すばらしい例文

3月5日(木)

「Tさんって、例文が上手ですよね」とS先生が言いました。「勉強した文法項目をちょうどいい場面に当てはめてますから、感心させられます」と、Tさんの例文にほれ込んでるご様子。

「いやあ、気の利いた例文はみんなスマホを使って拾ってきてるんですよ」と私。「え、そうなんですか。いつの間にスマホをいじってるんですか」「すきあらばすぐですよ。板書している最中とかほかの学生の質問に答えてるときとか、こちらが目を向けていないときはほとんどじゃないですか」「全然気がつきませんでした」「そりゃ、Tさんだってバカじゃないですから、教師に見つかるような使い方はしませんよ」

Tさんの例文はできすぎのところがあります。どう考えても本人の実力以上の語句が使われていたり、あんたこの場面想像できるのって言いたくなるようなすばらしい場面設定だったりします。そして、手がいつも机の下なんですね。何より、一字一句違わぬ例文が、席が遠く離れたMさんからも出されていたのが動かしがたい証拠です。

そのTさん、つい先日のテストでは短文作成の問題がボロボロでした。それが大きく足を引っ張り、クラスで最低の成績に沈みました。そばらしい例文は、やっぱり付け焼刃でした。

Tさんもスマホ中毒だと思います。スマホを頼ればなんでも問題は解決できると思っているのでしょう。いや、授業中であろうともいじらずにはいられないのかもしれません。いじるついでに例文のネタも見ちゃっててるに違いありません。ヘタをすると、いじってるという意識すらないんじゃないかな。

Tさんは極端だとしても、各教室に1人や2人、あるいはもっと多くのTさんがいます。禁止するだけではどうにもならない山が動いています。

良問ですか

3月4日(水)

初級の進学コースの授業で、学生たちに読解の問題をやらせています。市販の初級向け問題集よりもう少しひねった問題を作っています。出題形式も、実際の入試問題に近づけています。やはり難しいらしく、「〇〇字で答えなさい」というパターンは特に苦しんでいました。初めて出会う形式ですから、そりゃ戸惑うでしょう。でも、大学の独自試験にはそういう問題がたくさん出されていますから、これを何とかしない限りは合格は難しいです。

読解の良問とは、それを解くことによって文章の理解が深まるような問題だと、何かの本で読みました。それ以来、そのことを心がけて問題を作っています。「〇〇字で答えなさい」にしても、その語句を引っ張り出すことによって文章中の離れた部分同士のつながりが見えてきたり、ある物事が別の角度から見られるようになったりすることを期待しています。初級の学生にも、単語レベルや文レベルではなく、せめて段落レベルで文章を理解していってほしいのです。その補助線としての問題ということを常に念頭に置いています。

それは初級の問題であろうと同じで、一読しただけでは見えてこない何かを読み取らせる問題を目指しています。同時に、読んだ内容を日本語で考える訓練もしてもらうつもりでいます。

私の問題が本当に良問かどうかはわかりませんが、機械的な流れ作業で解ける問題にはしないようにしています。1つの文章で少しでも多くのことを考えてもらおうとあれこれ策を練るので、どうしても問題作りに時間がかかってしまう傾向にあります。学生が呻吟する顔を想像しながら問題を作っているなんて、Sでしょうか…。

合格したかな

3月3日(火)

卒業認定試験がありました。この試験に合格しないと、卒業証書ではなく修了証書になってしまいます。「そんなの、どっちでも関係ないよ」とうそぶいていた学生も、卒業式で自分だけ修了証書となると落ち込むものです。そのためかどうかは知りませんが、欠席がちの学生も今朝は大挙して登校してきました。

私が監督した教室では、Dさんが開始寸前になっても姿を現しませんでした。友人のYさんが電話を掛けたらやって目を覚ましたようで、20分少々遅刻。遅れて受けた科目は合格点が取れたのでしょうか。

問題が難しかったのかもしれませんが、みんな制限時間ぎりぎりまで粘って答えていました。こちらとしても「卒業証書」にはそれなりに権威を持たせたいですからね。生みの苦しみぐらいは味わってもらわないと。すがるような目つきで見られても、ダメなものはダメですよ。

試験直後から採点を始め、採点が終わったらWさんの面接練習。あさってがP大学の入試です。しかし、面接の完成度はまだまだ。「卒業展覧会の作品がすてきでした」のような誰でも言えるセリフが次から次と出てきました。気が付けば1時間以上もフィードバックしていました。

