっているわけです。

確かに、KCPの一番下のレベルから始めた学生がみんな知っていることが、Sさんだけわからないということが何回かありました。それから、Sさんの作文は、言いたいことはわかりますが、文法・語法の誤りが多く、高得点にはなりません。進学を目指す際、選択問題のEJUは、四択対策だけでN1を取ってしまったSさんにしてみれば、くみしやすいでしょう。現に、ある程度の点を取る自信があると言っています。また、面接も、テレビで覚えた口語日本語を駆使すれば、どうにかできるかもしれません。しかし、Sさんの志望校で課せられることになっている小論文は、そういうわけにはいきません。EJUが終わったら、この点を強化しなければなりません。

Sさんは語学のセンスがあると思います。「対策」だけでN1に受かってしまったこともそうですが、その合格は虚構に過ぎないと見切っていて、基礎をやり直そうとしているところに、非凡なものを感じます。Sさんのような学生は、多くがうぬぼれて難しいことばかりしようとして、砂上の楼閣を崩壊させるのです。

Sさんの才能を上手に伸ばしてあげられれば、Sさんが志望校として挙げた難関校にも手が届くかもしれません。また、宿題を抱えてしまったようです。

チェック

6月5日(月)

朝、他の先生方がいらっしゃらない職員室で仕事をしていると、「先生、先週の土曜日のEJUをチェックしてもいいですか」と学生に声をかけられました。一瞬戸惑いましたが、すぐに、この学生は「先々週の土曜日に受けたEJUの模擬試験の結果を知りたいんですが、教えていただけませんか」と言いたいのだろうと見当がつき、「授業のとき、クラスの先生が結果を配りますから、それを見てください」と答えました。学生は納得した顔で去っていきましたから、当たりだったに違いありません。

まあ、こんな聞き方をしてくるようでは、そんなに好成績ではなさそうです。多少読解ができたとしても、230点止まりでしょう。もしかすると、初級の学生だったのかもしれません。

それはさておき、“チェック”です。今朝の学生は、どんな意味で“チェック”という単語を使ったのでしょう。「自分の目で見て(模試の結果を)確認する」という意味だとしたら、“チェック”本来の意味の土俵際で残っているかもしれません。しかし、「試験結果をくれ」という意味なら、遠慮がちに言おうとしたとしても、寄り切られているでしょう。上述の正解例は、EJUの模試を受けるぐらいの学生なら、既習の文法です。これドンピシャリじゃなくても、それに近い言い方はしてもらいたかったです。“チェック”という焦点の定まらない言葉に逃げてほしくないところです。

とはいえ、学生ばかりを責めるわけにはいきません。教室には“チェック”があふれています。「先生、志望理由書をチェックしてください」「宿題をチェックします」「忘れ物がないかどうか机の中をチェックしてください」…まだまだ例はいくらでも出てきます。これだけ日々“チェック”を聞かされていれば、土俵際用法が現れたとしても不思議はありません。

学生は教師の姿を映す鏡です。週明けからいきなり反省させられました。

あなたはすばらしい学生です

6月3日(土)

今週はずっと運動会に時間を取られていたので、火曜日の作文の採点があまり進んでいませんでした。来週の火曜日に返さなければなりませんから、授業のない土曜日に集中してどうにかしようと考えました。

「自分をほめたいこと」というテーマで書いてもらいました。中には、前に勉強した救急法を使ってけが人の応急処置をしたことをほめたいとか、「人間は誰かにほめられるために生きている」などと哲学めいたことを書いてきた学生などもいましたが、頑張っている自分をほめたいという内容が多かったです。

各人各様のほめたい自分を挙げてきましたが、そういうことをしているカッコいい自分、理想的な姿の自分を、教師じゃなくてもいいですから、誰かに認めてもらいたいんだろうなと強く思いました。「ほめて伸ばす」とはよく言われますが、おざなりのほめ言葉ではなく、心の底から感心して声をかけることが肝心なのです。それには、装わずにほめられる箇所を各学生から見つけなければなりません。私はそれに耐えうるほどの鋭い観察眼があるかなあと、思わず自分を振り返ってしまいました。

私がこのテーマで作文を書けといわれたら、何を書くでしょう。一つのことを続けていける点かもしれません。でも、それはバカの一つ覚えでもあります。諦めが悪いと言い換えてもいいでしょう。

「初級から超級までどこのレベルでも教えられる」といっても、プロですからそれぐらいしなきゃ。「日本語教師なのに理科も教えられる」のは確かにそうですが、受けてきた教育訓練がそういうものですから、これすらできなかったらまさに無駄な学歴・経歴になってしまいます。

