できました

5月14日(水)

昨日に引き続き、最上級クラスの中間テストの読解問題作りに励みました。というか、今晩帰宅するまでに仕上げておかないと、テストの時間は確保してあるものの、テスト問題がないという前代未聞の事態になってしまいます。そうならないように、朝からコーヒーを飲んで目を覚まし、気合を入れて取り組みました。

今学期使っている読解テキストは初めて使う教材です。難解な文章が連なっており、教師も油断できません。学生にその文章を味わってもらおうとなると、留学生向け上級読解テキストを扱う時の数倍の力で立ち向かわなければなりません。試験問題を作ろうと読み直してみると、その数倍の力をもってしても読み落としていた部分がいくつも見えてきました。こんないい加減な授業をしてきた教師が試験問題を作るなど、おこがましいにも程があるとさえ思えてきました。同時に、この新発見を基に、もう一度授業をしたくなりました。でも、そんなことをされた学生は、いい迷惑でしょうね。

学生たちはどうなのでしょう。試験を明日に控えて教科書を読み返してみて、新たな発見をしているのでしょうか。そんなことができた学生がいたら、ぜひ、議論してみたいですね。そうやって、人生や社会や世の中を見つめる新たな眼が養われたのなら、読解の授業をやった甲斐があるというものです。

問題はどうにか作り上げました。授業で議論した内容を問題にし、合格点ぐらいは取れるようにしました。また、学生間の実力差が現れそうな問題も潜ませました。あとは印刷するだけです。

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持ち込み可

5月13日(火)

あさっては中間テストです。私が担当している最上級クラスでは、読解は教科書持ち込み可としました。最上級クラスですから、読解の問題文も長文になります。それだけの文章を入力するのも労力が非常にかかりますし、それを印刷する紙だってかなりの枚数になります。それを無駄だとまでは言いませんが、効率的だとは思えません。だから、教科書持ち込み可としたのです。

個人の教科書ならいろいろな書き込みがなされているのではないかと指摘する人もいるでしょう。でも、その書き込みは、その学生が授業をまじめに聴いていた証です。それを参考にして答えて高得点を挙げたとしても、授業をきちんと聞いていたか、ちゃんと参加していたかをチェックするという、中間テストの実施目的は達成されます。大学入試やJLPTみたいな試験ならそうはいきませんが、学校の定期試験は授業内容の理解度を見る試験ですから、これでいいのです。

でも、問題の作り方は変えなければなりません。穴埋め問題や並べ替えの問題は意味がありません。できれば学生の書き込みが生きるような問題を出してあげたいです。入力の手間が多少省けた分以上のロードがかかるかもしれませんが、これはかける価値があるロードではないかと思っています。

学生たちには、中間テストの読解は教科書がないと問題が解けないと、くどいほど伝えました。明日もダメを押してもらいます。そして、書き込みはいくらしておいてもいいとも言ってあります。これを聞いてわざわざ書き込みを付け加える学生がいるかどかわかりませんが、果たしてテストの結果はどうなるでしょう。

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何か飲まない?

5月12日(月)

「何か飲む?」「うん、飲む」。この会話に現れている2つの“飲む”は、明らかにイントネーションが違いますよね。?付きの方は、語尾でいったん下がったのちに上がって終わりますが、答えの方は下がったままで終わります。この違いは、教科書の文字を読んだだけではわかりません。実際の会話での発音を聞いたり、自分で話してみたりしないと身に付くものではありません。同様に、「何か飲まない?」「ううん、飲まない」(という会話が実際になされることはほとんどないでしょうが)における2つの“飲まない”も、イントネーションによって意味と役割の違いを表しています。「何か飲む?」ができたら、「何か飲まない?」も正しいイントネーションで発話できるでしょう。実際、私のクラスの学生たちは、ガイジンっぽくないイントネーションで話せるようになりました。

では、「何か飲む?」と「何か飲まない?」は何が違いますか。この2つ、レベル1の教科書にほぼ同時に出てきました。学生たちは、私の真似をしてイントネーションはどうにかできるようになったものの、“意味は?”と聞かれると、お手上げです。知っている単語をかき集めて、“丁寧”とか“気持ち”とかと答えますが、それだけでは言わんとしていることがさっぱり伝わってきません。