受験講座を済ませ、職員室に戻ってくると、「懐かしい顔がいますよ」とM先生が。ロビーに出て行くと、去年の卒業生のJさんがいました。JさんはS大学には受かったのですが、そこでは不満だと帰国して捲土重来を図りました。そして、先日E大学を受け、今日はM大学。今日の試験は手応えがあったようです。でも、「この1年、思ったより勉強しなかった…」と反省の弁も。

1年の締めくくりが近づき、いろんな試験が交錯しています。

音読の授業

3月2日(月)

T先生の代講で、上級クラスに入りました。各自が選んだ文章の音読でした。

今学期になってからずっと音読の練習をしてきているはずなのですが、けっこう差がつきますね。RさんやMさんや演劇部のNさんあたりは感情を込めて読んでいたのですが、IさんやSさんなどは棒読みに近いものがありました。Hさんはドラマの脚本に挑戦しましたが、セリフとト書きの区別がつきにくい読み方に。

会話は自然にできる実力を持っている学生たちをもってしても、音読ってかなり高いハードルなんだと思わされました。ただ単に文字が読めるだけじゃ棒読みにしかなりませんからね。それに加えて、文章全体をきちんと読み込んで流れや状況をしっかり把握しないと、聞き手をひきつける音読ってできないでしょう。

もうだいぶ昔ですが、中級で紙芝居を作ってクラス内発表会をしたことがあります。グループで作って、1人が1枚の絵を描いて読むというものでした。時間をたっぷりかけたこともあり、けっこうな質の紙芝居ができたように記憶しています。今は模擬討論会などに取って代わられていますが、感情を込めて音読できるようになるということをゴールとすると、紙芝居を復活させてもいいんじゃないかなと思いました。

いずれにしても、「話す」「書く」という情報を発信する技能を磨くことを、この学校では重視しています。ですから、初級から自然な話し方の練習を授業の中で行っていますし、毎学期会話タスクもあります。ただ、上級の学生の中にはそんな初級での先例を受けずにいきなり中級や上級に入ってきた学生もいますから、音読に慣れていないのかなって勝手に思っています。上手にできたRさんとMさんはKCPの初級からのたたき上げですからねって言ってしまったら、牽強付会かな…。

ひだ

2月28日(土)

バス旅行の翌日であるにもかかわらず、いつもの土曜日と同じように受験講座をしました。こういう日でも、来る学生はきちんと来ます。今日来た学生は、緩急のけじめがきちんとついているに違いなく、来年の今頃はきっといい結果を残していることでしょう。

Tさんもそんな学生の1人です。授業後、私のところへ来ました。「先生、問題を読む時間が長すぎます」「そんなことないと思うけど。みんな読むのに時間がかかってたから」「読まなくても答えがわかります」。要するに、部分的に読んで答えを導き出すテクニックを身に付け練習したいようでした。

そういう気持ちはわかりますし、EJUの直前になったらそういう授業もするつもりです。でも、EJUまで3か月もある今からそんな読み方ばかり練習していたら、本当に文章を読む力が伸びなくなってしまいます。文章中の語句や文法にも目を向けてほしいし、文章の内容そのものにも興味を持ってもらいたい問題もあります。そこをすっ飛ばしてテクニックばかりに走ってしまうと、EJUではいい点が取れても、大学の独自試験で点が取れる力は付きません。小論文を書くにしたって、4択問題で答えを選ぶ力だけではいかんともしがたいものがあります。

受験まで間があるこの時期に、頭の引き出しを増やして、豊かな発想ができるようになっておく必要があります。4択問題は反射神経で解けちゃう面もあります。それに対し論述問題や口頭試問は脳みそのひだの深さが問われると言っていいでしょう。KCPで勉強した学生には、このひだの深さで勝負できる人間になってもらいたいです。

そういえば、先週EJUの数学と理科の問題をコピーしていったGさんも、問題の解き方ではなく答えの番号ばかりを知りたがっていました。Gさんにもそういう危うさを感じていました。合ってた、合ってなかっただけではなく、そこに至るまでの道筋、合ってなかったらなぜ間違えたのか、そこを追究しないと力は付きません。

ついでに愚痴を言わせてもらうと、KCPの学生は同じ問題を繰り返しやろうとしません。少なくとも間違えた問題はできるようになるまで何回でもやってほしいのですが、「やり捨て」なんですね。「やり捨て」では脳みそのひだは深くなりません。TさんもGさんも、勉強が上滑りしてるんじゃないかな。もう一度自分を見つめてください。

温泉

2月27日(金)