こうして考えると、自分をほめるのは案外難しいものです。学生の作文がいつもより短めだったのも、致し方ないところかもしれません。この作文を参考にして、各学生を見つめる角度を変え、ちゃんと見ているよというメッセージを送り、学生に自信を持たせて進級させてあげたいです。

ガリガリ君

6月2日(金)

昨日の雨が嘘のような、スポーツにはもってこいの抜けるような青空…と言っても、運動会は体育館の中で行われます。1年で一番日が高い時季なので日中ずっと外にいたら紫外線対策が大変ですから、屋内での運動会は、やっぱり正解かな。

会場に定刻よりもだいぶ早く着いたので、付近をしばらく散策し、それでも時間が余ったので、木陰で読書しました。梅雨間近とは思えないさわやかなそよ風が心地よかったです。学生たちがポツリポツリと集まってきましたが、Dさんなどは6時に起きてご飯も食べずに来たとか。学校よりもだいぶ遠く、しかもの場所へ行くから、早め早めに行動しなければと思ったと言いながら、近くのコンビニで買ったパンを食べていました。

毎年のことですが、盛り上がるのは綱引きとリレーですね。選手の高揚が観客席に伝わり、それに反応した観客席の興奮がフィールドに響いてきます。ルールが万国共通、単純明快というのがいいのでしょう。

私は審判ですから、綱引きの選手を間近に見ることができます。1人1人の腕力の合計はチームによって大きな差があるとは思えませんが、勝ったチームにはそれを1つにまとめるさらに偉大な力があるように感じました。これが“神ってる”っていうやつなのかなあなんて思いました。Gさんあたりがその力の源だったかもしれません。

リレーはやっぱり足の速い学生が華です。私が知ってるYさんは勉強熱心ですが、走るのが得意そうには見えませんでした。ところが、リレーでは先頭を切って走っているではありませんか、しかも2位に結構な差をつけて。文武両道なんだと感心させられました。

今年の運動会の締めはダンスでした。今週に入ってからの特訓が実って、学生みんな、それなりのステップは踏んでいました。練習はイヤイヤ参加していた(させられていた)学生が、両隣の学生と手をつないで、大いにはしゃいでいるではありませんか。

閉会式後、勝利チームには賞品としてガリガリ君が配られました。観客席で半ば放心したようにガリガリ君をしゃぶっている学生たちが、印象的でした。

職員室炎上

6月1日(木)

職員室は、朝から明日の運動会の色に染まっていました。各種目で用いる資材の最終チェックやら、競技スタッフの動きの確認やら微調整やら、各教師が明日の動きをシミュレートしながら手を動かしたり頭の整理をしたりしていました。私も競技役員をしてくれる学生に役割を説明したり、先生方に明日の仕事をお願いしたり、明日朝の現地での準備項目を話し合ったりと、“イブ”の慌しさを味わいました。ですが、私はスターターとか審判とかで出ずっぱりですから、そして、私の動きの良し悪しが運動会の成否を左右しかねませんから、当日に気力も体力も温存しておかなければなりません。今ここでヘロヘロになるまで頑張るわけにはいかないのです。

そんな職員室も、お昼前後は面接の学生が大挙して訪れました。運動会の準備もしばらく休戦です。ついさっきまで競技の小道具が広がっていた机で、中間テストの直しや進路の相談や遅刻しないようにするにはどうしたらいいかの話し合いなどが行われました。学校行事だからといって、学生指導の手を緩めるわけにはいきません。

私は、午後は受験講座。6月に突入しましたから、本番までに残された時間はわずかです。知識をぎゅうっと押し込んで、来週からの直前の追い込みにつなげていこうと思っています。本来だったら数回に分ける内容を1度に濃縮してしまったのです。学生たちが目を白黒させたのももっともなことです。

受験講座から戻ってくると、職員室は大変なことになっていました。あっちこっちで準備をしながら盛り上がっており、何だか本番みたいな雰囲気でした。今からこんなにテンションが高くて、明日は燃えかす状態になっちゃうんじゃないかと心配にすらなってきました。同時に、この学校の先生たちは本当にお祭好きなんだなあと思いました。

逃げ切れそう

5月31日(水)

今週の月曜日くらいまでは雨という予報でしたが、直近の予報によると、あさって金曜日は雨の線が消えつつあるようです。運動会は屋内で行われますが、お昼はみんなでお弁当をつつきますから、体育館の中より体育館の前庭のほうが晴れやかな気持ちになります。ですから、雨にはご遠慮願いたいところです。