簡単に言ってしまうと、「何か飲む?」は「あなたは何か飲みますか」であり、「何か飲まない?」は「(一緒に)何か飲みませんか」です。こういう説明を、身振り手振りも交えてしたら、ある学生が「誘う?」などという、レベル1らしからぬ難しい言葉で聞き返してきました。速攻でスマホを見たのかもしれません。たとえそうだとしても、こちらの意図が伝わったことは確かですから、「うん、そうだね」と言って、さらに使う場面を与えました。

文字だけで勉強すると、上級になっても「何か飲まない?」が使えません。そういう芽をしっかりつぶしておくのが、初級の教師の役割です。

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難しくても

5月9日(金)

今学期の最上級クラスの読解では、日本人の高校生の教材を読んでいます。そのまま読ませると難解すぎて内容が取れないでしょうから、補助教材を用意します。今回は上野千鶴子さんの文章ですから、上野さんの人となりを紹介した後、上野さんが2019年に東大の入学式で祝辞を述べている映像を見せました。当時、その内容がとても話題になった祝辞です。

15分近い映像でしたから、最後までついてきてくれるだろうかと心配しましたが、ごく一部の学生を除いて、興味深げに耳を傾けていました。字幕にも助けられたと思いますが、よくついてきてくれたと思います。ジェンダーによる差を、データに基づいて示し、それが不当であると訴えていましたが、学生たちにはそういう論の進め方が新鮮だったようです。

こうやって、上野千鶴子さんの発想、考え方を大づかみしたうえで、読解テキストに入りました。今回は学生たちに内容を解釈してもらおうと思い、読むポイントをまとめたシートを配り、グループで考えてもらいました。「三人寄れば文殊の知恵」と板書しましたが、これを知っている学生はいませんでした。文殊は知恵の神様だと言ったCさんは、神様ではありませんが、よく知ってるねと褒めてあげました。

小グループになると話しやすいようで、教室のあちこちから議論が聞こえてきました。しばらくしてから話し合いの内容を聞きましたが、まあ、順当なところでした。上野さんの考えも、おおむね理解できたようで、安心しました。来週の授業が、この読解の山場です。脱落者を出さないようにしなければ‥。

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自信回復

5月8日(木)

Sさんが進学の相談に来ました。Sさんは優秀な学生です。しかし、昨シーズンはどこの大学にも落ちてしまい、4月からもKCPで勉強をつづけ、捲土重来を期しています。

Sさんは国公立大学を狙っています。それぐらいの力は持っていると思います。でも、大学に落ち続けたことが尾を引いているようで、自信を失っています。「私のEJUの成績で行ける大学がありますか」という質問が最初に出てきました。あと1か月余りに迫った6月のEJUに対しても、おびえているような感じがしました。

試験が好きな人はいません。どんな簡単な試験でも、逆に落とし穴が仕込まれているのではないかと疑心暗鬼に陥ってしまいます。今のSさんは、それが高じているような気がします。自分の答えに自信を持ってもらいたいのですが、自信をつけさせるにはどう指導すればいいか、これが難しいのです。ただ単に「自信を持って!」なんて言ったところで、Sさんの心は変わりません。

Sさんが、去年の11月の成績で入れそうな国公立大学はないかと聞いてきましたから、まずはそれに答えることにしました。論拠となるデータを示した上で「X大学ならSさんの点数でも十分手が届くよ」と言ってあげられれば、Sさんの気持ちも多少は上向くのではないでしょうか。そういう大学も含めて、Sさんが勉強したいことが学べそうな大学を何校かリストアップしました。

まじめなSさんのことですから、リストを渡せばそれらの大学について自力で深く調べることでしょう。そうしているうちに、その大学に入りたいと思うようになり、試験におびえるのではなく、積極的に立ち向かおうという気持ちが沸いてきたらと思っています。

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どうでしたか

5月7日(水)

レベル1のクラスで形容詞の過去を導入し、「○○はどうでしたか」も勉強したので、練習を兼ねて「運動会はどうでしたか」と学生たちに聞きました。私が聞く前に学生同士でQAの練習をしましたから、私の問いかけに対してわりとスムーズに答えが返ってきました。みんな「楽しかったです」「面白かったです」と答えました。それだけではつまらないので、「何が楽しかった/面白かったですか」と突っ込むと、これまたみんな、自分の出場した種目を挙げました。中にはルールを十分に理解せずに競技に加わっていたと思しき学生もいましたが、無我夢中でとんだりはねたりしたのがエキサイティングだったのでしょう。「疲れた」という声もありましたが、若い体が程よく動いた、心地よい疲れだったに違いありません。