朝からきれいに晴れ上がり、まだ都内を走っているうちから真っ白な富士山が見えました。その富士山がだんだん大きくなり、窓からはみ出さんばかりになると、そこは富士急ハイランド。

今回は、絶叫マシンに酔いしれる従来のコースに加え、富士急ハイランドの隣のふじやま温泉に入るというコースも選べるようになりました。私はその温泉コースで、駐車場から温泉へ直行しました。

ゆっくり温泉に浸って、たっぷりマッサージをしてもらって…というわけにはいきません。何せバス旅行では初めてなので、学生たちが押し寄せる前に下見を済ませなければなりません。大浴場には打たせ湯みたいな特別な入り方をしなければならないものはなく、床が濡れて滑りやすいことだけ気を付けてもらえばよし。風呂上りにビールを飲む不届き者の心配をしましたが、アルコール類の自販機はなく、こちらも一安心。

というようなことをして玄関の受付に戻ってきたら、学生の第一陣が来ていました。そこからは、受付で入館の手続をするまでの補助に当たりました。三々五々やってくる学生に、靴のまま上がって来きたり、受付を通らずに入ろうとしたりしないように指示を出しました。KCPの学生は、玄関を入り私を見つけるとみんなぴょこんと頭を下げてくれるので、すぐわかりました。

ところが、タオルをもらって大浴場へ行った学生がさっぱり戻ってきません。どうしちゃったんだろうとだんだん心配になってきた頃、赤く茹で上がった顔になって玄関の私の前に現れました。みんな満足してくれたようです。

そんなことをしていたものですから、楽しみにしていたマッサージは行けずじまい。途中A先生が玄関の見張りを代わってくれた時にちょっと昼寝をしただけでした。うーん、ちょっともったいなかったかな。

帰りは石川PAまでは順調に来たのですが、どうやら私たちがそこを出発した直後に事故が発生したらしく、渋滞を抜けるのに1時間以上もかかってしまいました。その分、新宿着が遅れてしまいました。K先生のバスでは、「みんな渋滞で遅くなってイライラしたと思いますが、一番イライラしたのは誰ですか」と学生に問いかけ学生から「運転手さん」という答えが出てきたところで、「そうですね。それでは運転手さんに感謝の拍手を送りましょう」締めくくったそうです。私はそこまでしませんでしたが、本当にそのとおりだと思います。安全に無事新宿まで送り届けてくださったドライバーの皆様、ありがとうございました。

危ない国

2月26日(木)

ゆうべ、Nさんが交通事故にあったという連絡が入りました。転んでけがをしたけれどもひどいけがではないという話でした。相手はそのまま逃げてしまったとのことでした。

そのNさんに、昼休み、ばったり出会いました。「あんた、交通事故にあったんだって?」「実は交通事故じゃないんです。私からお金を奪おうとしたんです」「じゃ、強盗?」「はい。警察の話だと、私で3人目なんだそうです」。

物騒な話です。Nさんも「日本でもそういうことってあるんですね」と驚いた表情でした。残念ながら、そういう危険があることは事実です。確かに、落とした財布が戻ってくることもありますが、強盗を働く人もいます。常に身を守る姿勢を崩してはいけません。

最近はこういう力業の犯罪よりも特殊詐欺のような頭脳犯的な犯罪が増えています。学生が詐欺的な犯罪に巻き込まれたという例も耳にしています。心に鎧を着せると人付き合いがしにくくなります。日本人と触れ合いたくて来日した学生にとっては辛いことでしょう。でも、疑ってかかることが必要なこともまた、日本社会の現状です。

ただ、Nさんは転ばされたあと目撃していた人たちに親切にしてもらったことも心に留めていました。「明日富士急ハイランドでスケートしようと思ってたけど、けがしてできなくなっちゃった」と冗談めかして言っていましたから、立ち直れないほどのダメージを心身に受けたのではなさそうです。その点がせめてもの救いです。

あと1か月ちょっとで、また多くの新入生がやってきます。その新入生たちにどうやってこういうちょっと悲しい話を伝え、同じことが繰り返されないようにしていくか、私たちの宿題です。

撲滅

2月25日(水)

初級クラスの新出語彙に「合格します」があったので、俄然スイッチが入りました。「不合格しました」の撲滅です。

学生がにこやかな顔で「〇〇大学に合格しました」と報告してくれるのを聞くと、こちらの気持ちも明るくなります。笑顔で「おめでとう。よくやったね」って言ってあげられます。しかし、悲痛な顔で「××大学に不合格しました」なんて報告されても慰めてやろうという気は起こりません。「そんな日本語を使っとるから落ちるんじゃ、アホンダラ」と、傷口に唐辛子でもすり込んでやりたくなります。そういうアホな上級学生になってほしくないですから、「不合格しました」の芽を摘んでおくために、ついつい力こぶを入れてしまったのです。