昨晩の予報では、予報を出す機関によって「曇り時々雨」から「晴れ」までばらついていました。本州の南にある前線が金曜日にどこにあると判断するかによって、また、前線の強さをどのくらいに見積もるかによって、予報は雨降りにもお天気にもなり得ます。

KCPには温度計すらなく、また、ビルに囲まれているため、風の観測も観天望気も満足にはできません。それゆえ、私は気象庁を始めとする天気予報を発表しているいくつかの機関からの情報を元に、私なりの予報を出します。「情報」とは天気予報そのものだけを指すわけではありません。予想天気図・気圧配置図は、何よりの情報です。気象予報会社が出している洗濯指数などの種々の指数も、参考にすることもあります。

私は学校のイベントがあるときだけ、その1週間か3日ぐらい前から、その日のその土地の予報を出すだけです。前回本気で予報に取り組んだのは日光江戸村へのバス旅行の時、その前は昭和記念公園でのバーベキュー大会…というように、1学期に1回ぐらい、すなわち年に数回です。それでも頭も気も使い、結構疲れます。気象予報士の皆さんは、毎日、広範囲に、多くの人々に向けて発しているのです。さらに顧客からお金をもらって予報を出すとなると、日々胃に穴の開くような精神状態ではないでしょうか。

受験講座をしていると、隣の教室から運動会の最後に全校学生でやるダンスの練習の足音が聞こえます。ダンスで大いに盛り上がって外に出たら雨…じゃあ、文字通り水を差されてしまいますよね。

延長戦か打ち切りか

5月30日(火)

毎学期、中間テストの後にクラスの学生との面接を行っていますが、いつもながらいろいろな声が出てきます。

Jさんは、先生にはあまり授業を延長してほしくないと言ってきました。一生懸命教えてくださるのはありがたいけれども、チャイムがなったら学生たちの心は教室の外に出て行ってしまっているので、それほど効果的ではないという、教師としては耳が痛い言葉もいただきました。

私はチャイムが鳴るのと同時に授業を終わりにする主義ですから、教室の時計を学生に気付かれないようにチラ見しながら、こちらのセリフの長さを調整したり学生の発言・発話をコントロールしたりします。10時半と3時の休み時間は、学生たちは2階の自動販売機に並ぶのに命を懸けています。また、終業後は、私自身予定が詰まっていることがよくありますから、必然的にぴったりに終わらせなければなりません。

そうでなくても、予定の授業内容が予定の授業時間内に終わらなかったら、教師の負けだと思っています。すべての学生がこちらの想定どおりに動き、理想的な授業展開になることなどめったにあるものではありませんが、そういう流動的な要素も織り込んだ上で授業時間内にピシッと終わらせてこそ、プロだと思うのです。質問が百出して授業が進まなかったというのは、こちらの教え方に抜けがあったのかもしれません。授業が盛り上がることは大切ですが、前に進めなくなっては盛り上がりすぎであり、教師の指導力不足を指摘されてもやむを得ません。

もちろん、私も予定ほど進めなかったことは数限りなくあります。ですが、テスト範囲が終わっていない場合でもない限り、授業時間を延長してまで取り返そうとは思いません。負けを認めて、次の授業では同じ失敗を繰り返さないようにします。

学生にとっても教師にとっても、時は金なりです。

どちらに進む?

5月29日(月)

Pさんはこのところずっと受験講座を休んでいます。呼び出して事情を聞いたところ、親との間で進路に関してもめているそうです。もめているといっても、険悪な状態にあるわけではありません。むしろ、Pさんが親の意見に合わせようとして、右往左往させられているというのが実情のようです。

Pさん自身は、日本で大学を出て、アメリカで大学院に進学したいと考えています。それ自体は親御さんも賛成なさっていますが、問題は何を勉強するかです。Pさんはコンピューターのソフトウェアを開発する技術を学びたいと思っていますが、親御さんはそれに賛成したり経営学を勉強しろと言ってみたりと、その日によって意見が変わるのだそうです。そのため、Pさんは落ち着いて勉強することができないというわけです。

Pさんがソフトウェアを勉強したいというのも、いずれはその方面で起業したいという望みがあるからです。ですから、経営学がいずれは必要になります。そのため、親御さんから経営学を勉強しろといわれると、そちらの方向に心が動いてしまいます。また、Pさんには親に学費を出してもらうという弱みもあります。

そんなこんなで、結果的には親の意見に振り回されているというのが今のPさんの姿です。しかし、こんなことをしていては、いつまで経っても受験勉強は始められません。この1年を棒に振ってしまうことにもなりかねません。やはり、ここはPさんが強く出るしかありません。自分のやりたいことはこれだと明確に主張し、全面的な支援を取り付けることが第一です。