その調子で、「連休はどうでしたか」もQA練習させました。その後に何人かの学生に聞きました。ところがこちらはパッとしませんでした。「どこも行きませんでした」が相次ぎ、「うちでゲームをしました」「宿題をしました」という学生ばかりでした。レベル1の日本語力では、どこかへ何かをしに行くとしても、意志疎通が大いに不安でしょうから、うちで勉強の合間にゲームをするくらいが関の山なのかもしれません。

私は、連休中は奈良県桜井市に滞在し、古墳やら遺跡やらを見て回りました。雨が降った昨日は別として、1日3万歩以上歩きました。気温がさほど高くなく、もちろん寒くもなく、外を歩くのに絶好のコンディションでした。

私が古墳や遺跡を好むのは、いくらでも想像力をはたかせることができるからです。姫路城の現存天守閣は美しいです。歴史的価値があります。でも、目の前に江戸時代に建てられた天守閣が屹立していたら、想像力はそこ止まりです。それに対し、下津井城跡や高取城跡には何もありません。想像力ははたらかせ放題です。この延長線上に○○寺跡や××古墳があるのです。説明版を隅から隅まで読んで、何があったか、どんな人が闊歩していたか思い浮かべるのが好きです。そういうところばかり、1日に何か所も訪れたというわけです。

私も運動会の日の学生同様、心地よい疲れを十分に堪能しました。

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1日限りのこいのぼり

5月1日(木)

今朝、校庭の上空にこいのぼりが泳ぎ始めました。4匹家族のささやかなものですが、こいのぼりを見上げると、心も上向きになります。気が付いた学生は、写真に撮っていました。残念ながら、明日は運動会で、しかも雨の予報ですから、また、その後4連休ということもあり、こいのぼりは夕方にはしまわれてしまいました。地元のみなさんもKCPの毎年こいのぼりを楽しみにしてくださっているとのことですが、今年はほんの数時間の遊泳でしたから、果たして楽しんでいただけたでしょうか。

上述のように、明日は運動会です。教職員はその準備にかかりっきりです。私も、授業で学生と一緒にラジオ体操の練習をしました。ラジオ体操は、小学校などでがっちり仕込まれ、大半の日本人ができるという意味では、立派な日本文化の1つです。私も体が覚えていて、例の音楽が流れ始めると、自然に腕を回したり体をひねったりしていました。教卓とホワイトボードの間の狭いすき間でしましたから、体を存分に動かせたわけではありませんが、深呼吸の頃にはうっすらと汗をかいていました。

明日は雨という予報が若干気がかりです。“学校へ行くより時間がかかるんなら、雨も降ってるし、明日から連休だし、休んじゃおうかな”などと考える不届き者が出かねません。最近の学生は、出席率が下がるのを気にしないきらいがあります。頭が痛いです。

KCPのこいのぼりは1日足らずでしたが、運動会会場までの道すらが、曇り空ながらも風にそよぐこいのぼりが見られるのではないかと期待しています。

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ドコモじゃないよ

4月30日(水)

「教室にだれかいますか」「いいえ、だれもいません」「箱の中になにかありますか」「いいえ、なにもありません」というような練習を、レベル1のクラスでしました。

このやり取りで、「だれか」「なにか」は頭高型のアクセント、それに対して「だれも」「なにも」は平板型のアクセントです。これは中級以上の学生にとっても難しいらしく、「だれも」「なにも」を頭高型で言ってしまう学生がおおぜいいます。ですから、初めて習う時につぶしておこうと意気込んで教室に乗り込みました。

初めて出てきたときに、「私の後について言ってください」と指示して言わせてみました。私は、もちろん頭高型と平板型をきちんと分けて、「教室にだれかいますか」「いいえ、だれもいません」と言いましたが、学生のリピートを聞くと、「だれも」は半数以上が「だれか」と同じ頭高型で言っていました。

そこでいったん止めて、ホワイトボードにアクセント記号を書いて、コーラスさせました。そして、再度挑戦したのですが、まだ5人ぐらいは「だれか」のアクセントで「だれも」を言っていました。

それはとりあえずあきらめて、「箱の中になにかありますか」「いいえ、なにもありません」でやってみても、一定数の学生は「なにも」を頭高型で発音していました。「なにも」という単語レベルなら、正しいアクセントのリピートがそろうのですが、文になると数名は頭高型に戻ってしまいます。

「どこか行きませんか」「いいえ、どこも行きたくないです」でも状況は変わりません。「“どこも(頭高型)”はケータイ!」と言ってやると、気が付いてくすっと笑った学生が2人ほどいました。レベル3だとクラス中がわかるんですがね。「ドコモ」とカタカナで板書したら、大半の学生がわかりました。

意気込んで乗り込んでみたものの、結局不自然なアクセントはつぶせませんでした。長期戦で少しずつ直していくほかないのでしょう。

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「に」は重い?