上級を教えていると、初級のときにつぶしておいてくれればという間違いを繰り返す学生をよく見かけます。ですから、自分が初級を教えるとなると、そういうのを何とかしようという気になってしまうのです。それで完全につぶせればいいのですが、つぶせもせず枝道に入り込んだせいで進度に遅れが生じ、挙句の果てに大事なところをはしょってしまうじゃ本末転倒もはなはだしいです。

でも気になるんですよね、「先生が手伝いましたから上手に面接ができました」なんて言われると。テストで点は取れるけど文章を書かせると接続表現が全く使えていない学生とか。こういうのをなくすには、初級の学生の成れの果てを知っている教師がもっと物を言わなければなりません。また、初級の教師も成れの果てを実地に体験し、自身の教え方に反映していくことも必要でしょう。

さて、あさってはバス旅行。しおりを配ってその説明もしました。学生たちもだんだんその気になってきました。

軽い約束

2月24日(火)

卒業生の紹介で、日本文化に触れる会がありました。何週間か前に参加者を募集して、参加者決定者にはお手紙を渡しておきました。しかし、当日になって、数名の学生がキャンセルしたいと言ってきました。一度申し込んだらキャンセルはできないからこの日には予定を入れないようにと言っておいたにもかかわらずです。

卒業生だって、チケットが有り余っているからKCPに回してきたのではありません。後輩のためにという親切心から骨を折ってくれたのです。だからキャンセルが出るとその卒業生の顔をつぶすことにもなりかねないのに、そういう機微がどうもよくわからないみたいです。

というか、何事につけても気安く申し込み、気安くキャンセルするきらいが学生にはあります。そこに他人の迷惑とかメンツとかを考えるすき間はありません。自分の都合を最優先してしまうのです。

最近の日本の若者も、とりあえずたくさん約束しておいて一番おもしろそうなところに顔を出すのだそうです。メールやらSNSやらで、とりあえずの約束もその断りも、指先でできちゃうからです。約束がすっかり軽くなってしまいました。留学生だけを責めるわけにはいきません。

しかし、実社会はそうじゃありません。やっぱり約束は重い意味を持ちます。そこのところを早く理解してもらいたいからこちらは神経をぴりぴりさせているのですが、学生たちはいたってのんびりです。Mさんは日本での就職を考えていますが、毎日のように遅刻します。毎日9時までに登校するという約束すら守れずに、社会人が務まるわけがありません。

今週末はバス旅行です。集合時間を始め、いろんな約束がありますが、みんなきちんと守ってくださいよ。

ごります

2月23日(月)

私の初級クラスは意向形を勉強しました。意向形というと、いつも思い出すのは日本語教師を始めたころに教えたフィリピンからの技術研修生です。ある電機会社の現地工場から送り込まれて、日本で技術と製造装置の運転方法を学び、帰国後現地で指導的な立場になる人たちを教えていました。

お定まりのように、Ⅲグループ、Ⅱグループ、Ⅰグループの意向形の作り方を教え、「食べます」「食べよう」といった調子で変換練習を始めたときです。Rさんが、「先生、『ごります』は何ですか」と聞いてきました。「ごります」なんていう動詞は聞いたことがありません。「ごりる」「ごる」、活用して「ごります」になる可能性のある動詞などありそうもありません。

しかたがないですから、「ごりますってどこで聞きましたか」と聞くと、「イトーヨーカ堂」という答えが。それと同時に研修生たちが「ゴリヨー、ゴリヨー」とだみ声を出し始めました。要するに、彼がよく行くイトーヨーカ堂の鮮魚売り場かなんかのおじさんが「ご利用(ください)、ご利用(ください)」と呼び込みをしていたのが耳に残っていたのです。何を言っているのかわからず、でもそのだみ声がずっと気になっていたのでしょう。それが「食べます―食べよう」と結びつき、「ごりよう」を逆変換し、「ごります」を導き出したのです。

「ごります」は偉大な勘違いでしたが、それを導き出したRさんは実に優秀だったと思います。未知の日本語に興味を示し、それを記憶にとどめ、あくまで追求しようとし、授業中にヒントをつかむや質問してきたのです。KCPの学生たちにも学ばせたいプロセスです。

今日は「ごります」のような質問も出ず、「つもりです」まで進みました。