これは一見衝突ですが、親御さんは大筋ではPさんの将来設計を認めておいでですから、まずソフトのほうに進むにせよ、経営学を勉強するにせよ、賛成してもらうのは決して難しい話ではありません。Pさんが強く自己主張することを、親御さんも望んでいるような気さえします。親子の間柄ですから、そういう阿吽の呼吸を読み取って、何とか自分の未来に向かって第一歩をしるしてもらいたいです。

落第点

5月26日(金)

私のクラスの、今学期の新入生Tさんは、初級にしては上手に話せますし、こちらの言葉を理解する力も十分にあります。しかし、Tさん自身、ドラマやアニメなどを聞きながら独学でここまで日本語を身に付けてきたというとおり、文法や語彙を系統的に勉強していません。動詞の活用形がうまく作れなかったり、クラスの他の学生がみんな知っている語彙が抜けていたりということが時々あります。

それでも学期の前半まではどうにかこうにか切り抜けてきました。また、しゃべらせると内容のある話をしますから、クラスメートから侮られるということもありませんでした。しかし、今回の文法テストでついに不合格点を取ってしまいました。答案を見ると、白紙だとか箸にも棒にもかからない間違え方とかというわけではなく、ふにゃふにゃの土台にブロックを積み重ねようとしたところ、崩れ落ちてしまったという感じです。

もちろん、私たちも今まで手を拱いてきたわけではありません。Tさんの抜け落ちを補うべく、基礎文法の解説をしたり問題集をやらせたりしてきました。しかし、日本での進学を考えているTさんは、授業の進度が速い進学クラス所属です。授業の勉強と抜け落ちの穴埋めを並行して進めるのは、想像以上に難しかったようです。

じゃあ1つ下のレベルからスタートさせればよかったかというと、それだとTさんにとってはつまらなかったでしょうね。Tさんは中間テスト直前の日本人ゲストとの会話でも活躍していたし、今回のテストでも他の学生が書けない気の利いた表現もしていました。そういう点からすると、今のレベルが最適だと思うのです。

さて、ここからが私たちの腕が問われるところです。このままTさんがずるずると落ちていかないようにどうにか手を打たねばなりません。本人のモチベーションを維持強化していくことも求められます。何をどうすれば進級できるか、その道筋をTさんといっしょに考えるのが、最初の仕事です。

下町の甘夏

5月25日(木)

私は酸っぱい柑橘類が好きで、この時季は甘夏を毎日1個ずつ食べています。ところが、最近は伊予柑の勢力が年々強まり、また、新しい柑橘類が次から次へと出てきて、うちの近くの店では甘夏が手に入りにくくなっています。伊予柑も悪いとは言いませんが、私には甘すぎます。新しい柑橘類も、最近の商品開発の傾向からすると、おそらく甘夏より甘いでしょうから、積極的に手を出す気にはなれません。レモンをバリバリ食べたいくらい酸っぱい柑橘類が好きですから、本音で言うと甘夏だって私には甘いのです。

そんな甘夏ですが、学校の近くの八百屋さんに、みずみずしいのが手ごろな値段で置いてあるので、ここ2、3か月、よくそこで買っています。ゆうべ1個食べたら残りが2個になったので、そろそろ買っておかなきゃと、お昼のついでにその八百屋へ行きました。いつもの場所にあった甘夏を2ネット取ってレジへ持って行くと、「こちらはいつもお買いになるのと違いますよ」とレジの店員さんに言われました。よく見ると2ネットのうち1つは紅甘夏という種類のもので、確かに私がいつも買っているのと違っていました。

ですが、私は店員さんが私の顔を覚えていることにびっくりしました。私はその店員さんの顔に見覚えがありませんでした。道であって挨拶されても、キョトンとするだけでしょう。商売人は客の顔を覚えるのが基本だと言いますが、気配を消してろくに口も利かずにお金だけ払って出て行く客の顔まで覚えているものかと、驚きかつ感心しました。

同時に、見られていないと思っていても見られているのだなと思いました。「見られている」というと「監視されている」といった悪い意味にもなりえますが、「見守られている」というと、温かみが感じられます。KCPのある新宿1丁目は、山の手にあるにもかかわらず、昔ながらの下町っぽさが残る町だと思います。みんながみんなを見守る下町のぬくもりが「こちらはいつもお買いになるのと違いますよ」ににじみ出ているように思えます。

日曜日は、花園神社のお祭です。下町パワーが爆発しそうです。