4月28日(月)

先週に続いて、レベル1の文法テストの日に当たってしまいました。

“おんせん(   )はいりたいです。”という問題がありました。答えは、言うまでもなく「に」です。でも、「を」という誤答が目立ちました。助詞の「に」を「を」としてしまう誤りは、中級上級になっても尾を引きます。だから、何もないまっさらなレベル1の頭に「に」を印象付けたいところです。しかし、授業開始から半月余りで「を」の魔手が学生たちに襲い掛かり、その犠牲者が多数出てしまいました。

助詞「に」は、母語にかかわりなく、日本語学習者にとって難解のようです。“電車を乗ります”のような誤用は日々目にしています。「に」は、主格の「が」や目的格の「を」と違って、漠然と守備範囲が広いです。“(場所)に”にしたって、“(場所)で”と競合関係(?)にあり、テストでも作文でも、学生たちはよく間違えてくれます。

日本語文法の助詞の問題で、正解がいちばん多いのが「に」だそうです。私も、文法の問題を作るとなると、やはり「に」を問う問題を多く作ってしまいます。JLPTのような大規模テストでも、「に」が正答になることが多いように見受けられます。「に」が正しく使えるかどうかは、日本語教師にとってその学習者の力を測るバロメーターみたいなものなのです。逆の見方をすると、「に」を間違えずに使っている学習者は、相当できると見ていいでしょう。

これをお読みの日本人のみなさん、あなたの身の回りの外国人はいかがですか。同じくこれをお読みの日本語学習者のみなさん、ご自身の日本語はいかがですか。日本語が上手だと思われたかったら、「に」を磨いてください。

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だれにしようか

4月26日(土)

来週の金曜日が運動会ですから、土曜日にわざわざ出勤してきた教師は、その準備に力を注ぎました。各競技をどうやって進めるかはもちろん、種々の小道具の作成も、こういう授業のない日でないとなかなか進みません。授業の合間に、学生の切れ目を見計らってでは、仕事が細切れになってしまいます。

N先生は、自分のチームの学生を読んで、チームの応援旗を作ったり、応援のフォーメーションの練習をしたりしていました。KCPの運動会は紅白2チームではなく、4チーム対抗です。他のチームを圧倒するような応援となると、核になる学生が欲しいところです。2階のラウンジでやっていた練習に参加していた学生たちは、当日応援の主力メンバーとなることでしょう。

私はというと、かなりの時間を割いて人繰りをしていました。私が受け持っている最上級クラスは、もっぱら競技役員です。朝の駅から体育館までの道案内や体育館内の会場設営から始まって、競技の最中は出場する選手を並べたり審判の補助をしたり、体育館内で喫煙など悪いことをする学生がいないか見回りをしたり、運動会終了後は後片付けもしてもらいます。どの競技のどんな仕事に誰を貼り付けるかという、学生の割り振りをしていたというわけです。

学生に手伝ってもらうのは、教職員だけでは手が足りないからというのが第一の理由ですが、それだけではありません。通訳というのも重要な仕事です。来日1か月ほどの初級の学生との意思疎通には、上級の学生たちの通訳が欠かせません。恩着せがましい言い方をすると、こういう場で通訳した経験が、自分の日本語力に対する自信につながるものですから、そういう経験も差せたいのです。

さらに、気働きを実地体験してもらいたいと考えています。国では大事に育てられてきたでしょうから、学生の側が気働きをする必要などなかったことでしょう。日本で生活するようになって多少はそういうことができるようになったでしょうから、その成果を存分に発揮してもらいたいところです。運動会での仕事の内容は一応決まっていますが、当日その場の流れに合わせて機転を利かせることも求められます。そういうことができそうな学生を要所要所に配置することに、朝から時間を費やしたというわけです。

学生たちはわりと気安く日本で就職したいと言いますが、日本で働く際には気働きができることが不文律みたいなものです。私も、運動会の日には、学生たちの気働きをじっくり観察するつもりです。

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